3月3日(土曜日)午後6時よりLCR・復活ルーテル教会礼拝堂で平原誠之のピアノ・
コンサート(チャリティ)があります。 Flyerを掲載しますので、ご覧の上是非お出で下
さい。
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週報通算#1200号(日本語)
週報通算#1200号(英語)
マルコによる福音書1章40-45節「イエス様、清めてください」 “Jesus, Make Me Clean”
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたの上にありますように。アーメン。
ここにいるお母さんたちに質問します。子供たちがまだ小さかった時、「お母さん、私を抱いて」あるいは「ママ、抱っこしてよ」と言われた時、なんて答えましたか?答えは「おいで、だっこしてあげるわよ」ではなかったでしょうか?
ところで、同じ息子、娘が公園の砂場で砂と泥んこのお団子を作っている。そのお団子をもってきた汚れたままの手で、「ママ、抱っこして」と言われたらどうしますか?「触らないで、お手手洗いなさい、きれいになったら抱っこしてあげるから」ではなかったでしょうか?小さい子供はどうも好んで泥んこの中で遊ぶのが大好です。それは私も同じでした。私の通った幼稚園は毎日男の子でも、女の子でもエプロンを着て、幼稚園に行ったのです。
泥んこの子供を抱き上げるのは少し抵抗あると感じるお母さんも、転んで、怪我をした、ひざから血が出ている、そのような娘、息子が、泣きながら「ママ、抱っこ」と走って来た時自分の服が汚れるなんて思わずに、すぐに、息子さん、娘さんを抱きしめたのではないでしょうか?また、「お母さん、私ころんで怪我したの、血が出てる。痛いの。この痛い、痛いを治してちょうだい」。そして、お母さんの腕の中で抱かれると、いやなこと、痛いこと、悲しいこともすべて取り去られるよう感じなんです。オキシフルとマーキロを塗ってもらってもう良くなる、大丈夫だと子供心に安心したのです。
今日与えられた福音書の記事を読んで、ハンセン病で心も体も傷ついているこの男と怪我をしてお母さんと呼んで助けを求めた子供、そこに共通点があるのです。あなたの慈しみによって私を治して下さいという願いです。
最近は人を差別すような病気を口に出したらいけないと言われているので、この話に出てくる男の病気を英語では “Hansen’s disease” と言います。この男、イエス様に、「私の病気を治してください」とは言わず、「私を清めてください」と言ったことに気がついた人もいると思います。それは同じことと言われるかもしれませんが、この男がそう言った理由は、ハンセン病」はこの人に肉体が朽ちてゆくという問題を与えていたわけですが、彼の「清くない」状態は神様からも見放されていると言う意味があったのです。
このハンセン病は4千年前にそれに似たような病気として記録されています。症状はと言うとはじめに目頭と手に白い斑点が出てきてそれが体中に広がるのです。髪の毛は色素を失い、白くなる、そして鱗のような物ができてそこから膿が出てくるのです。しかしそれは皮膚の表に関したことであって皮膚の下では、神経が侵されるようになり、次第に痛みも、かゆみも感じなくなるのです。石につまずいて、足の親指を怪我したにもかかわらず、痛みを感じない、かなずちで釘を打っていた時、間違えて親指を打ってしまった。それなのに痛みを感じられないのです。
インドのハンセン病人の隔離された施設には手の指、足の指のない人が多い、その理由はと言うと、神経を侵された手と足の指は彼らが夜寝ているうちに、ねずみに食いちぎられたからだと言われています。耳も、鼻も腐った果物のようになり、最後には目も犯されてしまうのです。
実際には、ハンセン病に罹ったものは、皆から村八分にされたと同じです。人に近寄ってはいけないし、同じ家には住めません。洞窟のようなところで他のハンセン病の人と共同生活をしていた訳ですが、その仲間らも、一人ひとりこの病気に呪われるように死んで行くのです。食べ物はと言っても畑仕事をするところもなく、道端で物乞いをし、時々投げ出された食べ物によって一日、一日を夢も希望もなく心の悲しみから抜けきれない毎日を送ったのです。
きっと、家族の元に返りたい、一緒に食事をしたい、一緒に安息日に会堂に行きたい、そこで神様に感謝したい、友達と抱き合って喜びの思いを分かち合いたいと思っていたに違いありません。この病気の初期には両親もある距離を保ってこの病気の男を時々訪ねたでしょう。しかし病気が進んで行くと、家族の人たちも来くなる。お母さんだけが月に一回ほど何か食べるものを持って来てくれた。しかし今ではだれも尋ねてくれない。
