February 7th, 2012

2012年2月5日顕現節第5主日聖餐礼拝説教「名声への道、それとも十字架への道』”Way of Celebrity or Way of the Cross”岸野豊牧師

牧師説教, by admin1.

マルコによる福音書1章29-39節

「名声への道、それとも十字架への道」  “Way of Celebrity or Way  of the Cross”

私たちの父なる神と主イエスキリストより恵みと平安が、あなた方の上にあるように。アーメン。

今日の福音書の中に幾つかの場面が書かれています。最初の場面はイエス様が彼の弟子として選んだペテロとアンドレの家にペテロの奥さんのお母さんを尋ねた場面です。イエス様は病気で寝ていたペテロの姑 の手を取り、起こし上げたその時、彼女は病気から癒されたのです。

次の場面はその夜、イエス様がまだカペナウムに滞在していた時、町中の病気の人たちがペテロとアンドレの家に、病気の者、悪霊に取り付かれていた者を連れてきた場面です。イエス様はさまざまの病(やまい)を患(わずら)っている多くの人々を癒し、また多くの悪霊を追い出した場面です。

第3番目の場面はイエス様は、朝早くまだ暗いうちに、寂しいところに行かれ、そこで祈っていた場面です。イエス様は一人でいる時と天の父なる神様と会話の時間がほしかったのでしょう。しかしながら、その静かな時もイエス様を追ってきたペテロによって破られたのです。ペテロは言いました。「イエス様、わたしはあなたがどこにいられるか探しておりました。みんながあなたを探しています。イエス様、あなたの人気は素晴らしいものです。このガリラヤであなたが私たちのうちにいることは私たちの誇りです。どうかカペナウムにお戻りください。皆さんがイエス様あなたを愛し、賞賛されています。どうかここカペナウムで素晴らしい奇跡の働きをなさってください」。

聖書には直接、はっきりと書いてありせんが、私は、イエス様は荒野で悪霊に試みられた時、一人で静かな所に行き、神様の御心を求めて祈ることにより、父なる神様の救いの計画、すべてのひとのための救いの計画を把握していたと信じます。悪魔はいつもイエス様に自分の名声、自分の徳というものを与えてイエス様を自分の見方にしようと思っていたのでが、イエス様は、その裏工作はまさに神様の愛の精神に反するものとして悪魔、悪霊を退けたのです。

皆さん、アメリカでの生活の長い人の中でPhil Donahue さんを覚えている方いますか? この人は1980,90年代にテレビで毎日20年も生放送のreality show のホストとして知られた人です。彼は自分の自叙伝を出しました。その中にある一つの話を紹介しましょう。Phil Donahueがまだ若いテレビのリポーターであった時、ある炭鉱で大きな事故が起こり、そこに送られて、現場の状況、心配で泣いている、祈っている家族とインタビューをしました。坑道の中の人との連絡が取れません。時間がたつにつれてますます家族の心配の思いが大きくなり、精神的、体力的にも疲れ果てた家族の人たちが続く中で、誰かが一つの讃美歌を歌いだしました。「慈しみ深き、友なるイエスよ、われらの弱きを知りてあわれむ、悩み、悲しみに沈めるときも,祈りに答えて、慰めたまわん」。そこにいた人たちも声をあわせて歌いだしたのです。歌がおわり、ひとりの牧師さんが、進み出、 “let us pray” と言って祈り始めました。「私たちに希望をください。あなたがすべての心の重荷を持つ私たちの祈りを聞いてくださることを知っています」。Donahue さんは、この讃美歌と祈りがこれまでに感じられたことのないほどの力を与えてくれ、神様は本当にいるんだ。私たちは神様によって守られているんだ。と言う今までになかった心の安らぎを感じたと本の中に書いています。

彼はテレビ・カメラにこの牧師さんお祈りと慈しみ深き友なるイエスの賛美歌が録画ていると思っていたのですが、実は、あまりの寒さにテレビ・カメラは frozen されてしまっていたのです。そこで、Phil Donahue さん、マイクロホンを持ってこの牧師さんのところに行き、「もう一度牧師さんが祈ったその言葉を言ってください。それをテ-プレコーダーにいれたいので」と頼んだのですが、それはできませんと牧師さんに断わられたのです。Donahue さんは言いました。「私はテレビのリポーターですよ。全国で260ものテレビ局と提携しているCBSのリポーターです。全国中で、この生中継が報道されているんですよ。あなたの祈りがアメリカ中の人々に伝わります。どうかもう一度、あなたの祈られた言葉をリピートしてください」牧師さんはそれでもNo との返事です。どうしてこの牧師は頑固なんだろう思ったわけですが、 考えてみれば、イエス様も頑固とは言わないにしろ、ペテロに「カペナウムに行きましょう。そこではイエス様、あなたは私たちの英雄であり、みんなはあなたをしたっていきますよ」。と言われて、“No, no, no,と叫んだのではないでしょうか。

 イエス様の言葉はこう答えました.「私はひとたちの人気に誘われてカペナウムまでいくことはしない。それ以上にまだ多くの人たちに神様の福音をすべての人に語る義務がある。そのために私は父なる神様から送られたのですから」。

