June 28th, 2011

2011年6月26日聖霊降臨後第2主日聖餐礼拝説教「心からの歓迎」”A Welcome from the Heart”岸野豊牧師

牧師説教, by admin1.

マタイによる福音書1040-42

「心からの歓迎」   “A WELCOME FROM THE HEART”

私たちの主なるイエス・キリストから恵みと平安があなた方の上にあるように。アーメン。

聖書の中には驚くほど色々なWelcome、歓迎の話しが沢山あります。それを一つ一つ話すなら、今日の説教の長さが4時間ぐらいかかるでしょう。そこで旧約と新約聖書の中にある5つほどの話を紹介しましょう。

皆さんはリベカと言う若い女性を覚えていますか?この人はアブラハムの息子のイサクの奥さんですが、アブラハムは自分の住んでいたカナンの土地から息子の嫁を探すより、自分の一族のいる、それは遠い、遠い故郷の町に召使を派遣してイサクの花嫁さんを探しに行ったのです。長い旅の後、その町ナホルに着きました。アブラハムは召使が旅に出る前に、こう言いました。「ナホルについたら町の中にある井戸に行き、そこで出会った娘に水を飲ましてくださいと頼みなさい。叉その娘がらくだにも水を飲ませましょうと言ったら、その娘こそイサクの妻となる女です」と。この娘の両親は親族のアブラハムと彼の神様を賛美して、リベカをイサクのお嫁さんとして送り出したのです。この経緯を何も知らなかったイサクはリベカを彼の妻とWelcomeし、彼女をこよなく愛したのです。

もう一つの話しはヤコブの12人の息子のうちの一人ヨセフ、それはヤコブが最も愛していた息子と言われていましたが、嫉妬心の強かった兄弟から見放されてエジプトに奴隷として売られた話しです。このヨセフは苦労しながらも彼の才能を認められ、ユダヤ人でありながらエジプトの王様の下で大切な大臣になりました。イスラエルで飢饉が起こり、ヤコブの息子たちはエジプトに食物を買いに来たのです。ヨセフは昔兄弟に裏切られたことは水に流して、叉お父さんのヤコブをも含めてエジプトの地にWelcome したのです。

新約聖書には有名な放蕩息子の話もあります。息子の次男がお父さんに、「お父さん私にあなたの財産の半分を今くださいと言って、お父さんがどう思ったか知りませんが、息子はその与えられた半分の財産を持って家を出たのです。しかしその財産を使い果たした後、この息子は今まで友達と思っていた人も一人もいない、乞食のような惨めな生活の後、やっとありつけた仕事はユダヤ人の一番嫌っている豚の世話をする仕事でした。賃金もろくにもらえなかったのでしょう。おなかが空いて豚の食べているもので自分のおなかを満たしたのです。友達はいない。お父さんの所に帰りたい。でも親父は俺の事なんか死んだと思っているに違いない。それでもいい。親父の足元で、自分は馬鹿な男でした、あなたの召使として使ってくださいと懺悔しようと考えながらお父さんの所にかえって行ったのです。

ところが皆さんが知っているように、お父さん、この息子はいつか帰って来てくれると毎日、毎日、首を長くして待ち望んでいたのです。ルカによる福音書の1120節にこう書いてあります。「彼はそこを立ち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走りよって首を抱き、接吻した。」  英語で言うならまさに、Welcome My Son.  Welcome Home です。ところで、この放蕩息子の話は聖書の中で一番私の好きな話しです。私は神様の愛と私の親父の愛を何時も心の中で強く感じていました。叉自分の娘、息子に対しても、家内のナンシーへの愛情と同じく目に見えない強い絆で結ばれているのです。

イエス様は全ての人を受け入れてくださった方です。5千人の人たちが、Mountain side に集まってイエス様から話を聞きたかった時、5つのパンと2匹の魚でおなかのすいている人たち全てに食事を与えたのです。おなかの空いた人に話してもあまり効果はありません。まさにこれも5千人の人たちにとってwelcome dinnerであったはずです。

ところで、イエス様は、罪人といわれている人たち、徴税人、世間から嫌われていた怪しい女と呼ばれる人たち、病気の人たち、目の見えないもの、歩けないもの、ライ病人をWelcome され、一緒に食事をしたのです。

さて皆さん飛行場、Air Port に行かれた時のこと思い出してください。そこでもWelcome, 歓迎の様子をよく見かけます。飛行機から降りて荷物を取り出すところに行くとハイヤーの運転手さん、あるいは旅行のガイドさんが大きな紙に誰かの名前を書いて待っています。そこで自分の名前を見つけてほっとした人はそこでWelcomeの歓迎を受けるのです。つい最近私の乗っていた飛行機にはイラクに何年も兵隊さんで行っていた人たちでいっぱいでした。その人たちは荷物を受取るその場所で、家族との再会、友達と抱き合って、赤ちゃんを抱き上げてWelcome homeの挨拶を受けました。同じ飛行場で、迎えに来ている人が見つからない、いないとなると悲しくなります。  “Welcome” 「よく無事に帰って来てくれた。嬉しい」 は人と人の 心のふれあいです。そこに喜びと愛が感じられるのです。

牧師として32年の中で、私は何十人ものカップルの結婚式を行ないました。結婚式は二人の人間がお互いに誓う人生の約束です。その内容はどういうものかというと、お互いがお互いを受け入れることです。それは英語で言うなら、

“Welcome into my life for the rest of my life.  Welcome to everything that I am, everything that I have, and all that I will be, those things that we don’t even know that are coming our way.  Despite all these I welcome you.”と言うことです。

私はここに来て今や1年半になります。時間の経つのって早いですね。あっという間の一年半でした。この教会に私の前に牧師として働いてくださった高塚先生、田中先生、伊藤先生、元日本で宣教師でした、スティンバーグ先生に今ここにあるこの復活教会の日本語部への働きを感謝すると共に今ここに集う一人ひとりの上にも感謝を捧げます。

私たちがこれからも大切にしたいことは、人と人の付き合い、関係を深めることです。その中で、イエス様からいただいた愛を私たちの態度で示して生きたいのです。前にも言いましたが、聖書の中にはすばらしいWelcome,歓迎の話しが沢山あります。私たちの教会は叉、毎週聖餐式を行ないます。イエス様の体と血をパンとぶどう酒の形で受け取ります。多くのプロテスタントの教会では聖餐式を毎週行なう所は余りありません。勿論、カトリック教会、エピスコパル、聖公会の教会では毎週聖餐式はあります。殆どの教会では、洗礼を受けていない人は聖餐にあずかることができないといわれますが、私はその処をこのように考えるのです。聖餐式のホストは 牧師、神父、法王、祭司ではありません。ホストは神様、イエス様自身です。

イエス様をもっと知りたい、イエス様の人格に触れたい、イエス様の愛を知りたい、イエス様の教えについていける人間になりたいと思われている方全てに私は聖餐を受け取って頂きたいのです。聖餐式はマジックではありません。聖餐に預かることで、わたし達はイエス様を私たちの心の中に受け止めるのです、いや、それ以上に、イエス様はあなたの心をご自身の住家とされるのです。

同じようにイエス様を信じますと宣言することはイエス様が私たちの心に入って来てくださることです。イエス様を着るという表現もありますが、それもイエス様を私たちの心にWelcome することです。私はここの教会がこのWelcomeの精神で神様に喜ばれる所、そして多くの人がイエス様の福音を多くの人に聞いていただく所となるよう祈ります。最後に英語で祝福の言葉を聞いてください。

May God bless you in our continual journey and may God bless us all with welcome and with the desire to truly continue to welcome one another from the heart.  Amen.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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