そんな希望もなくなっていたある日、福音書の中に描かれているハンセン病の男はイエス様が街に来ていると聞いたのです。このイエス様は自分を神の一人子と呼んでいる。イエス様は病気の者を癒し、歩けなくなっていた者を歩くことができるようにし、目の見えなかった者の目を見えるようにした。
マルコによる福音書の1章40節に、こう書いています。一人のらい病人がイエス様のところに願いに来てひざまずいて言った。「御心でしたら、清めていただけるのですが」。私が思うに、彼は「私は神様を礼拝したい、賛美したい」。「私は神様の人々の一人になりたい」「私は会堂に行ってみんなと共に神様に賛美の歌を歌いたい」。「私は私の手でほかの人たちに触れてみたい」。「イエス様どうか私を清めてください」。イエス様は深く憐れみ、手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、清くなれ」と言われたのです。私は思うのですが、神様は悲しみに浸っている人、希望のない人、家族も友達もない人、泣いている人の中で、神様と密接な関係をもてるようにと、私たちに呼びかけているのです。
ハンセン病、また同じようにAIDS と言う病気にかかっている人、精神的に苦しんでいる人、handicap を持っている人、家族と別れて、老人ホームで寂しい思いをしている人、世間から見放されて生きていると思っている人たちを私たちの祈りの中に覚えるのです。それは神様が私たちに下さった思いやりの精神です。私たちは、一人ひとりが福音を宣べつたえる者として世に送られていることを覚えてお互いを大切にして生きていかなければなりません。
今週の水曜日から1週間日本に帰り、母と共にいる時を持ちます。老人ホームから手をつないで、ゆっくり歩いて、駅前のお店で、おしるこを食べながら、昔のことを話すことになるでしょう。今のことが良く分からない母ですが、昔のことは良く話します。私の小さい時、母の家族が疎開した富山の魚津と言う漁港町に毎年の夏休みに行きました。蒸気機関車の時代です。汽車とプラット・ホームに大きな隙間があり、汽車から降りる時、6歳の私はそこに落ちてしまったのです。今でもそのことは私の怖かった思いとして時々思い出します。母の叫びも忘れられません。「助けて、助けて、息子がプラット。ホームから落ちました。助けてください」と。プラット・ホームに引き上げられた時、母が興奮して泣いていたのも覚えています。そんなことお母さん、今でも覚えているかな。父が亡くなって一年半たちましたが、今でも「お父さんこの頃見ないよ」どこにいっちゃったのかしらと言うその母に少しでもいっしょにいて親奉公をしてあげたいのです。ホームの人たちからは「お宅のお母さん、いつも礼拝にいらっしゃいますよ。讃美歌を歌うのがとてもお上手です」。と言われています。本当だ、お母さんと讃美歌歌おう。
最後に、ここで言いたかったことは私たちも一人で孤独にならないよう心がけましょうということです。人と人の触れ合いを大切にしましょう。それは今教会の中で、一緒に聖書を読むこと、一緒に祈ること、一緒に食べること、笑うこと、一緒に悲しい時も祈りで過ごすこと、そして、イエス様は本当に大切な私たちの仲間をここでくださっているのです。ですから、お互いに喜びと苦しみ、悲しみを、共に分ち合うことのできる私たちになれますよう導いて下さい。あなたが私たちに下さった家族、友達、信仰の仲間を大切にして生きていけますように。アーメン。
2012年2月22日
「灰の水曜日」
Soup Supper:6PM
礼拝: 7PM
2012 Invitation for Easter, Holy Week Services (日本語)
Easter Invitation Letter 2012 English
マルコによる福音書1章29-39節
「名声への道、それとも十字架への道」 “Way of Celebrity or Way of the Cross”
私たちの父なる神と主イエスキリストより恵みと平安が、あなた方の上にあるように。アーメン。
今日の福音書の中に幾つかの場面が書かれています。最初の場面はイエス様が彼の弟子として選んだペテロとアンドレの家にペテロの奥さんのお母さんを尋ねた場面です。イエス様は病気で寝ていたペテロの姑 の手を取り、起こし上げたその時、彼女は病気から癒されたのです。
