December 29th, 2012

2012年12月30日降誕後主日聖餐礼拝説教「もう12歳?」”He’s Already Twelve?” E. Carl Zimmermann牧師

牧師説教, by admin1.

“He’s Already Twelve?” 「もう12才?」
ルカによる福音書2:41-52

私の孫達が幼い時、彼らは完璧でした。悪い所等何処にもなく、目に入れても痛くない程可愛い、私に喜びを与えてくれる存在でした。ところが、気になる変化が起こり出したのです。孫たちに「独立心」が芽生え出し、おとなしくひざに座っていてはくれず、立って歩き出し、何にでも手を出し始めたのです。割れ易い貴重な飾り物をおもちゃにしたり、鍋やフライパンを叩いてさわいだり、そして「NO (イヤ)!」と言うことを覚えました。食べ物の好き嫌いが激しくなり、また嫌がらせを面白がって頻繁にするようになりました。私の二人の可愛い孫達は何故変ってしまったのでしょう?そして12才になると、今までに増してもっとひどくなりました。以前のように私に甘えて抱っこすることもなくなり、むしろ私の事を現代から取り残された、ジョナスブラザースもジャステインビーバーが誰であるかも知らない、渋顔の禿げ頭の爺さんとしか見ないようになってしまったのです。たった12年の短い間にこれほどの変化が起こるとは全く驚かないではいられません。

今日はクリスマスの数日後ですが、聖書には子供のイエスの話が出てきます。もう12歳の彼は、エルサレムで生まれた赤ん坊ではなく、思春期の青年です。きっと彼も親を悩ませたことでしょう。
皆様もこのお話をご存知でしょう、彼らの習慣で、マリア様とジョセフは過ぎ越しの祭りを祝うためにエルサレムに行きました。過ぎ越し祭は大切な風習の一つで毎年首都のエルサレムで行われ、男性は必ず参加するべきことに決まっています。女性は特に参加する事を強いられてはいないにも拘らず、マリア様も参加したという事から見ても、この家族の信仰がいかに深いかが理解できます。祭りがすんだ後、マリアとジョセフはナザレへと帰途につきました。でもイエスが同行していないことに気が付くと『多分どこかのマクドナルドにでもよっているのではないか?』『遊園地にでも行って遊んでいるのではないか?』と大急ぎでエルサレムに引き返しました。勿論二人はイエスを神殿で見つけるなどとは、考えても見ませんでした。でもその神殿の中に長老やラビ達に混ざって座り、重要な聖句やユダヤ教のしきたりについて討論しているイエスの姿を見つけたのです。この神殿での話しから、どれほど主イエスが幼い時から御言葉を熱心に学んでいたかがわかりますね。でもユダヤ教のこの年齢の子供達はほとんどが宗教の勉強を厳しくさせられており、ほぼ全部がトーラの79847語を暗記していました。しかし、み言葉を暗記したからと言って、必ずしもその意味を理解したとは限りません。それがこの話の特徴であり、そこに重点があると思うのです。12才のイエスは聖書の最初の五冊を暗記したことを自慢する為に神殿に行ったのではありません。彼は聖書の言葉の深い意味を学びに行ったのでした。ここで学ばされることは、私たちがどれ程知り尽くしていると思っていても、実際はもっと学ぶことが沢山あると言うことです。特に神様の御言葉に関してはそう言えます。考えてみて下さい、イエス様が御言葉を読み、学ぶ事が大切だと思っていたというのですから、私達にとってもそうすることが大切だとは思いませんか?

ルカが私達に言っている、イエスは背丈も伸び成長した、という事は身体が成長して衣服が合わなくなったという事だけではなく、賢く成長したという事なのです。聖書の中での「賢い」と言う意味にはいろいろありますが、一つは「神の深さを分かりそれを説明する事ができる」とあります。神の心を理解し人々に伝えることに勤めると言うことです。簡単なことではありませんね。

私が大学生のときに初歩の化学を取りました。私はもともと化学は苦手ですが、私の化学の成績の悪さはむしろ教授に問題があったと言っても良いかと思います。この教授は優秀な人でしたが、人に、特に私のような初心者に解るように説明して教えることは出来ない人でした。

イエスはトーラを暗記しましたが、それだけでは充分でなく、もっと理解して人々に説明できるように勉強したかったのです。それは私達にとっても価値ある目標ではないでしょうか? 

皆さんにお尋ねします:皆さんの中で聖書は私達に取って最も重要な信仰の本であると信じている人が何人いますか?何人の方が、聖書を理解する事が難しいと思っていますか?最後の質問ですが、皆さんの中でどこかの聖書を学ぶ会に出席している人は何人いますか?

皮肉な話ですが、私たちが神様の御言葉として敬愛している聖書ですが、この66の本には、自分一人では理解出来ない、頭を抱えてしまうような箇所が沢山あるのです。それにもかかわらず、その分からない箇所に時間をかけて学び、理解しようとする人は僅かしかいないのです。聖書研究に集る人数よりも、チリの料理競争に集まる人の数の方が多いと言う事です。おかしいなとは思えませんか?イエス様は賢く成長されました、それは御言葉の深い意味を学ばれたからです。私たちも同じように求めるべきではないでしょうか。

この年ももうすぐ終わりです。新年の抱負としてこれらの事を目標にしてみませんか?
毎日聖書を読む事。一生懸命に、皆さんと一緒に御言葉を学ぶ事。それらの御言葉を心に留めて祈る事。そして、熱意を持ってそれらの御言葉を分かち合う事。

これらの目標を達成する事ができたなら、2013年が終わる時には、あなたはきっと周りのだれよりも賢い者となる事でしょう。 アーメン。

民 Day訳

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