February 13th, 2012

2012年2月12日顕現節第6主日聖餐礼拝説教「イエス様、清めて下さい」”Jesus,Make Me Clean” 岸野豊牧師

牧師説教, by admin1.

マルコによる福音書1章40-45節「イエス様、清めてください」 “Jesus, Make Me Clean”

私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安があなたの上にありますように。アーメン。

ここにいるお母さんたちに質問します。子供たちがまだ小さかった時、「お母さん、私を抱いて」あるいは「ママ、抱っこしてよ」と言われた時、なんて答えましたか?答えは「おいで、だっこしてあげるわよ」ではなかったでしょうか?

ところで、同じ息子、娘が公園の砂場で砂と泥んこのお団子を作っている。そのお団子をもってきた汚れたままの手で、「ママ、抱っこして」と言われたらどうしますか?「触らないで、お手手洗いなさい、きれいになったら抱っこしてあげるから」ではなかったでしょうか?小さい子供はどうも好んで泥んこの中で遊ぶのが大好です。それは私も同じでした。私の通った幼稚園は毎日男の子でも、女の子でもエプロンを着て、幼稚園に行ったのです。

泥んこの子供を抱き上げるのは少し抵抗あると感じるお母さんも、転んで、怪我をした、ひざから血が出ている、そのような娘、息子が、泣きながら「ママ、抱っこ」と走って来た時自分の服が汚れるなんて思わずに、すぐに、息子さん、娘さんを抱きしめたのではないでしょうか?また、「お母さん、私ころんで怪我したの、血が出てる。痛いの。この痛い、痛いを治してちょうだい」。そして、お母さんの腕の中で抱かれると、いやなこと、痛いこと、悲しいこともすべて取り去られるよう感じなんです。オキシフルとマーキロを塗ってもらってもう良くなる、大丈夫だと子供心に安心したのです。

今日与えられた福音書の記事を読んで、ハンセン病で心も体も傷ついているこの男と怪我をしてお母さんと呼んで助けを求めた子供、そこに共通点があるのです。あなたの慈しみによって私を治して下さいという願いです。

最近は人を差別すような病気を口に出したらいけないと言われているので、この話に出てくる男の病気を英語では “Hansen’s disease” と言います。この男、イエス様に、「私の病気を治してください」とは言わず、「私を清めてください」と言ったことに気がついた人もいると思います。それは同じことと言われるかもしれませんが、この男がそう言った理由は、ハンセン病」はこの人に肉体が朽ちてゆくという問題を与えていたわけですが、彼の「清くない」状態は神様からも見放されていると言う意味があったのです。

このハンセン病は4千年前にそれに似たような病気として記録されています。症状はと言うとはじめに目頭と手に白い斑点が出てきてそれが体中に広がるのです。髪の毛は色素を失い、白くなる、そして鱗のような物ができてそこから膿が出てくるのです。しかしそれは皮膚の表に関したことであって皮膚の下では、神経が侵されるようになり、次第に痛みも、かゆみも感じなくなるのです。石につまずいて、足の親指を怪我したにもかかわらず、痛みを感じない、かなずちで釘を打っていた時、間違えて親指を打ってしまった。それなのに痛みを感じられないのです。

インドのハンセン病人の隔離された施設には手の指、足の指のない人が多い、その理由はと言うと、神経を侵された手と足の指は彼らが夜寝ているうちに、ねずみに食いちぎられたからだと言われています。耳も、鼻も腐った果物のようになり、最後には目も犯されてしまうのです。

実際には、ハンセン病に罹ったものは、皆から村八分にされたと同じです。人に近寄ってはいけないし、同じ家には住めません。洞窟のようなところで他のハンセン病の人と共同生活をしていた訳ですが、その仲間らも、一人ひとりこの病気に呪われるように死んで行くのです。食べ物はと言っても畑仕事をするところもなく、道端で物乞いをし、時々投げ出された食べ物によって一日、一日を夢も希望もなく心の悲しみから抜けきれない毎日を送ったのです。