次の場面はその夜、イエス様がまだカペナウムに滞在していた時、町中の病気の人たちがペテロとアンドレの家に、病気の者、悪霊に取り付かれていた者を連れてきた場面です。イエス様はさまざまの病(やまい)を患(わずら)っている多くの人々を癒し、また多くの悪霊を追い出した場面です。
第3番目の場面はイエス様は、朝早くまだ暗いうちに、寂しいところに行かれ、そこで祈っていた場面です。イエス様は一人でいる時と天の父なる神様と会話の時間がほしかったのでしょう。しかしながら、その静かな時もイエス様を追ってきたペテロによって破られたのです。ペテロは言いました。「イエス様、わたしはあなたがどこにいられるか探しておりました。みんながあなたを探しています。イエス様、あなたの人気は素晴らしいものです。このガリラヤであなたが私たちのうちにいることは私たちの誇りです。どうかカペナウムにお戻りください。皆さんがイエス様あなたを愛し、賞賛されています。どうかここカペナウムで素晴らしい奇跡の働きをなさってください」。
聖書には直接、はっきりと書いてありせんが、私は、イエス様は荒野で悪霊に試みられた時、一人で静かな所に行き、神様の御心を求めて祈ることにより、父なる神様の救いの計画、すべてのひとのための救いの計画を把握していたと信じます。悪魔はいつもイエス様に自分の名声、自分の徳というものを与えてイエス様を自分の見方にしようと思っていたのでが、イエス様は、その裏工作はまさに神様の愛の精神に反するものとして悪魔、悪霊を退けたのです。
皆さん、アメリカでの生活の長い人の中でPhil Donahue さんを覚えている方いますか? この人は1980,90年代にテレビで毎日20年も生放送のreality show のホストとして知られた人です。彼は自分の自叙伝を出しました。その中にある一つの話を紹介しましょう。Phil Donahueがまだ若いテレビのリポーターであった時、ある炭鉱で大きな事故が起こり、そこに送られて、現場の状況、心配で泣いている、祈っている家族とインタビューをしました。坑道の中の人との連絡が取れません。時間がたつにつれてますます家族の心配の思いが大きくなり、精神的、体力的にも疲れ果てた家族の人たちが続く中で、誰かが一つの讃美歌を歌いだしました。「慈しみ深き、友なるイエスよ、われらの弱きを知りてあわれむ、悩み、悲しみに沈めるときも,祈りに答えて、慰めたまわん」。そこにいた人たちも声をあわせて歌いだしたのです。歌がおわり、ひとりの牧師さんが、進み出、 “let us pray” と言って祈り始めました。「私たちに希望をください。あなたがすべての心の重荷を持つ私たちの祈りを聞いてくださることを知っています」。Donahue さんは、この讃美歌と祈りがこれまでに感じられたことのないほどの力を与えてくれ、神様は本当にいるんだ。私たちは神様によって守られているんだ。と言う今までになかった心の安らぎを感じたと本の中に書いています。
彼はテレビ・カメラにこの牧師さんお祈りと慈しみ深き友なるイエスの賛美歌が録画ていると思っていたのですが、実は、あまりの寒さにテレビ・カメラは frozen されてしまっていたのです。そこで、Phil Donahue さん、マイクロホンを持ってこの牧師さんのところに行き、「もう一度牧師さんが祈ったその言葉を言ってください。それをテ-プレコーダーにいれたいので」と頼んだのですが、それはできませんと牧師さんに断わられたのです。Donahue さんは言いました。「私はテレビのリポーターですよ。全国で260ものテレビ局と提携しているCBSのリポーターです。全国中で、この生中継が報道されているんですよ。あなたの祈りがアメリカ中の人々に伝わります。どうかもう一度、あなたの祈られた言葉をリピートしてください」牧師さんはそれでもNo との返事です。どうしてこの牧師は頑固なんだろう思ったわけですが、 考えてみれば、イエス様も頑固とは言わないにしろ、ペテロに「カペナウムに行きましょう。そこではイエス様、あなたは私たちの英雄であり、みんなはあなたをしたっていきますよ」。と言われて、“No, no, no,と叫んだのではないでしょうか。
イエス様の言葉はこう答えました.「私はひとたちの人気に誘われてカペナウムまでいくことはしない。それ以上にまだ多くの人たちに神様の福音をすべての人に語る義務がある。そのために私は父なる神様から送られたのですから」。
イエス様は、すでに父なる神様から、この世に送られたその目的をわきまえていたのです。それは、すべての人たちの罪をイエス様自身が担って、十字架にかかり、その死と復活によってのみ、もう一度言います。その死と復活によってのみ、すべて悔改める者を、罪から赦され、神様を信じる者に永遠の命を約束したことです。しかし神様は私たちにこの神様の約束を受け入れるか、受け入れないかの決断を私たちの自由な意志に任せたのです。父なる神から示された目的は、世界のすべての人たちに神様の救いの約束を宣べ伝えることです。
