September 11th, 2012

2012年9月9日聖霊降臨後第15主日聖餐礼拝説教「イエス様の恵みと哀れみ」”The Grace and Mercy of Jesus”岸野豊牧師

牧師説教, by admin1.

マルコによる福音書 7章24-37節「イエス様の恵みと哀れみ」“The Grace and Mercy of Jesus”

私たちの父なる神と主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなた方の上にありますように。アーメン。

私の家族は子供がまだ小さい時から子犬を飼い始めました。一時は大きなラブラドルという犬もいましたが、カリフォルニアに移ってからは、ミニチュア・ダックスフンドとプードルが、家族の仲間入りをしました。小さい犬は可愛いし、子供たちが小さかった時は一緒にベッドに寝ていたのです。しかし郵便屋さん、小包の配達人が来ると、ワンワン、キャンキャンとうるさいこと。お客さんが来ても同じで困り201299ましたが、良いのは泥棒よけです。

今日の福音書を読んでいた時、「穢れた霊に取り付かれた幼い娘を持つ女が、すぐにイエス様のことを聞きつけ、来てその足元にひれ伏した。女はギリシャ人で、シリア・フェニキアの生まれであったが、娘から悪霊を追い出してください」と頼んだのです。イエス様は答えて言いました。「まず、子供たちに十分食べさせなければならない。子供たちのパンを取って、子犬にやってはいけない」。ここで子供たちとはユダヤ人のこと、子犬とは、異邦人のことを言うのです。これはイエス様の言葉遣いとして何とギリシャ人のお母さんを見下した言い方だと、私はイエス様に対して本当にこれがイエス様の思いなのかと疑問を持ったのです。しかし、イエス様は神様の愛を旧約聖書に親しんでいたユダヤ人を初めとして、世界のすべての人々に伝えることとができるよう計画されていたのです。

イエス様はユダヤの土地から今までに出ることはなかったのですが、今日の福音書の記事はイエス様が当時、ギリシャ語を話すイスラエルの北にあるシリア、それは、20129月現在Civil Warの起こっているそのシリアです。これは、聖書の中で、イエス様が、始めてイスラエルから、異邦人の所に出かけていった時の話し、そしてこの外国人の土地でイエス様は自分の娘が病気で心を痛めているお母さんの願いを聞き入れて、娘の病気を直してくださったのです。この土地はイスラエルの国からはそんな遠くはなかった。ですから、イスラエル、シリアを行ききしていた人達は、イエス様の評判を聞いていたはずです。イエス様が奇跡を起こすことのできる人、イエス様は愛に満ちた救い主との評判を知っていたでしょう。

諺に、「藁をも掴む思い」と言う言葉がありますが、この悪霊に取り付かれていた娘さんのお母さんは必死に自分の娘から悪霊が離れるようにと毎日祈っていたはずです。きっとそれは今で言う癲癇(てんかん)、epilepsyのようなものだったと思います。もう20年前のことですが、私の娘、katie がまだ5歳の時、朝いつものように学校に行き、家に帰ってきたとき少し熱がありました。風でも引いたのではと、娘に薬局で買った風薬を飲ませ、その夜は早く休むよう寝かせました。しかし、ごほん、ごほんと咳を繰り返している娘が私たちの寝室に入ってきて、体がだるいことを泣きながら訴えました。子供の痛みは親の痛みです。しかし夜中で、行きつけのお医者さんのところにはいけないし, 家内に調べてもらって住んでいたCorona という町から8 mile 先のRiversideにあるUrgent Care に車で飛んでいきました。そこに着いて、驚いたことに、この夜中に20人ほどの大人、子供がWaiting Roomで、私の娘のように咳をしながら自分たちの呼ばれる番を待っていました。皆何かだるそうな顔つき。お医者さんに見てもらう前に、看護婦さんが来て、「あなたの娘さん、どうもインフルエンザにかかっているようね。ここに来ている患者さん、殆の人達も同じ病気に罹っているようです」と。タオルを水に浸したものを貰って、ぐったりした、体の熱い娘を看病して、2時間ほど立ち、やっとお医者さんに診察して貰いました。

看護婦さんの言っていた通り、娘はインフルエンザに罹っていたのです。お医者さんから処方箋を貰い、今度は薬局に車を飛ばし家に帰ってきたのは夜中の2時を超えていました。当時は携帯電話も持っていない時で,何が起こっているかもしらなかった家内も心配で泣いていました。自分の娘、息子が苦しんでいる時、その苦しみは親の苦しみでもあります。ですから、今日の福音書のお母さんの娘に対する心配事は分かります。このお母さん、イエス様の評判を聞いていたのでしょう。今まで誰も娘さんの病気を治してくれる人は独りもいなかったのです。お母さんは、このままでは、娘も死んででしまうのではないかと心を痛めていたはずです。それに今のように病気になった人達は何が原因でそのような状態になったのか分からなかったでしょう。引き付けを起こしたからといって、それが、頭の中での Chemical unbalance  であるとか、細菌が体の中で炎症を起こしている、それを調べる方法は今でこそありますが、イエス様の時代にはそれが悪霊の仕業と思われていたのでしょう。

