今週は毎日、とくに火曜から金曜は毎日会議、そして今日は結婚式・洗礼式とあり、聖書観想の掲載がなんと土曜の遅くになってしまい申し訳けありません。
2017年11月12日(日) マタイ25:1-13
先週読んだ時は特に思い出さなかったが、今週は読んでいて、「油断」という言葉を思い出した。日本語で生活をしている人は、油断という言葉を聞いて、文字通り油が絶たれることだと考える人はまずいないと思う。それは「気をゆるめること」「ついうっかりしてしまうこと。」まさに油を十分用意していなかった5人の乙女たちの話になってくる。私は前から油断という言葉が聖書のこの話が起源ではないのではないかと思っている。
2017年11月13日(月) 第一コリント14:20-25
まず、聖書日課には1コロとなってしまっていたが、1コリの誤りで申し訳ない。 第一コリントの14章のこの箇所、異言と預言について書いてある。 復活ルーテル教会ではいわゆる異言をしゃべることはないと思っている。しかし、教会用語をよく使ってきたので、場合によっては変更した方が良いと思うことがある。愛餐ということばを以前よく使っていたが、これは意味のある言葉だと思うが、はじめてきていただいた方にはどうかと思うし、毎回日曜は愛餐として、ポットラックの準備をしなければいけないような重荷になってはならないという雰囲気が広がり、軽食を使うようになってきている。
2017年11月17日(金) エゼキエル7:1-9
旧約聖書のこのような箇所を読んで、この箇所だけにとらわれてしまうと、神さまってとても愛情あふれる方には思えないという気持ちになるかもしれない。しかし、よっぽどのことがおこったときには、愛にあふれる父なる神でも厳しいことはあるのだと思う。親が子に対していくら愛情があっても、ときに厳しい態度に出なければならないときもあるし、夫婦関係などにおいても、一方がきわめて思い病にかかったり、予測しえないような事態に陥り、どんなにか愛にあふれていても、関係は終わり離婚の手続きをとられるケースも稀にはあるのだと思う。
2017年11月19日(日) マタイ25:14-30
この箇所、ビジネスマンなどに好まれるというか、金儲けを良しとするというか、金欲は悪いことではないかのような解釈も出てくるのかもしれない。 しかし、本当にそういうことなのだろうか。 タラントとはいったい何なのだろうか? 私はお金の価値には換算できないような神の愛ということなのだろうと考える。