October 17th, 2011

2011年10月16日聖霊降臨後第18聖餐礼拝説教「神様の恵みを振り返ってみると」”Looking Back the Grace of God”岸野豊牧師

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テサロニケの使徒への第1の手紙1章1-10節

「神様の恵みを振り返ってみると」“Looking back at the Grace of God”

皆さん、テサロニケという名前の都市を聞いたことがありますか?この都市は地中海のギリシャの北にある都市で有名な漁港のあるところです。イエス様の使徒として伝道に励んだパウロはこのアジアとヨーロッパの境にあるテサロニケを2回尋ねました。そこでパウロはイエス様の福音を群集に語ったのです。そして3週間ほど滞在して次の都市へと伝道に励んだのです。その後パウロは彼の弟子であるテモテをテサロニケに送り、このまだ若い教会でクリスチャンがどのように育っているかを調べたのです。

今日のテサロニケの信徒への手紙はパウロがユダヤの土地の外のクリスチャンとなったテサロニケの人々への初めての手紙、それ以上にパウロの一番古い書簡です。新約聖書の21の書簡の内の7つの書簡はパウロによって書かれたものですから、キリスト教がユダヤの地を出て、地中海をめぐる外国の地の中でどのようにキリストによる神の国の到来を宣べ伝えたか、またどのようにしてイエス様の福音がユダヤ人だけでなく全ての世界の人たちに広まって行ったかを知る大切な手紙の文章です。    

牧師さんは誰でもその人が一番最初に招聘された教会のことを忘れません。それは私にとって1979年から1983年にかけて牧会に携わったフィラデルフィアの教会です。今でも毎年クリスマスにはまだ手紙のやり取りをする人たちがいます。パウロはテサロニケでイエス・キリストについて語りました。イエス・キリストの愛とイエス様を信じる信仰による救いです。

皆さんパウロのことを知っていると思いますが、この人はユダヤ人で、パリサイ派という宗教団体の熱心なリーダーでした。また彼はイエス様を神の御子であると信じたクリスチャンを虐待した男です。多くのクリスチャンがこのパウロによって殺害されたのです。しかしこのパウロが、ダマスカスという町でイエス様に出会ったのです。イエス様の弟子を見つけ出したら、男女かまわず、縛り上げ、エルサレムに連行するという恐ろしいとこを行っているとき、彼は天からの光に照らされ、目が見えなくなり、「イエス様の声、それは、「サウル、サウル、なぜ、私を迫害するのか」でした。イエス様の敵であったサウロはイエス様に出会うことにより回心を経験し、180度変わって今度はイエス様とイエス様の愛を宣べ伝える宣教師として一生を捧げたのです。今の時代のように電話はありません、E-mail もありません。手紙といっても郵便局がある訳でもない。誰かに頼んで持っていってもらった手紙は何ヶ月もかかって到着したのです。手紙の内容は「主に従うものとは」、「テサロニケでのパウロの宣教」、「神に喜ばれる生活」、「主の再臨」そして結びの言葉は「いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、どんなことにも感謝しなさい」という励ましの言葉です。この書簡がパウロによって書かれた最初の物ということを念頭の置いて初めの一章の言葉を読んでみましょう。「私たちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなた方にあるように」。さてこの言葉どこかで聞いたことがあるのを思い出しましたか? これはパウロ独自の手紙のはじめに書く挨拶です。その言葉を借りて私も説教の前に皆さんに挨拶するのです。そして、兄弟たち、あなた方のことをいつも神に感謝せずにいられません。特にあなた方の信仰による働き、愛による行動、希望の確信です。

パウロはいつも教会のことを神様に感謝しています。私たちも祈りの中で、私たちの教会を祈ってくださっていますか?教会とは建物ではなくその中にいる私たちのことです。神様の言葉を聴き、神様に従い、神様の愛を私たちの行動、私たちの言葉の中で実行すること、また感謝することです。神様の想像されたこの素晴らしい世界に住むことができること、私たちが神様からいただいている自由の精神、家族と友達、特に教会では私たちはすべて神様の兄弟、姉妹です。特に私たち、故郷の国から離れて、両親、自分の肉親の兄弟、姉妹と共に生活できないものにとって、お互いを、輝子さん、愛子さん、し倭文子さん、広子さん、誠史さんと一人一人、愛情を込めて呼ぶことのできることは大切です。考えてみると、私たちの中にお互いを日本にいた時から知っていたという人いますか?私はこの国に来てもう36年になりますが、高塚先生が日本のルーテル教会よりこの復活ルーテル教会に宣教師として派遣されたその翌年の1989年に新しい伝道の主事として南カリフォルニアに来たとき今ここにいる何人かの教会員にあったはずです。

なぜ宣教師が日本からアメリカに送られてきたか、またなぜこの復活教会が日本人の伝道の場として選べられたのかというと今主任牧師として働いているZimmerman 先生の前任者Foster 先生が是非ここで日本人伝道をしてください、私たちはそのために場所と経費を提供しますからとの熱心なお願いがルーテル教会のNew York の本部に出たからです。この先生は日本人贔屓であったことは確かです。家族を連れてきた高塚先生も燃えていました。あそこに日本人がいるよといわれるとそこに飛んでいった。Irvine Concordia 大学に、アナハイムの聖書学院(LBI)に日本人の留学生がいるよと聞くとそこに行って学生さんたちを連れてきた。企業の日本人も今より多くいた。そこで日本人の礼拝を今の保育園の一部屋から初めたのです。日本人がラスベガスにいると聞いて、そこまで行って聖書を学ぶ時を持知Stewart道子さんが授洗されたとも聞いています。また、ある時は、日本人伝道を復活教会からどこかに移そうという動きもありました。しかし、先生の奥さんが癌で苦しんでいた事もあり、それが先生の苦しみとなって現れた時もあります。高塚先生の任期が終わり、田中先生が奥さんと共に宣教師として送られたとき、日本人の伝道は英語の復活教会とどのような関係を持っているのかとの問いが出され、それまで日本人伝道として、特別伝道費という自分たちの比較的大きなアカウントを持っていたものが、英語、日本語の一つの教会として一つのアカウントにするべきだという声が英語と日本語の会員から出されたのです。