きっと、家族の元に返りたい、一緒に食事をしたい、一緒に安息日に会堂に行きたい、そこで神様に感謝したい、友達と抱き合って喜びの思いを分かち合いたいと思っていたに違いありません。この病気の初期には両親もある距離を保ってこの病気の男を時々訪ねたでしょう。しかし病気が進んで行くと、家族の人たちも来くなる。お母さんだけが月に一回ほど何か食べるものを持って来てくれた。しかし今ではだれも尋ねてくれない。

そんな希望もなくなっていたある日、福音書の中に描かれているハンセン病の男はイエス様が街に来ていると聞いたのです。このイエス様は自分を神の一人子と呼んでいる。イエス様は病気の者を癒し、歩けなくなっていた者を歩くことができるようにし、目の見えなかった者の目を見えるようにした。

マルコによる福音書の140節に、こう書いています。一人のらい病人がイエス様のところに願いに来てひざまずいて言った。「御心でしたら、清めていただけるのですが」。私が思うに、彼は「私は神様を礼拝したい、賛美したい」。「私は神様の人々の一人になりたい」「私は会堂に行ってみんなと共に神様に賛美の歌を歌いたい」。「私は私の手でほかの人たちに触れてみたい」。「イエス様どうか私を清めてください」。イエス様は深く憐れみ、手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、清くなれ」と言われたのです。私は思うのですが、神様は悲しみに浸っている人、希望のない人、家族も友達もない人、泣いている人の中で、神様と密接な関係をもてるようにと、私たちに呼びかけているのです。

ハンセン病、また同じようにAIDS と言う病気にかかっている人、精神的に苦しんでいる人、handicap を持っている人、家族と別れて、老人ホームで寂しい思いをしている人、世間から見放されて生きていると思っている人たちを私たちの祈りの中に覚えるのです。それは神様が私たちに下さった思いやりの精神です。私たちは、一人ひとりが福音を宣べつたえる者として世に送られていることを覚えてお互いを大切にして生きていかなければなりません。

今週の水曜日から1週間日本に帰り、母と共にいる時を持ちます。老人ホームから手をつないで、ゆっくり歩いて、駅前のお店で、おしるこを食べながら、昔のことを話すことになるでしょう。今のことが良く分からない母ですが、昔のことは良く話します。私の小さい時、母の家族が疎開した富山の魚津と言う漁港町に毎年の夏休みに行きました。蒸気機関車の時代です。汽車とプラット・ホームに大きな隙間があり、汽車から降りる時、6歳の私はそこに落ちてしまったのです。今でもそのことは私の怖かった思いとして時々思い出します。母の叫びも忘れられません。「助けて、助けて、息子がプラット。ホームから落ちました。助けてください」と。プラット・ホームに引き上げられた時、母が興奮して泣いていたのも覚えています。そんなことお母さん、今でも覚えているかな。父が亡くなって一年半たちましたが、今でも「お父さんこの頃見ないよ」どこにいっちゃったのかしらと言うその母に少しでもいっしょにいて親奉公をしてあげたいのです。ホームの人たちからは「お宅のお母さん、いつも礼拝にいらっしゃいますよ。讃美歌を歌うのがとてもお上手です」。と言われています。本当だ、お母さんと讃美歌歌おう。

最後に、ここで言いたかったことは私たちも一人で孤独にならないよう心がけましょうということです。人と人の触れ合いを大切にしましょう。それは今教会の中で、一緒に聖書を読むこと、一緒に祈ること、一緒に食べること、笑うこと、一緒に悲しい時も祈りで過ごすこと、そして、イエス様は本当に大切な私たちの仲間をここでくださっているのです。ですから、お互いに喜びと苦しみ、悲しみを、共に分ち合うことのできる私たちになれますよう導いて下さい。あなたが私たちに下さった家族、友達、信仰の仲間を大切にして生きていけますように。アーメン。

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