これは少し今日の説教から脱線するかもしれませんが、いつも説教の中で話したこともないようなことを皆さんにお話したいのです。
私は神様が、私たちを操り人形のように造られたのではなく、一人ひとりに自分の意思、自分の確信、Conviction で生きることを求められていると信じます。それは私にとって、聖書を読み、神様の私たち一人ひとりに下さっている愛を感じることです。
私はクルスチャンの家庭に生まれたことを感謝します。それはイエス様、神様という方の話しを教会の中で、聖書の中で読む機会を与えられていたからです。キリスト教の教えがどのようなものであるかは小さいときには分かりませんでしたが、聖書はむずかしいと言うより、聖書は神様のLove letter のように感じていました。ですから、神様は私にとって身近にいる、慰めの存在であったのです。悪いことをして神様から怒られるだろうと何回も思ったことはありましたが、神様から赦してもられることも知っていました。今でもそのように私の神様に対しての信仰は非常に単純なのです。
はっきりいって、私がどうして神様を信じることができるのか時々不思議に思えることがあるのです。しかし信仰と言うものを良く考えてみますと、信仰は私たちが作る、起こすものではなく、信仰自身も神様が私たちに下さったギフト、賜物です。つまり、私たちが神様を信じることもできる信仰も神様からいただいたギフトなのです。
さて今日の福音書の戻ります。「イエス様は朝早く、まだ暗いうちに人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」。と書いてあります。
宗教改革を始めたマルチン・ルターは毎日の祈りの時を大切にされた人です。宗教改革の後、カトリッツク教会から破門されたルターは、カトリック教会の善行による義認、つまり、良き行いをすることで人は救われると言う教えを全面的に否定したのです。
人は神様に対して、どんな良い行いをすることによって救われるのではなく、私たちの罪を認め、神様にご免なさい、いつも罪と汚れに満ちた私ですが、あなたの恩恵により私たちを赦し、あなたについていける、あなたの教えを守ることができる私たちにしてくださいと祈るのです。これは私たちの日曜ごとに礼拝の中で行われる神様への罪の告白と、神様からの罪の許しを受けることです。
マルチン・ルターは朝早く起き、一日の初めを3時間にも渡って神様に祈ることではじめたのです。それは祈りの中で、神様と会話の時を持ったと言ってもいいでしょう。イエス様自身も、時間をかけて、静かなところで父なる天の神様と一生懸命祈ったように、マルチン・ルターも同じように神様の御心が分かるように祈ったことを模範にして、私たちも祈りの時を今まで以上に大切にしなければなりません。
神様は私たちの心にあることはすべてご存知なのですが、私たちの心の中にある一つ一つの思いを神様に告白することが大切です。そして神様に、どうか私、私たちが、神様の御心にかなう、毎日の生活ができますようにと祈るのです。私たちが真剣になって祈ることは神様が必ず聞いてくださいます。
昨年3月に起こった東日本大地震と津波の災害のあとすぐ、日本福音ルーテル教会は震災復旧を目指しての働きに入りました。
去年の11月の日語伝道23年目のお祝いの礼拝の中でメッセージを下さった、立野先生と二年ぶりに私たちの教会を尋ねて下さった伊藤先生は昨年の三月におこった東日本地震と津波の災害地である仙台で、「ルーテル教会救援隣人」の名のもとに、災害を受けた人たちに少しでも、一緒になって復興を目指す仕事を始めたのです。この一緒になってというこの言葉は、大切な言葉です。悲しみに、苦しみに、心も、体も疲れきっている隣人を自分の兄弟姉妹として助け合うことです。共に泣くのです。今あなたの苦しみを私も一緒に背負っていきましょうとお互いを助け合うのです。
何故こんな悲惨なことが起きたのでしょうという問いに答えはありません。しかし大切なのは、そこで悲しみに浸っている人たち、私たちの隣人と一緒にいてあげることです。物を分け与えることも大切ですが、人間として一番大切なのは、一緒にいてあげることです。私たちの祈りに災害にあった人たちのために祈ることです。
イエス様のガリラヤ湖の湖畔にあるカペナウムの町で始まった伝道はこれから3年間に渡ってのイエス様の人々たちに対しての愛と思いやり、心と体の癒し、そして神様の救いについての教えの働きです。
