マタイによる福音書16章13-20節「彼らが言うには・・・」 “They say….”
私たちの父である神と主なるイエス・キリストより恵みと平安があなた方の上にありますように.
アーメン。
今日の福音書の記事の中でイエス様が、「人々は、人の子のことを何者だと言っているのか」と書いてあります。英語でそれは、 “Who do they say that I am?” です。
そこで、弟子たちは答えました。「あなたは洗礼者ヨハネだ」、「エリヤだ」、「エレミヤだ」とか、預言者の一人だと言う人もいます」。さてこの後、イエス様が、弟子たちへ、単刀直入に「あなた方は私を何者だというのか」との質問をなさったのです。
この礼拝堂の中にいる私たちはイエス様のこの質問にどう答えますか? 長い信仰生活の人は、「イエス様、あなたは神様の子、私の罪を負って十字架にかかって死に、しかし神様の偉大な力で甦った方」と信仰告白をなさるでしょう。ある人は、私はもう少し納得がつくまで時間をください。イエス様が偉大な方とは信じています、でも聖霊に触れてそれが力強くできるまで時間をくださいと言われるかもしれない。またある人は言います。「私は仏教の仏様を今でも拝んでいます。クリスチャンになると今までの信仰のすべてを捨ててイエス様だけを神様として生きていかなければならないのですか?」
これは大きな信仰の問題です。私たち一人ひとりがこの問いへの答えを出すのです。キリスト教の信仰はただ聖書を読むことだけでは育ちません。聖書の中で言われているイエス様の隣人との関係をわたしたちの人生の中で実行する中で信仰も育つのです。ですから私は出会った人の中に神様の姿を見ることが良くあります。それは本当です。ある人から一緒に祈ってくださいと頼まれ、心からその人のことを思って祈る時、祈りを受けた人は神様の存在を感じるのです。
イエス様は弟子たちへの質問「それでは、あなた方は私を何者だと言うのか」と聞いた時、ペテロが真っ先に答えました。「あなたはメシヤ、生ける神の子です」。その次のイエス様の言われた言葉は大きな責任をペテロに与えているのです。「シモン・バルヨナ、これはペテロの別名、あなたは幸いだ。あなたにこのことをあらわしたのは、人間ではなく、私の天の父なのだ。私も言っておく。あなたはペテロ。私はこの岩の上に私の教会を立てる。黄泉の力もこれに対抗できない。私はあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは,天上でも解かれる」。
このようにイエス様から言われて、ペテロは自分を誇りたいような気持ちになったかもしれない。この私が、この世で神の国への鍵をイエス様から頂いたとは、これほどイエス様は私のことを信頼しているに違いないと思ったことでしょう。それは神様に選ばれた私という誇りですが、その反面、これはとても大きな責任です。しかしこれはイエス様に従って生きてゆく決心をした私たちの責任でもあります。英語でこの責任をStewardship という言葉を使って言いますが、私たちの生活、他人に対しての思いやり、お互いを大切にすることは、神様から私たちに託された責任です。
しかしここで心に留めていただきたいのは、これは単に、イエス様を、神様を信じる方だけにする行為、思いやりではありません。世界中のすべての人は私たちの隣人、私たちの愛の対象です。宗教の違う人他にも、Sexual orientation の違う人にも、自分と異なるPolitical Party を支持している人にも、私たちはイエス様から教えられた愛をもってお互いの人生を大切に生きてゆきたいのです。私のMentor であったフィラデルフィアの牧師さん、ボブ・ハイソン 先生は彼の教会の部屋の壁に、 “To confess Christ as Lord is to
have a healthy respect for all people” と言うポスターを掲げていました。日本語で言うならこれはイエス・キリストを告白することはすべての人々と尊敬すべき関係を持つことです」。
ところでペテロの話に帰ります。皆さんがご存知と思いますが、シモン・ペテロは12弟子の中で、一番、福音書の中に名前が出てくるリーダーであることは確かです。彼は自分でも私はイエス様に一番近いものと思っていたに違いありません。彼の名前はシモン・ペテロです。イエス様に従って行ったその前はシモンと呼ばれていたのですが、イエス様がこのシモン・ペテロのペテロに大きな彼の性格を見抜いていたのです。ペテロ、その名前の意味は岩です。岩は硬い頑丈なもの。置かれている場所でちょっとやそっとでは動きません。ニューヨークのマンハッタンは固い岩の土地で、その土地がしっかりしているからこそ大きな高層ビルが建てられるんです。それは人間についても同じことで、人の土台がしっかりしていないと人生でいろいろな問題を持つことになると言われます。
