November 27th, 2011

2011年11月27日待降節第1主日聖餐礼拝説教「嘆きから希望に」”Desperation to Hope”岸野豊牧師

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「嘆きから希望に」   “Desperation to Hope” イザヤ書64章1-9節

神と私たちの主イエスを知ることによって、恵みと平和が、あなた方にますます豊かに与えられるように。アーメン。

今日から教会は4週間にわたってアドベントのシーズンに入ります。今日の説教は3つの話でアドベントのシーズンとはどういうものかを皆さんに話したいと思います。

まず最初に、ソーレン・キルケゴールと言うデンマークの牧師さんで、神学者である人の書いた話を紹介しましょう。

あるヨーロッパの国の王子様は、年頃になり、自分の后、将来のQueenになる人を探し始めました。ある日、父であるKing から頼まれた田舎、それも貧しい町を訪れていた途中に 美しい小作人の娘を見つけ、一目惚れしたのです。しかし、ここに問題があります。どのようにこの娘さんをPrincessとして迎え入れるかと言うことです。もちろん、この娘さんに無理やり奥さんになってくださいと言うことも出来るかもしれませんが、それはよろしくない。王子様の勲章のついた正装でこの娘さんのところに言ってこの娘さんの両親と娘さん自身に跪づいて結婚して下さいと言っては、娘さんは慌てふためくでしょう。ではどうしたらいいか。そこで考えた結果、王子様は、自分の服を脱ぎ捨てて、小作人の服をまとい、この村に入り、そこに住んで、まったく小作人となって娘さんと知り合いになる。そして自然と同じ村の人間となってはじめて、むすめさんに自分の愛を打ち明けるという形をとったのです。時間をとってお互いに信頼できる関係になって始めて王子様はこの娘さんに、求婚したのです。

これと同じように、イエス様は神様によって一人の人間としてこの世に送られました。お母さんのマリアさんは普通の人間です。成人になったイエス様も普通の人間として生活してきたのですが、時が来て、神様の御心がイエス様を通して語られたのです。

 二つ目の話は、二人の子供、それは6歳の男の子と4歳の女の子がある土曜の夜に両親に連れられておじいちゃんとおばあちゃんの家にやってきた話です。夕食が終って子供たちはベットに寝かされ、お母さんがそうっと子供たちに言いました。「お母さんとお父はこれから、スーパー・マーケットに行ってきます。ちゃんとねんねしてちょうだいね」と。

子供たちはお母さんとお父さんにキスしてお休みなさいと言って目をつむったわけですが、両親の車のドアが閉まる音と車の走り出す音をはっきり聞いたのです。子供たちが次にお父さん、お母さんとの連絡があったのは、それから11年たってのことでした。二人の子供に宛てた手紙の中に、両親はこう書いたのです。「ごめんなさい、お母さんとお父さんはこの11年にいろいろ苦労をしました。職もな、貯金もない、パートの支払いもできないで、行くところもなく、あなたたちのめんどうをみることができなくなってしまったのです。夜は公園のベンチで寝て、食べ物は、ごみ籠の中をあさったのです。わびしくて、自殺しようかと何回も思いました。でもね、その度に、あなたたちの顔が目の前に現れたのです。いつか人生の生き方を取り戻してあなたたちを迎え入れることを信じています。こんな悪いお父さんとお母さんを赦してはもられないだろうけれど、また一家、一緒に住めるその時が来ることを祈ります」と。

さて皆さんから「岸野先生、今日から待ちに待った待降節、アドベントのシーズンに入る、そしてクリスマスと続くのに、そんな時に、どうしてこんな悲しい話をするんですか?」と言われてしまうでしょう。しかし、この話をした理由は同じような歴史をユダヤ人はイエス様の到来する紀元前7百年も前に経験してきたからです。

それは何かというと、イスラエルの国がユダとイスラエルと言う二つの国に分かれた後、アッシリアと言う国によってユダヤ人は外国に捕虜として連れられていかれたのです。ユダヤ人が自分たちの土地、財産、将来の夢もすべて奪われて奴隷として自分の住み慣れた土地から追い出されたわけです。この後バビロンと言う国もユダヤの地を治めるようになり、続いてローマ帝国がイエス様の時代にはイスラエルの人たちの土地を占領したのです。

皆さんは旧約聖書の中で出てくる預言者といわれる人たちの事を聞いたことがあると思います。17人もの預言者がユダヤ人はいつも神様に忠実でありなさい、神様の戒めを守りなさい、同じユダヤ人同士の戦い、分裂をなしてはいけないととの忠告をしていたにもかかわらず、神様の御心に反する行動に走っていった時、預言者たちはユダヤ人に、暗闇の時代が長い、長い時間続く、しかし哀れみ深い神様はいつの日にか、ユダヤ人だけでない、すべての人類を救う救い主を送ってくださるとの予言をしてきたのです。預言者イザヤは聖書の中で出てくる17人の預言者たちの中で、救い主は苦難の僕の形で到来し、すべてこの救い主に従うものは、ユダヤ人を超えた、すべての人類に神様の愛を示すと述べ伝えたのです。

今日の第一の旧約聖書の日課イザヤ書64章は捕虜として捕らわれていたユダヤ人たちが何世代の後、先祖のユダヤの土地に戻ってきた時に見たこと、感じたことを預言者イザヤによって書かれた言葉です。その一部をもう一度聞いてください。