それが今ここ、アメリカと言う地で、また、世界のあらゆる国で2千年以上続けられているのです。どうかこれからも、私たち一人ひとりが、イエス様の心を私たちの心として受け取り、神様の愛を言葉と、行動によって人々に分かちあえるよう祈りましょう。アーメン。
2012年2月の予定
2/2、9、23 聖書を読む会 10:30 AM Joyce’s Library
2/5、12、26 キリスト教101 10:00 AM Bercaw Hall
2/6、13、20、26 和太鼓 1:00 PM 中庭
2/6、20 英会話教室 2:00 PM Joyce’s Library
2/9、23 事務打ち合わせ 1:00 PM 日本語部オフィス
2/9 CCN 健康講座・ランチ 11:30 AM Bercaw Hall
2/10 コロナ家庭集会 10: 30 AM 今井宅
2/11 バレンタインダンス&ディナー 6:00 PM Bercaw Hall
2/12 持ち寄りランチ・2月誕生祝会 礼拝後にTホールにて
2/13、27 ラインダンス・クラス 2:00 PM Bercaw Hall
2/14、28 アーバイン家庭集会 10:30 AM 愛子G.宅
2/19 合同礼拝(Youth Fundraiser Lunch) Bercaw Hall
2/25 タスティン家庭集会 1:30 PM 安達牧師宅
2/26 Legacy Workshop(MEF) 12:30 PM Bercaw Hall
週報通算#1199 (日本語)
週報通算#1199 (英語)
マルコによる福音書1:21-28「イエス様の権威」 “Authority of Jesus”
私たちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなた方の上にあるように。アーメン。
イエス様は生まれがベツレヘムですが、育ったところはナザレと言う田舎です。大人になりガリラヤ地方のヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受け、40日間に亘って荒野でサタンの誘惑を受けましたが、それに打ち勝ち、その後ガリラヤで神様の福音を語り始めました。またガリラヤ湖の湖畔で漁師をしていた4人を弟子として福音の伝道の働きにはいったのです。安息日にはカペナウムの町にあるユダヤ人の会堂で、聖書の内容と神様の福音について教え始めたのです。
さて皆さんの中で、イエス様はユダヤ人のラビ、英語で言うRabbi だったのですかと言う質問が来るかもしれません。ラビは聖書をよく勉強した、また会堂で説教もしていたでしょう。イエス様は勿論子供の時から両親に連れられてユダヤ人の会堂に行っていたはずです。しかし、ユダヤ人の会堂で話をするのはラビだけではなく、一般の男たちもそのような討論をすることができたのです。
神の国の伝道を始め、人々はイエス様の教えに権威があることに驚いたと福音書には書いてあります。いつもの会堂司や、ラビの説教と違い、何か心に訴えられるようなイエス様の教え、また汚れた霊に取り付かれた男からその悪霊を取り去ったイエス様の評判が、ガリラヤ地方の隅々まで広まったのです。
1960年代に私は東京で、Billy Grahamのクルセードに行った事があります。それまでこの人の名前を聞いただけで、彼がどのような牧師さんであるかは知りませんでした。話し始める通訳の人の言葉より彼の力ある声と神様の聖霊に満たされたメッセージに心を奪われました。メッセージの後、Billy Grahamは、イエス様を受け入れる心を持つ方は前に出てくるように勧め、私も何か涙を流して前の方に行き、日本語と英語が一冊になっている新約聖書をもらいました。この人は本当に神様の聖霊に満ちていると感激したのです。皆さんのうちにも誰か、権威を感じさせられる人柄に出会い、この人はすごいと思ったことがあるでしょう。
カペナウムに住む人たちはイエス様の権威のある神様からのメッセージを聞いてびっくりしたのではないでしょうか? また悪霊に取り付かれている人たちはイエス様に出会うことを嫌っていたのです。と言うのはイエス様は悪霊を追い出すことができたからです。私がこれは本当だと思ったことは、悪霊自信が神様を恐れているからです。暗闇、暗いところに存在するものは、神様の愛、お互いを大切に助け合う生活、喜びを分かち合う生活などを嫌うのです。
福音書のマルコによるとイエス様はただ単に言葉による権威を持っていただけではなく、 行動による権威をもっていました。それは旧約聖書の創世記の中に出てくる創造主である権威を持った神様の言葉と行動です。
