December 26th, 2011

2011年12月24日クリスマスイヴ・燭火礼拝説教「客室と宿屋の違い」”Guestroom vs Inn”岸野豊牧師

牧師説教, by admin1.

 「客室と宿屋の違い」 “Guestroom vs Inn”  

 私たちの父なる神、および主イエス・キリストから、恵みと平安があなた方の上にあるように。アーメン。

 ただ今読みましたルカによる福音書は毎年クリスマスに読まれるイエス様の誕生の話です。この話を皆さんは何回聞いた事があるでしょうか?その内容を覚えていますか?ローマ帝国の皇帝、アウグストから人口調査をせよとの勅令がイエス様の生まれた年に出ました。人口調査の目的は、どこにどれだけの人がローマ帝国に住んでいるかを調べ、その調査に従って国民から税金を取るという制度を作るためでした。

 イエス様が生まれた時イスラエルは一つの独立国ではなく、ローマ帝国の植民地でした。ヘロデと言うイスラエルの王様もいましたが、この人はローマ帝国の操り人形のような王様で、ユダヤ人はこの王様を嫌っていたのです。このような政治的圧力の下でイエス様が人間の世界に赤ちゃんとして生まれて来たわけです。

 羊飼いたちが夜野宿をしながら羊の群れの番をしていた時、天使が現れて言いました。「今日ダビデの町に、あなた方の救い主がお生まれになった。あなた方は、幼子が布にくるまって飼い葉桶の中に寝かしてあるのを見るであろう」と。羊飼いたちが急いで行って見ると、マリアとヨセフ、そして飼い葉桶の中に幼子を見つけたのです。 赤ちゃんがもうすぐ生まれて来るというのに宿屋に空き部屋がない、宿屋の主人から「お客さんでいっぱいだ。ほかの所に行け」と言われてしまったヨセフとマリヤは、馬小屋で夜を過ごさなければならなかったのです。

 宿屋とは古めかしい言葉ですが、今風に言うならホテル、それもモーテルのような所だったのでしょう。それにしてもこの主人にはやさしさや、人に親切に対応する心が少しも感じられません。現代の私たちが考えれば、この人は意地悪な主人だしまうかも知れません。

 ある教会で行われたクリスマスの劇で宿屋の主人役をした9歳の男の子は宿屋の部屋を探していたヨセフとマリアにこう言いました。「空き部屋はもうない、ほら見てごらん、そこのサインに“No Vacancy”って出ているじゃないか。」ヨセフとマリアは悲しそうにその場面を出て行き始めたとき、宿屋の主人役を演じた男の子はこの二人を可哀想に思ったのか、台詞にはない次のような事を言い出したのです。「ちょいと待てお二人さん、ここから2ブロック行った所にいいモーテルがあるよ。そこには、ケーブルテレビ、HBO、Hot Tubもあるよ」と。ページェントの舞台裏で働いていた人達は、これを聞いていて、なんというクリスマス・ページェントになってしまったかと嘆いたわけですが、この9歳の男の子が演じた宿屋の主人の言った言葉には、深い意味が隠されていたのです。それが何かという事を、今皆さんに考えてもらいたいと思います。

 ヨセフとマリヤがベツレヘムに来た理由はローマ帝国の行った人口調査の為で、ユダヤ人の全てが、自分の生まれた町に帰ることを命じられていたからです。考えて見て下さい、それは特定の人だけではなく、自分の生まれた町に住む以外の者は全て、自分の生まれ故郷に戻り、そこで人口調査を受けなければならなかったのです。これは不合理なことかも知れませんが、ローマ帝国はこのような命令を下すことによって初めてそれぞれの地域の人口を調査する事ができたのです。 ヨセフとマリアだけが遠いところから来たのではなく、どこの町の中も自分の故郷に戻ってきた人たちで一杯だったはずです。

 ところで、この聖書の箇所を注解書を用いて読んでいた時、新しい発見をしたのです。それは聖書の中に書かれているInn と言う言葉は、新約聖書のオリジナルのギリシャ語では「カタルマ」で、その意味はゲスト・ルームなのです。それは宿屋とはまた違った意味を持つ言葉なのです。

 皆さんの良く知っている、Good Samaritan の話の中で強盗に会って半分死にかけていた人を最後に連れて行った所は、もちろん宿屋、ホテルです。しかしその言葉はギリシャ語で、「パンドケヨ」と言う言葉であり、「カタルマ」ではないことを皆さんに知っていただきたいと思います。ですからルカのこの福音書の中でヨセフとマリアが探していた宿屋はなかったけれど夜寒いときに馬や、ロバを寒さから守る為に入れていた所が提供されたのです。それはゲストには適していない所かもしれませんが、それでもある意味では体を楽にすることのできた「ゲスト・ルーム」だったのです。

 又、これは中近東の人たちの習慣ですが、お客さんが訪問した時、そのお客さんにホテルや、モーテルに泊まって下さいとは言いません。どんな小さい家の中でも、ありとあらゆるもてなしをして、寝る場所も整えてあげるのです。それは、中近東の人たちの習慣だけではなく、私たちも経験する「もてなし」ではないでしょうか。 私の家族はクリスマスの後、家内の実家に1週間に渡って行きますが、それは私の家族だけでなく、家内の7人の兄弟姉妹そしてその家族全体、23人が一つの屋根の下で過ごすという事です。二つのゲスト・ルームで寝られるのはせいぜい6人、その他の人達は応接間のソファー、リクライニング・チェアー、殆どの人がカーペットの上で寝袋に入って寝るのです。お金がもったいないからホテルに行かないのではなく、そこで皆と食べて、飲んで、踊って、笑って、一緒に楽しみたいからなのです。

 イエス様も生まれた時、沢山の仲間が周りにいました。羊飼いたち、天使、動物たち、それは家族ではないかも知れませんが、イエス様が皆さんに祝福されてこの世に来た事を語っているのではないでしょうか。

 神様が赤ちゃんの姿でこの世に来たのです。その赤ちゃんが、私たちと同じような生活をし、人間としての喜び、悲しみ、辛さも私たちと同じように経験したからこそ、私たちの心の奥底まで全て理解できるのです。その神様が今ここにあなたと共にいらっしゃいます。あなた方にお互いを愛し合いなさい、助け合いなさい、お互いを大切にして生きなさい。そして、イエス様に従う全ての者に永遠の命が約束されているのです。

メリー・クリスマス!イエス様がいつもあなたと共にいますように、お祈りいたします。アーメン。

 

 

 

 

 

 

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