イエス様は、すでに父なる神様から、この世に送られたその目的をわきまえていたのです。それは、すべての人たちの罪をイエス様自身が担って、十字架にかかり、その死と復活によってのみ、もう一度言います。その死と復活によってのみ、すべて悔改める者を、罪から赦され、神様を信じる者に永遠の命を約束したことです。しかし神様は私たちにこの神様の約束を受け入れるか、受け入れないかの決断を私たちの自由な意志に任せたのです。父なる神から示された目的は、世界のすべての人たちに神様の救いの約束を宣べ伝えることです。

これは少し今日の説教から脱線するかもしれませんが、いつも説教の中で話したこともないようなことを皆さんにお話したいのです。

私は神様が、私たちを操り人形のように造られたのではなく、一人ひとりに自分の意思、自分の確信、Conviction で生きることを求められていると信じます。それは私にとって、聖書を読み、神様の私たち一人ひとりに下さっている愛を感じることです。

私はクルスチャンの家庭に生まれたことを感謝します。それはイエス様、神様という方の話しを教会の中で、聖書の中で読む機会を与えられていたからです。キリスト教の教えがどのようなものであるかは小さいときには分かりませんでしたが、聖書はむずかしいと言うより、聖書は神様のLove letter のように感じていました。ですから、神様は私にとって身近にいる、慰めの存在であったのです。悪いことをして神様から怒られるだろうと何回も思ったことはありましたが、神様から赦してもられることも知っていました。今でもそのように私の神様に対しての信仰は非常に単純なのです。

はっきりいって、私がどうして神様を信じることができるのか時々不思議に思えることがあるのです。しかし信仰と言うものを良く考えてみますと、信仰は私たちが作る、起こすものではなく、信仰自身も神様が私たちに下さったギフト、賜物です。つまり、私たちが神様を信じることもできる信仰も神様からいただいたギフトなのです。

さて今日の福音書の戻ります。「イエス様は朝早く、まだ暗いうちに人里離れた所へ出て行き、そこで祈っておられた」。と書いてあります。

宗教改革を始めたマルチン・ルターは毎日の祈りの時を大切にされた人です。宗教改革の後、カトリッツク教会から破門されたルターは、カトリック教会の善行による義認、つまり、良き行いをすることで人は救われると言う教えを全面的に否定したのです。

人は神様に対して、どんな良い行いをすることによって救われるのではなく、私たちの罪を認め、神様にご免なさい、いつも罪と汚れに満ちた私ですが、あなたの恩恵により私たちを赦し、あなたについていける、あなたの教えを守ることができる私たちにしてくださいと祈るのです。これは私たちの日曜ごとに礼拝の中で行われる神様への罪の告白と、神様からの罪の許しを受けることです。

マルチン・ルターは朝早く起き、一日の初めを3時間にも渡って神様に祈ることではじめたのです。それは祈りの中で、神様と会話の時を持ったと言ってもいいでしょう。イエス様自身も、時間をかけて、静かなところで父なる天の神様と一生懸命祈ったように、マルチン・ルターも同じように神様の御心が分かるように祈ったことを模範にして、私たちも祈りの時を今まで以上に大切にしなければなりません。

神様は私たちの心にあることはすべてご存知なのですが、私たちの心の中にある一つ一つの思いを神様に告白することが大切です。そして神様に、どうか私、私たちが、神様の御心にかなう、毎日の生活ができますようにと祈るのです。私たちが真剣になって祈ることは神様が必ず聞いてくださいます。

昨年3月に起こった東日本大地震と津波の災害のあとすぐ、日本福音ルーテル教会は震災復旧を目指しての働きに入りました。

去年の11月の日語伝道23年目のお祝いの礼拝の中でメッセージを下さった、立野先生と二年ぶりに私たちの教会を尋ねて下さった伊藤先生は昨年の三月におこった東日本地震と津波の災害地である仙台で、「ルーテル教会救援隣人」の名のもとに、災害を受けた人たちに少しでも、一緒になって復興を目指す仕事を始めたのです。この一緒になってというこの言葉は、大切な言葉です。悲しみに、苦しみに、心も、体も疲れきっている隣人を自分の兄弟姉妹として助け合うことです。共に泣くのです。今あなたの苦しみを私も一緒に背負っていきましょうとお互いを助け合うのです。

何故こんな悲惨なことが起きたのでしょうという問いに答えはありません。しかし大切なのは、そこで悲しみに浸っている人たち、私たちの隣人と一緒にいてあげることです。物を分け与えることも大切ですが、人間として一番大切なのは、一緒にいてあげることです。私たちの祈りに災害にあった人たちのために祈ることです。

イエス様のガリラヤ湖の湖畔にあるカペナウムの町で始まった伝道はこれから3年間に渡ってのイエス様の人々たちに対しての愛と思いやり、心と体の癒し、そして神様の救いについての教えの働きです。

それが今ここ、アメリカと言う地で、また、世界のあらゆる国で2千年以上続けられているのです。どうかこれからも、私たち一人ひとりが、イエス様の心を私たちの心として受け取り、神様の愛を言葉と、行動によって人々に分かちあえるよう祈りましょう。アーメン。

Back Top

Comments are closed.