旧約聖書の創世記1章1-3節にこう書いてあります。
初めに,神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の表にあり、神の霊が、水の表を動いていた。神は言われた。「光あれ。」こうして光があった。神様が語ることで光があり、また語ることによってそれが実現したのです。また主なる神は土の塵で人を形作り、その鼻に息を吹き入れたのです。これも神様でしかできない権威ある言葉と行動です。
しかし神様の造られた私たち人間の中でも、権威に満ちていたひとたちもいます。私は神学校の4年間のうち3年間をペンシルベニア州のGettysburg という南北戦争の激戦地で過ごしたのです。神学校はまさに激戦地のど真ん中にあります。5万人もの兵隊さんが3日間の戦いで命を失い、その土地は人間の血で赤く染まったのです。
その時の大統領がリンカーンでした。彼は南北戦争の終わったその年の11月にワシントンからGettysburg に戻り彼の演説の内最も有名なGettysburg Address と言うものを祈りをこめて語ったのです。その一部を聞いてください。
Four score and seven years ago our fathers brought forth on this continent, a new nation, conceived in Liberty, and dedicated to the proposition that all men are created equal.
Now we are engaged in a great civil war, testing whether that nation, or any nation so conceived and so dedicated, can long endure. We are met on a great battle-field of that war. We have come to dedicate a portion of that field, as a final resting place for those who here gave their lives that that nation might live. It is altogether fitting and proper that we should do this.
But, in a larger sense, we can not dedicate — we can not consecrate — we can not hallow — this ground. The brave men, living and dead, who struggled here, have consecrated it, far above our poor power to add or detract. The world will little note, nor long remember what we say here, but it can never forget what they did here. It is for us the living, rather, to be dedicated here to the unfinished work which they who fought here have thus far so nobly advanced. It is rather for us to be here dedicated to the great task remaining before us — that from these honored dead we take increased devotion to that cause for which they gave the last full measure of devotion — that we here highly resolve that these dead shall not have died in vain — that this nation, under God, shall have a new birth of freedom — and that government of the people, by the people, for the people, shall not perish from the earth.
