June 22nd, 2011

2011年6月19日三位一体主日聖餐礼拝説教「三っ揃いの神様」”God in Three-piece suit”岸野豊牧師

牧師説教, by admin1.

マタイによる福音書28章16-20

「三つ揃いの神様」  “God in Three-piece Suit”

神と私たちの主イエス・キリストを知ることによって、恵みと平安とが、あなた方に豊かに加わるように。アーメン。

Boston, Massachusettsのカトリック教会の大司教であったCardinal Cushing は、Kennedy 一族の友達で、この人はJohn F. Kennedy 大統領とJacky さんのWedding をあげた人です。このCushing 大司教はマスコミと仲がよく、自分の意見を堂々と新聞や雑誌に出した人です。彼についての逸話という本の中でPaddy  McGuireというアイルランド人のプロ・ボクサーについて書いてあるのを紹介しましょう。

Paddy McGuire は或る日、車にはねられ、病院に運ばれました。そこにCardinal  Cushingさんは駆けつけて死にかけているPaddy McGuireにこう質問したのです。 “Paddy, do you believe in God the Father, God the Son, and God the Holy Spirit?” 日本語で言うと、「パデーさん、あなたは父である神様、子である神様、そして聖霊なる神様を信じますか?」片目を少しあけてPaddy さん、こう答えました。「私が死にそうなと時に大司教はなんていうなぞなぞを私に聞くんでしょう」と。

さて今日は教会の暦で三位一体の日です。三位一体とはどういうことですかと、キリスト教について色々な疑問を持っている人たちからよく質問されます。私たち日本からの者は神様が人というのは天皇陛下が、神道の中で生人(いきびと)と呼ばれているので分かるような気もしますが、神様は父であってわたし達は子であるというと意味は分かるようで、なかなか分かりません。聖霊というという言葉は漢字で見ると聖なる霊ですから, 日本人には成仏した魂と考えられるかもしれません。

神様は私たちを罪から救い出すため、それは私たち全ての人たちが起こした罪をイエス様という神様自身が背負って十字架に架かって死んでくださった。しかし神様自身が、私たちのために死ぬとは、どういうことでしょう? そんなに神様は私たちを大切の者と思ってくださっているのでしょうか? はっきり言って私は自分の子どもが大きな病気にかかって苦しんでいるとしたら、この私が自分の子どもの代わりになって、その苦しみを取り去ってあげたい気持ちは多いにあります。子どものために、死んでもいいという心構えも在ります。しかし、キリスト教の神様は、一人だけでない、特定の人のためだけではない、全ての人の罪のために死んで、私たちを救ってくださっているのです。全ての人のために死ぬということは、私たちを黄泉の世界から守ってくださることです。

今日は父の日でもあります。母の日に比べると父の日は下火ですが、聖書の中で言われているように、わたし達は両親に感謝をしなければなりません。わたし達は両親がいたからこそ、いるからこそ、今ここにいるのです。

一年前の6月12日私は日本からの電話で父が亡くなったことを知りました。家内のナンシーもこの6月2日にお父さんを病気で亡くしたのです。ですから今日、父の日はまだ生傷に塩を振り掛けられた想いです。しかし、私たちのお父さんはあなたと共にいることを信じるとき、心の慰めが与えられるのです。

三位一体の話に戻りましょう。三位一体の聖霊とは何でしょう? クリスチャンにとして、それは人生の中で私を導いてくださる力であり、ガイドなのです。人生の中でどうしていいか分からない、どのような生き方をしたらいいのだろうと考えるとき、神様は聖霊という導きと生きる力を与えてくださるのです。私たちの多くは仏教の影響を受けてきたのは当然です。皆さんが好きな日本の作家に遠藤周作さんというカトリックで、「沈黙」という素晴らしい本を書いた人がいます。この人はキリスト教徒ですが、仏教の教えもよく勉強した人です。私が人生の中で、出会ったクリスチャンの中には、世界の宗教をよく勉強している人が多いのです。それはキリスト教がどの様に他の宗教と違うのかを知りたいという思いがあるからでしょう。しかし驚くほどに、キリスト教の熱心な信者の中には、自分と違う宗教を否定するというより、共に人間として、わたし達は何の宗教の信者でいても、此の世でどの様に貢献することができるのか、それを人間としての課題として考えてみたいと思っている人が沢山いるのです。特に私たち同じ人間と言っても、物がある人とない人の差があまりにも多すぎます。私たち今ここアメリカで暮らしている者は世界のうちのトップ10%の生活水準を保っているのです。しかし世界の50%の人口は何時もおなかのすいている人たちです。わたし達はそのような世界の兄弟、姉妹に手を差し伸べる義務があります。イエス様が下さったものを分け与えることはキリストに従う私たちの義務であり喜びです。

さて皆さんから、岸野先生、今日の説教はずいぶん説教の題から脱線しましたねと言われてもっともですが、時には説教の中で今わたしが心の中で思っていることをブレーキをかけずに語らせてください。というのは私の発言もある時は神様がわたしの心の中に聖霊を注いでくれた結果であるからです。

去年の説教の中で、神様の父と子と聖霊という3つの現れ方は、HOが氷という固体、水という液体、蒸気という湿けとして現れますが、どの一つも同じH2O だということだと言いました。神様は創造主である父、神様の子であるイエス様は救い主、そして聖霊は、私たちを導く力なのです。

私の家族は食事の時、このような祈りをします。それは、 “God is great, God is good, so we thank Him for this food.  For by his hand we are fed: Thank you Lord, for our daily bread.  これは本当です。私たちの神様は私たちをこよなく愛してくださっているのです。この神様はOmnipotentというラテン語の言葉、それは, All powerful,  Omniscient それはAll knowing、そしてOmnipresent それはAll present という言葉でも表されるのです。 

私たちの神様はこの世界、いやそれ以上にこの宇宙を司どる神様です。この宇宙の存在のはじめからいらした神様は砂粒のような私たち一人ひとりを知っています。どんなに小さい私たちであってもわたし達は、神様の愛からはずれることは在りません。私たち一人ひとりは神様の宝物なのです。その宝物であるわたし達は決して神様より見放しされません。叉この神様は私たちのところに赤ちゃんとして来てくださったのです。神様であり、人であるのです。お母さんのマリアさんとお父さんのヨセフさんいに、しっかり抱かれて、キスをされて育ったのです。人間の心をよくつかんで生きてきたのです。一緒に笑い、一緒に泣き、一緒に祝い、一緒に人生の全てを経験したイエス様です。

このイエス様に此の世に生まれたわたし達すべては、愛されてきたのです。愛されているのです。これからもずっと、ずっと愛し続けてくださいます。 

このイエス様がいるからこそ、わたし達の人生に失望はありません。私たちの人生はイエス様に愛されたという喜びと希望で満ちているのです。私たちの罪も赦されているのです。わたし達はこのイエス様を信じることで、人生を思い切って生きる、楽しむ、一緒に励まし合い、一緒に助け合うことができるのです。

わたし達は幸福です。教会に来て神様の言葉を聞くことができる、一緒に聖餐に預かることもできる。生きる喜びも、何時か神様のみ許に帰る時も神様ありがとうと言える素直な心が、育つようにこの日を感謝して神様を賛美しましょう。アーメン。

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