イエス様の時代に私が生きていたら、自分の子供が、大きな病気にかかっている、そのような時に、私だってイエス様と言う偉大な方を求めて、イエス様の前にひざまずき、「イエス様、お願いです。わたしの子供を救ってください」と言ったはずです。親にとって自分の子供以上に大切なものはないのです。自分の命に代えてまで子供に生きながらえてほ欲しいのです。このお母さんは必死です。私と私の娘を哀れんでくださいと何回も、何回も、何回も、イエス様に食いつくようにお願いしたにありません。イエス様の力のほか娘の回復はないと信じたからです。まさにこのお母さんは、子犬のようにうるさくほえ続く中で、イエス様はとうとう、彼女の願いを聞いてくださったのと思います。この福音書の話の中で私たちは色々なことを教えられますが、大切なことはこのお母さんはユダヤ人ではないということです。この女性はシリア・フェニキアの女です。ユダヤ人でない人が、イエス様を信じたのです。イエス様を信じるとは、イエス様こそ神から来た人と認めることです。しかし、旧約聖書を良く調べてみるとユダヤ人以外の人達にも神様が異邦人にも哀れみと慈しみを与えている記事によく出会います。

創世記の中でアブラハムの奥さんであるサライには子供が与えられず、悲しんでいたのですが、サライは自分の女中であるエジプト人のハガイをアブラハムに与えてイシマエルという子供をもうけたのです。妊娠したハガイにサライはきつくあたります。ハガイは、サライのもとから逃げたのですが、主のみ使いはさ迷うハガイを見つけてサライのもとに帰りなさい、私は、あなたの子孫を海の砂のように数え切れないほど多くふやすと言ったのです。これは創世記16章1-10節に書いてあります。ユダヤ教もキリスト教も回教も天地創造、また人間を作られた神様は同じ神様です。アブラハムはこの3つの宗教の中で、同じ神様の救いの契約を結んだ大切な人物です。それを知って、ユダヤ人、クリスチャン、回教徒が何世紀にもわたってお互いを傷つけあってきたのを知ると悲しくなります。

私は前に説教の中で、何回かMother Teresaについて語ったことがあります。Mother Teresa Yugoslaviaの出身のカトリックの修道者でしたが、インドに渡り、そこでいろいろ異なる宗教の人々の中で、また、みんなから嫌われていたカルカッタの貧民街で、家族のない人達、飢え死に寸前の人、夜寝るところもない人達に神様の哀れみを60年にわたって施してきたのです。仏教徒であろうか、イスラム教徒であろうか、ヒンズウ教徒であろうか、クリスチャンであろうか、宗教の違いを超えた人間として愛し、愛されることにMother Teresa は命をかけて生きてきたのです。すべての人間は神様に愛されていることを信じ、毎日、毎日の生活の中で、世間から見放された、忘れられた人達に愛の奉仕をすることに命を懸けたのです。同じように、私たちがほかの人間を無条件で愛することができるかという問いに、「はい、できます」とはっきり言える人はどれだけいるでしょうか? しかし、他人に対しての愛を実行することができるような人間になれますように」と神様に祈る時、わたしたちは神様から、人間としての本当の思いやりの心をいただくことができるのです。

私は、イエス・キリストを私の救い主と告白します。イエス様の愛によって、私も毎日の行動ができるように祈ります。さらに、私たちは世界の中でいろいろな宗教の違いがあっても、同じ人間であるという共通点からお互いを助け合って生きて行く私たちになりたいのです。お互いを助け合い、共に泣き、共に笑い、共に祈ることができるのは そのこと自信が、私たちが神様からいただいたギフトなのです。誰もこの世の中でひとりだけでは生きてはいけません。イエス様に私たちの求めているものを知らせてください。イエス様は、必ず私たちの祈りに耳を傾けてくださいます。

キリスト教はユダヤ教を母体としてイエス様の十字架の死後2千年にわたり世界のいたる所までイエス様の福音を述べ伝えてきたのです。これは最近のことですが、私の学生時代の友からe-mailで私たちの人生についての質問が入るようになりました。その友その中で一番語られることは年取った両親の面倒を見ること、また両親が亡くなったこと、定年引退後の人生の過ごし方、息子、娘さんたちの情報、そしてお孫さんのこと。私たちはどこにいても同じような話に花を咲かせるのですね。しかし、ここにいる皆さん、私たちは皆同僚です。兄弟姉妹です。同じ日本の土地からアメリカに来た私たち、その理由は何であったとしても、今ここで心を開いて語れる人達がいるのです。一緒に励まし合い、喜びの時も、悲しい時も、一緒に祈ることのできる私たちです。

今日の福音書で、イエス様に出会ったお母さんのように私たちもイエス様に私たちの祈りをささげ、イエス様の恵みの言葉と平安をいただきましょう。イエス様が私たちを見放すことはいたしません。そして私たち一人ひとりがイエス様の心を持ってお互いを支えながら生きてゆくこの教会を神様は私たちに下さっているのです。アーメン。

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