「喜んで正しいことを行い、あなたの道に従って、あなたを心に留める者を、あなたは迎えてくださいます。あなたは憤られました。私たちが罪を犯したからです.しかし、あなたの御業よって私たちはとこしえに救われます。主よ、あなたは我らの父。私たちは粘土、あなたは陶工。私たちは皆、あなたの御手の技。どうか主が、激しく怒られることなく、いつまでも悪に心を留められることなく、あなたの民である私たちすべてに目を留めてくださるように」。

ユダヤ人が、外国での捕虜、奴隷の生活から開放されて、イスラエルの地に戻ってきたのですが、すべてのこと、すべてのものが混乱状態です。エルサレムは荒れ果て、神殿も破壊され、彼らの住むところもない。捕虜を逃れてこの地に残った少数のユダヤ人は、外国人と結婚して、その子供たちは誰が本当の神様であるかも知りません。イザヤの話す言葉は捕虜から帰ってきた者の大きな泣きごと、また神様に私たちを見捨てないでくださいと言う願いです。

これは最も捕虜として暮らしていたユダヤ人に限ってのことではありません。心の嘆き、心の苦しみは、今現在、私たち一人ひとりも経験しているはずです。そこに神様の私たちへの愛を感じたいのです。神様に抱かれたいのです。それなのに、神様が近くにいてくださって、私たちを見守ってくれていると言う思いになれないのです。

はっきり言ってそれは紀元前7世紀に書かれた預言者イザヤの時代だけでなく、現在今、私たちの経験していることではないでしょうか?経済の問題で、多くの人たちが解雇通知を受け、失業によるある程度のお金は約束されていると言っても、それにも限りがあります。クリスマスはプレゼントの交換の時などと言いますが、そんなお金を使う余裕もないと感じている人達は今時沢山いるはずです。さて、ここで今日の3回目の話を聞いてください。

Maryland州のBaltimore の新聞、Baltimore Sunが何年か前に次の話を載せました。それを紹介しましょう。フィリップは無職の松葉杖に頼って歩く40歳の男で、住んでいた家の家賃が払えなくなり、今では、ボルチモアの市が建てた仮の宿に寝泊りしています。彼には奥さんと4人の子供たちがいたのです。彼は新聞のリポーターとしてこの貧民街をクリスマスに訪れていた人にこう言いました。「クリスマスの朝、子供たちが、順番に、サンタから贈られたプレゼントを目を丸くしてサンタさんありがとうと、はしゃいでいた姿を思い出すと、それがなんと幸福の時であったか思い出すのです。その幸福な思いをこの世から離れる前に、もう一度感じることができたら、どんなに素晴らしい事だろう」と。一人ぼっちで生活するのは淋しいことです。切ないことです。涙が出てきて止まらないほど悲しいことです。

私もこのクリスマスの時に母と一緒にいてあげたい気持ちでいっぱいです。私の母は、東京老人ホームと言うルーテル教会の経営している処に入ってもう4年過ぎます。一年ほど前までは自分の部屋に電話があったので、週に何回か電話で話をしました。しかしこのごろは電話の使い方もわからなくなってこちらから電話をしてももう電話に出ないようになったのです。ですから母が昼ご飯を食べるような時を見計らってホームの事務所に電話をし、その携帯電話を母のところまで持っていってもらってやっと話ができるのです。

「お母さん、豊ですよ。元気にしてますか?」「誰ですか?」「息子の豊ですよ。ゆうちゃんですよ」。「ええ、ゆうちゃんなの?今どこにいるの?」「アメリカからですよ」「あんたに会いたい。お父さんね、どこかに行っちゃったよ。どこにいるんだろうね。」私の父は去年の6月に亡くなったのですが、母は父のお葬式にも出ていたのにその覚えがないんです、これがこのごろの電話の会話でそれ以上長く続きません。「また電話するからね、元気でいてね。

私は日本から離れ、アメリカで生活するようになって今年で37年目です。その間両親は私と私の家族をフィラデルフィア、ダラス、そしてリバーサイドにも3年に一回訪れてくれたのですが、母はもう飛行機の旅はできません。ですから私が年に1,2回母を訪ねるのです。私の日本の家族は、毎年クリスマス・イブの礼拝を心待ちにしていました。その日にはお赤飯もありました。宣教師の家族は大きなケーキを焼いて持ってきたのです。礼拝の時も、食事の後も何曲ものクリスマス・キャロルを歌ったのは最高でした。

私の家族は毎年、クリスマスの後の一週間、ペンシルベニアの家内ナンシーの実家で過ごします。ナンシーの兄弟、姉妹の7人とその奥さん、旦那さん、孫たちもアメリカ中から集合するので全部で24人の集まりです。それは楽しい時でありますが、義父がこの6月に亡くなったのです。ナンシーは今年はなんだか物悲しい時になるのではと言ってます。私たち一人ひとり、アドベント、クリスマスに関する思い出、それは素晴らしい、あるいはその反対に物悲しいものかもしれません。憶えて欲しいことは、神様、イエス様が、私たちと共にいてくださることです。一緒に祝う時も、悲しみに沈むときも神様がいつも私たちと共にいることです。私たちを励まし、私たちに希望を与えてくださるのです。

そのことを覚えて、これからのアドベント、神様に祝福されたクリスマス・シーズンを迎えましょう。どうか、主イエス様があなたの毎日に恵みを与えてくださるよう祈ります。アーメン。

 

 

 

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