田中先生は「それは一つにするべき」とはっきり言われ、それ以後、復活教会は二つの言葉を話す礼拝のある教会、しかし教会としては一つ。私達の教会はこのEvengelical Lutheran Church in America という名前の私たちの伝統を宗教改革を1517年に始めたマルチン・ルターの系統を受け継ぐ「キリストのみ」「聖書のみ」「信仰のみ」の3つの信仰の基礎を土台とした福音派の教会です。ルーテル教会はプロテスタント教会で一番古い教会です。田中先生の次に宣教師としてここで働いた先生は、伊藤先生です。伊藤先生はロスアンジェルスに近いトーレンスというところでのルーテル教会で宣教師として働いていましたので、二つの教会の掛け持ちでしたが、エネルギッシュな方であった事は皆さん存知でしょう。伊藤先生はイースターの前の出来事であるPassover, それは過ぎ越しの祭りをこの教会で守ることを指導してくださったのです。ユダヤ人が、エジプトで奴隷として働かされていたときに出たモーセのリーダーシップによるエジプトからの脱出、そして遂にユダヤ人が自分たちの故郷、イスラエルの地に戻ったことについてのお祭りです。

それをイエス様は十字架にかかる前、12使徒ともに祝い、またこの儀式を今私たちの受け取るキリストの体とキリストの血による、私たちの贖いの儀式として下さったのです。

伊藤先生が2009年の11月に日本に帰ることになり、その時から宣教師が日本から送られるという形が終わりました。ここでの日本語での牧師はアメリカの中で育った日本語と英語のBilingual の牧師にやってもらうと言うことになり、そこで私が2010年の1月からここで牧会を始めるようになったのです。

はっきり言って私は日本語での伝道をしたことがなかった。30年に亘っての牧会は英語の教会でしたので、はじめは戸惑いました。私の家族は日本語が出来ません。私の日本語も、皆さんから「先生の日本語は時々おかしいですね」と、しかし頑張って行きましょうという皆さんの支えで、ここまで来たのです。

さて、教会の中でのトラブルがない教会はありません。それは教会も人によって運営されているOrganization  である限り、人と人の意見の違いによって分裂するときもあれば、その反対に、いろいろな意見のある中で、主イエス・キリストが本当に私たちの救い主であると言う私たちの信仰告白をお互いが認める時、そこに聖霊の働きが加わって今まで分裂していた教会が一つの教会の組織になることがあるのです。

教会が、イエス様の理想とする信仰の場であって欲しいと考えるのはクリスチャンであるなら皆さんはそれは当たり前と考えるでしょうが、教会も神様の聖霊に満たされていないと争いの場になるのです。

イエス様が十字架にかかり死んだ。葬られた。しかし生き返られた。これは2千年前も今も多くの人にとって、信じがたい、信じられない出来事です。しかしそれを信じられない私たちの上に聖霊が下され、その聖霊の力の働きで、私たちはイエス様を神を信じることができるのです。神様を信じることができる、出来るようになったとは不思議なことですが、それは神様が私たちの心の中に入ってきてくださったからです。

ある人は言います。私たちはいい子にならないと神様から愛されないと。では、きかんぼうの子供、又は,放蕩息子というような者は神様から愛されないのですか? そこで質問があります。皆さんは今まで自分をきかん坊で年をとっても駄々をこねる人間と思っていますか?  はっきり言って59歳の二人の成人の子供のいる、Looks like respectable person と皆さんから見られている岸野豊という、これは皆さんも今では馴染みのある牧師さんですが、その牧師さんともあろう人も、駄々をこねる、きかんぼうの子供になることが時々あるのです。(イヤ、時々じゃないよ、いつもだよ)と皆さんから言われてしまうかもしれません。牧師らしくしてくださいと言われても,でんでんむしが危険を感じると自分の殻の中に閉じこもってでて来ない時があるのです。最も皆さんはそんなことないでしょうが? しかし私たちすべては、所詮問題を持った人間です。そんな問題を持った人間同士の、人間ぐさい、罪をかぶった私、私たちの為にイエス様はこの世界に来てくださったのです。わたしたちの惨めさ、愛されるべきでない私、私たちの為に甦ったイエス様は、「心配しないでいいよ。私があなたの不完全なすべてを私の十字架の上で取り除いてあげたんだから、ほんとだよ,心配しないでいいよ。その代わりに、私の愛を皆さんにわけ与えてくださいね。それが、私の弟子としてのあなたの務めですよ」と言ってくださっているのです。

 来月11月で、宣教23年目になります。私たちが一緒になって、心を一つにして神様に祈る時、そこに神様が、イエス様としていらっしゃるのです。本当です。それはが神様の私たちに下さった信仰のプレゼントです。神様が私と、私たちと共に何時もいるんです。アーメン。

 

 

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