February 27th, 2012

2012年2月26日四旬節第1主日聖餐礼拝説教「虹の行くて」”The End of the Rainbow”岸野豊牧師

牧師説教, by admin1.

創世記9章8-17節「虹の行くて」     “The end of Rainbow”

 私たちの父なる神、主イエス・キリストから、恵みと平安とが、あなた方にあるように。アーメン。

今日の説教をはじめるにあたって、私が小さい時よく歌った童謡があります。たぶん皆さんも知っていると思います。「雨雨降れ降れ母さんが・・」と言う歌です。どうぞ私と一緒に歌ってみてください。

「雨、雨降れ降れ母さんが、蛇の目でお迎え嬉しいな、ピチピチ、ジャブジャブ、ランラララン」。雨が降ると外で遊べないけれど、水たまりに足ふみをして遊ぶのも面白かったわけです。でもお母さんに叱られました。「ゆうちゃんだめよ、どろんこになっちゃって」と。

雨と言うと、もう15年前ですが、家内とハワイのカワイ島にバケーションで行ったときの雨の思い出があります。世界のうち一番雨の降る量の多い所はカワイ島で、それも島全体にというよりは、島の一番高いところで、そこでは殆ど毎日にわか雨のような激しい雨が降るのです。Internet で調べたところカワイ島では一年に平均1200460 inches 雨量があるのです。

ヘリコプターに乗り、島の全体を空から見ることにしました。カワイ島はJurassic Park と言う怪獣の映画の撮影場で知られたところで、素晴らしい滝がいたるところにあると聞いていました。ヘリコプターに乗った時には、晴天の素晴らしい日でしたのでそれは見られないで残念と思っていた矢先、黒い雲に包まれて風も激しくなって、ヘリコプターもがたがた震えだしたのです。ヘリコプターのパイロットは今度はぐっと高度を上げて雲の上に出ました。パイロットは言いました。ここでしばらく待ちましょう。雨はすぐやみますから。初めてのヘリコプターでこんな怖い思いをしてはらはらしていたところ、雨は急にやみあがり真っ青の空が出てきました。それと同時に島のいたるところで滝が水しぶきと共に見られるようになり、一番素晴らしい光景は、滝の上にかかった大きな虹の姿で、それもいたるところに同時に出たのです。

今日、受難節の第一日曜日の旧約聖書の日課はノアの箱舟の話です。この話は、アメリカでは小さい子供も知っています。子供たちもイエス様の誕生の物語の次によく知られている聖書の話と聞きます。ノアの箱舟は神様に従うよき人々、それはノアの家族、そして神様の創造されたすべての動物のペアを箱舟に入れて洪水から救おうと言う物語の反面、神様に従わない人間たちをすべて滅ぼすという恐ろしい背景のある物語であり、そのところを強調するならば、子供たちに向かない物語なのです。40日間に亘った洪水で地上がすべて水に囲まれ、ノアの箱舟に入っていたノアの家族、そこにいた動物だけが洪水が終わって救われたのです。勿論ノアが箱舟を作り始めた時、人々は彼をあざけって「ノア、お前は馬鹿なやつ、洪水で人間が滅ぶなんてそんなことはありえない」と言ったはずです。

さて教会によっては聖書を文字通り読み、地球の表面すべてが、ノアの箱舟の話のように水で覆われたと信じる人もいます。私がテキサスで何人かの牧師さんたちと聖書の物語をどのように解釈するかと言う討論会に出た時、勿論地球は、神様の裁きによってすべて水に覆われたと信じる牧師さんたちが多いのを思い出します。つまり、ノアとその家族だけが、正しい人たちで、箱舟で救われたが、ほかのすべての者は皆神様を信じなかった悪人だったというのです。

ノアの箱舟の話は、わたしは善人、あるいは、悪人という定義を話すのではなく、神様はこの話を使って神様に従ったノアとその子孫、それはユダヤ人だけでなくすべての人を救う方であるとはっきり言いたいのです。