イエス様は自分のことをよく「人の子」、Son of man と言う言葉を使ってあらわしていましたが人の子とはメサイア、救い主という意味でもあります。イエス様は自分で選ばれた12弟子をご自分の始められた仕事、それは人々に神様の愛を知ってもらいたい、いやそれ以上にその神の愛をお互いの生活の中で、実行していくように教育したのです。12弟子ほどラッキーな人達はいなかったでしょう。毎日の生活の中でイエス様の説教、奇跡、癒し、そして人間の悲しみが喜びに変わったその姿を見てきたのです。
そんな12弟子に、「あなたは私をだれと呼ぶか」との問いは私たちにも語られているイエス様の質問です。To be Christian means believing that Jesus is the Christ, the Son of the living God. 私たちが「主よあなたはメサイヤ、救い主です」と呼ぶ時,そして「あなたこそキリストです」と告白する時、私たちはイエス様が油を頭に注がれた者、それは父なる神からおくられた者であることを確認することです。
すべてを捨ててイエスについてきた12弟子が始めの頃イエス様をどう思っていたかはっきりわかりませんが、一日が過ぎる度にイエス様の偉大さを心に感じたに違いありません。そこで、「イエス様あなたこそ私、私たちの救い主です」との告白ができるようになったのです。
わたし事ですが、人生もうすぐ60年を通って来てイエス様への思いが山の頂上、それと反対に、谷間の底に落ちたような思いを繰り返してきたのです。これからもイエス様に喜ばれないそういう口から出る言葉、思いで、クリスチャンとなんて呼ばれることも出来ない時があるのです。それは私がまだ真面目にイエス様についてゆくことのできない人間であるからなのです。
しかしそんな私、あなたは、私たちに、十字架に架かって私たちの罪のため死んでくださったイエス様は、罪と咎にけがれた私、わたしたちを哀れんでくださったのです。それを思うと私の心は感謝の思いで一杯です。ですから長い歴史の中で、私たちに心の安らぎと喜びを下さってこられたイエス様は、偉大な方であり、私にとってこの神様なしに明日の生活もできません。
今日の説教の最後にイエス様がペテロに約束してくださった天国に入るにあたっての鍵について語ってみましょう。イエス様は弟子たちに「あなたがたはわたしをだれというか」と質問したとき、シモン・ペテロが真っ先に手を上げて、答えました。「あなたこそ、生ける神の子キリストです」と。
すると、イエスは彼に向かって言いました。「バルヨナ・シモン、あなたは幸いである。あなたにこのことをあらわしたのは、人間ではなく、私の天の父なのだ。そこで、私はあなた方に言う。あなたはペテロである。そして、私はこの岩の上に私の教会を建てよう。黄泉の力もこれに打ち勝つことはできない」と。さてこれに続くイエス様の言葉は大切な言葉です。「わたしは、あなたに天の国の鍵を授ける」と。
ペテロがその鍵をもらったのでしょうか? カトリック教会はまさにそのように受け取ります。ペテロ自身がカトリック教会の第一代目の法王、Popeです。それは2千年を何百人にも及ぶ法王によって受け継がれてきました。法王はカトリック教会の中では最高主権者であり、彼がこの地上でのキリスト教の頂点です。よく注意して法王の着ているガウンを見てください。底に鍵の刺繍が縫いこまれています。法王はカトリック教会の中でペテロと同じ天国に至る道を示す力を持っているのです。
しかし、新教、プロテスタントと呼ばれるクリスチャン、それは私たちのルーテル教会、メソジスト、聖公会、改革派教会、バプテスト、聖霊派の教会の中で、天国の鍵を持っているのは誰だと思いますか。それはビショップと呼ばれる人、いろいろな教会の一番くらいの高い人でしょうか。いいえ、そうではありません。
天国の鍵は私たち一人ひとりが神様を救い主と信じ、告白する時に私たちにすでに与えているのです。この罪深い私、私たちは心を低くして神様、この罪びとの私を赦し、哀れんでくださいと心の底から祈る時、すでに与えていただけるのです。しかしその鍵はいつも私たちの胸の中にはありません。傲慢になった時の私たち、人を見下ろして自分がもっと神様に愛されていると思った時、私たちはその鍵、天国の鍵をいただくことはできません。
敢えて言うならば、私たち人間は天国の鍵がいただけるような生き方ができない、罪に満ちた人間です。しかし、その罪人を愛してくださった神様、イエス様に心の中で出会った時は人間としての感謝と幸福を感じる最高の時であると信じます。
どうか私たちが少しでもイエス様のように生きることができるようになれたら、それが私たちの人生の中で一番大切な思いと祈りであるのです。アーメン