ゲティスバーグ演説・全訳
『南北戦争 49の作戦図で読む詳細戦記』(学研M文庫)訳者のページ
八十と七年前,私たちの父祖は,この大陸に新たなる国家を打ち立てました.自由を原点として懐胎され,人はみな平等であるとの命題に捧げられた国家です。
今私たちは,たいへんな内戦の渦中にあります.その国家が,あるいはそのような原点をもって懐胎され,そのような命題に捧げられた国家一般が,長らえることができるかどうかが試されているのです.私たちはその戦争の激戦地に集っています.その国家が生き長らえるためにこの地で命をなげうった人々の最後の安息の地として,その戦場の一角を捧げるために集まりました.それは私たちにとって,全くもってふさわしく,また理にかなった行ないであります。
しかし,より大きな意味では,私たちがこの土地を捧げることはできません.この土地を聖別したり,神に捧げたりすることはできません.この地で奮闘した勇敢な人々こそが,生きている方々も戦死した方々も含め,すでにこの地を聖別しているのです.それに付け加えたり,差し引いたりすることは私たちの貧弱な力の及ぶところではないのです.私たちがここで話すことは世界の耳目を引くこともなく,やがて忘れ去られることでしょう.しかし,彼らがこの地でなしたことは,永遠に世界の記憶に留められるのです.この地で戦った人々がこれまで気高くも進めてきた未完の仕事を完遂するために,私たち生きている者は,むしろ自らの身を捧げるべきなのです。
私たちの前には大いなる責務が残されています.名誉ある戦死者たちが最後まで完全に身を捧げた大義のために,私たちも一層の献身をもってあたること.これらの戦死者たちの死を無駄にしないと高らかに決意すること.神の導きのもと,この国に自由の新たなる誕生をもたらすこと.そして,人民の,人民による,人民のための政府をこの地上から絶やさないことこそが,私たちが身を捧げるべき大いなる責務なのです。なんと言う権威のある言葉ではありませんか。
もう一度、今日の福音書の中で汚れた霊に取り付かれた男がイエス様に叫んだ場面に戻ります。「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。あなたの正体は分かっている。神の聖者だ。イエスが「黙れ、この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人に痙攣を起こさせ、大声を上げて出て行った。人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うことを聴く。
マルコが「イエス様の評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった」 と書いたその理由はイエス様の話し方に権威があったからであり、悪霊をも取り払う権威があったからです。
これは私が何回も経験したことですが、人生の末期、それもあと数日、数時間の命と言われた時、神様を信じる信仰を持った人達は本当に強くなるのです。力が強いのではなく、神様に対しての信仰がさらに強くなり、死によってこの世の命は終わっても、神様と共に生きるという喜びをも確信するのです。
昨夜、私は同じオレンジ郡で日本人に向けて伝道をしている、杉村先生の奥さん、節子さんのお葬式に行ってきました。私は杉村先生も節子さんのことも聞いてはいましたが、会ったこともない、話したこともありませんでした。Memorial serviceの行われた、ウインターバーグ長老教会は400人以上の方でいっぱいでした。この教会からも松井誠史さん、安達牧師夫妻、芙美 Liangさん、深見祥子さん、白井倭文子さん、田中泱子さん、もしかしてほかのこの教会からの方もいらしていたかもしれません。2時間にわたるmemorial service でしたが、音楽も、皆さんの節子婦人についての思い出、特にこの人は1990年にUCLAの病院で心臓移植、それも日本人として恐らく初めての人でした。30年の結婚生活のうち22年病気、そして腎臓の悪化のため始めた透析も毎日なさっていたと聞きました。
しかし今それらの苦しみもなく、神様の元に帰られた節子さんは神様の身元にいるとそこにいた500人以上の方が、一人ひとり信じてくれたと思います。
キリストに従う者として一番の喜びは、毎日の生活の中で、神様の愛によって生かされていることを知ることです。それは人と人の付き合い、関係の中で、神様の愛をお互いに感謝する時です。その時を神様は私たちに与えてくださっているのです。聖餐式で、イエス様の体と血をを受ける時、イエス様はあなたとあなの隣人の中にいらっしゃるのです。あなたに慰めを与えてくださっています。あなたに毎日の生活の中でイエス様に従って生きてゆく力と精神を与えてくださいます。
私たちは決して独りぼっちになることはないのです。神様はいつも、いつも、あなたと共にいらっしゃるのです。どうか、そのことを信じて神様に愛されている人生をお送りください。アーメン。
週報通算#1198(日本語)
週報通算#1198(英語)
2012年2月のカレンダーを掲載いたします。
予定は変更する事がありますので、ご了承下さい。