今日、このノアの箱舟の舞台になったであろう今のチグリス川、また、ユーフラテス川はペルシャ湾に行き着く古代の文明の発祥地です。特にこの二つの川はペルシャ湾に到着するころ並行して流れています。これらの川の川上で大きな嵐があったのは歴史的にも知られています。考古学の学者は大きな嵐があった時に川下、今のイラクのペルシャ湾に注ぐ地域、それはチグリス、ユーフラテスの間にある地域がすべて川の洪水に飲まれた時がありました。聖書にこの箱舟の話の後、出てくるの話はアブラハムが今まで住んでいたウルというまさに洪水を何回も何回も経験している地からカナン、つまり今のユダヤの国に行きなさいとの啓示を受けた話です。

さてノアの話に戻り、彼は神様から言われたことをすべて行ったのです。近所の人たちからからかわれたでしょう。フットボールのコートのような大きさの船を作り始めた時ノアは、いったい神様の言われる洪水が本当に来るのだろうかと疑問をもったと思います。しかし大切なことは、彼が疑問を持ったにしろ、神様の命令に従ったと言うことです。それは神様を信じる信仰です。これは私たちにも言える、大切な信仰の概念ですので、もう一度言います。

私たちは神様に対していつも疑問を持っています。神様に、何故、どうして、何で神様、そんなことがありえましょうかとの疑問です。しかしながら、信仰とはそれ以上に神様を信頼して神様に従う。それが信仰の態度なのです。

ノアについて言うならば、「ノア、お前はこれから起こる洪水でお前とお前の家族そして地上のすべての動物、鳥、を救うために箱舟を作りなさい」 という神様の命令に従ったのです。

40日間に及ぶ洪水が終わり、箱船の中の生き物がすべて救われたその時、神様は虹を作ったのです。虹を見ると素晴らしい、綺麗だ、どうしてこんな美しいものが、まだ太陽が輝きながら、しかし雨上がりの時に出るのだろうかと不思議に思います。ハワイでは、毎日見ることができる虹ですが、普通私たちが虹を見ることができるのは一年のうち5,6回でしょう。しかし、この虹を見る時、神様が「これは私とあなた方の間に結ぶ契約である」 と言われたその神様の言葉と私たちを愛してくださっている、また、神様は私たちを見捨てないという約束を思い出してほしいのです。

私たちの教会では毎日曜、イエス様の聖餐を受け取ります。これはイエス様の体を現すパンとイエス様の流された血を顕わすぶどう酒、あるいはぶどうのジュースを私たちの5感、目で見ること、手で触ること、口の中で、味わうこと、においを鼻で感じることによりそこにイエス様がいるんですよと経験するのです。私たちはこの5感を持ってそこにイエス様がいらっしゃることを知るのです。

虹が神様の私たちへの救いのシンボルであるように、聖餐はイエス様こそ我らの父なる神と信仰告白する私たちに与えらた、喜びの行事です。またこの神様が私たちと共にいらっしゃる喜びは、私たちの信仰生活の中でイエス様に従う弟子として生きる力を与えてくださるのです。

ああ、虹について一つ言い忘れたことがあります。と言うのは皆さんのうちに、晴れた、晴天の日に出る虹を見たことのある人、いらっしゃいますか?もちろん、答えは 「NO」で晴れている日に虹は出てこないのです。空に大きく虹が出てくる時は大雨、嵐の後です。雷の大きなゴロゴロとの大きな音と稲妻のピカットと光る嵐の後です。

同じように、私たちの人生も嵐に襲われることがあります。しかしイエス様に従う信仰を持った者に、神様は嵐の後に素晴らしい虹を与えてくださるのです。わたしたちが、思い悩むその人生の難しい時を過ごさなければならない時もあるのです。その後に神様の大きな、私たちに対しての思いやり、神様の恵みが下ってくるのです。人生が自分の思うままに暮らされている時、虹は私たちの目の前には出てきません。

難しい人生をとうして、信仰が揺さぶられた時、そこに神様の恵み、哀れみ、神様の愛が心の奥底まで私たちに賜物として与えられるのです。

最後に皆さんに質問したいことは、虹の行き着く所には何があると思いますか?アメリカ人はそこに “ Pot of Gold”、金貨のたくさん入った壺があると言います。 私はそこに神様の恩恵 Graceが見出されると信じます。

いつかまた虹を見た際には、どうかそこで、神様の愛があなたに何時も与えられていることを心の中に感じてください。アーメン。

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