November 12th, 2011

2011年11月6日全聖徒(聖霊降臨後第21)主日聖餐礼拝説教「神様の関心と利息」”Gods’ Interest”岸野豊牧師

牧師説教, by admin1.

マタイによる福音書25章:14-30節 「神様の関心と利息」“Gods’ Interest”

私たちの父なる神、および主イエス・キリストから、恵みと平安があなた方にあるように。アーメン。

皆さんの中で、1999年の終わりに世界中の人々が、心配していたことがありましたが、それが何だったか覚えていますか? 世紀の変わり目にはいつもノーストロ・ダムというような人が、世界の終わりを予告していた。それはY2Kと呼ばれていた問題で、Year 2000、省略して Y2k、つまり、1999年の終わりと2000年の境に、コンピユーターの機能が、おかしくなり、世界中でいろいろな問題が出てくるとの予告です。思い出しましたか? 核弾頭を積んだロケットが発射される。電気も止まる。電話も通じなくなるかもしれないと世界中がパニック状態になると大騒ぎしたのです。

しかし新年2000年を迎えて、コンピユーターは今まで通りに働いていた。恐れていた問題は何も起こらなかったのです。どうも私たち人間は不安を感じると、心が動揺して今までやってきたこともできなくなるのです。それと同時に不安になると人間はどうもお金にしがみつくようになるのです。3年前、オバマ大統領が就任されたとき、アメリカの経済は、それは世界の経済も含めて、メルトダウンの状態でした。1929年に起こった大不況と同じものが、私たちの経済を襲った、そこで多くの人達は自分のためていた貯金をすべておろし、また株に投資していた人たちもそれを現金に戻し、それをベットのマットレスの下に隠したのです。

さて11月に入り、毎年この時に来年の企業の予算が発表されます.教会でも同じで来年の予算をこの時に組むのです。

ところで、今日の福音書の譬話はイエス様のお金についての話です。神学校で福音書の授業を受けていた時, 先生からイエス様が話された福音書の言葉の中で、お金については3番目に多く出るトピックスですと聞いたことがあります。イエス様はお金の話の中で、私たちの神様への忠実さを話しているのです。お金というものそれ自体は悪いものではありませんが、私たちはお金が人の心を奪うことを知っています。それはお金、財産、というものが私たちの心の中で一番大切なものとなるとき、神様を私たちの心のはしっこに追い払うような思いになるからです。

イエス様のタラントという言葉で話された今日の話し、それでイエス様は何を言うとされているのか考えて見ましょう。この譬話は主人が長い旅に出る前に,3人の召使いにそれぞれの能力に応じて、自分のお金を預けてそれを管理しなさいと命じたのです。はじめに呼び出された召使は5タラントのお金を預かされました。ところでタラントというお金の価値はいくらぐらいのものであったか、見当がつきますか?この一タラントという金額は、働き手の1年間に与えられる金額です。一時間に受け取る金額が10ドルとし、一週間40時間働くとしたら、一週間で400ドル、そして400ドル掛ける52週間では$20,800ドル。そんな大金を預かされたのです。後の二人はその3倍、5倍のお金を預かされてそれを有効に使って増やしなさいというのが主人の希望したことです。

さて主人が出かけた後、5タラントを預かった召使はそれを上手くインベスト(投資)してそれを2倍に増やしたのです。同じように、2タラントを預かった召使はそれを2倍に増やしました。主人が帰ってきてこの二人を褒めたのは当然です。しかし1タラントを預かった召使は、帰ってきた主人にこう言ったのです。「ご主人様、私はあなたが、蒔かないところから刈り、散らさないところから集める、厳しい人であることを承知していました。そこで恐ろしさのあまり、行って,あなたにタラントを地の中に隠しておきました。ご覧ください。ここにあなたのお金があります。」この主人ががっかりしたというより、怒った気持ちはわかります。どのような仕事をするに当て、私たちは一生懸命努力をすることによって報酬を受けるのです。そのために犠牲を払うこともあります。英語ではこれを “No pain, No gain”と言います。三番目の召使の間違いというより、失敗ごとは、心の中の不安にまどわされて、自分は預かったお金をもっと大きくすることを考えれば考えるほど自分にはそんなことができないと思うようになってしまったことです。ですから彼がしたことは英語で言う “Play it safe” です。土を掘って、そこにお金を隠しておこう。そうすることによって、私はお金を増やすことはないが、お金が減ることもない。これは熱い水でもない、冷たい水でもない、生ぬるいお風呂に入ってこれが一番な幸せと言っているようなものです。

この譬話は恵みあふれる,慈悲深い神様のことを語っているのです。しかしまた、召使、または僕としての私たちの神様に対しての感謝を私たちの言葉と行動によってあらわすことを求められているのです。先に使われたお金、それはタレントンと言いますが、その言葉を聴いてタレントンとはもしかして英語で言うタレントと関係があるのではないかと思った方もいらっしゃるでしょう。全くその通りで,タレントンは重さを測る秤に使われた金属の重みです。それがお金の価値の言葉として使われるようになったのです。私たちが良く耳にするタレントとかタレントさんは何か才能を持った、価値のある者、才能のある人と使われるようになったのです。私たちに何かの才能があったとしたら、それは神様が私たちに下さったギフトです。そのギフトを一生懸命使う、それを神様は私たちに望んでいるのです。

皆さんは神様からいただいたタレントが自分にとって何であるか知っていますか? 私たちは、自分のタレントをみいだし、それが神様からのギフトであることを知るところに喜びを感じることができます。私には何のタレントもないという人がいるかもしれませんが、そんなことはありません。神様は私たち一人ひとりに特別なギフトをくださっているのです。それを知り、それを使うことは大切です。自分でそのギフトとは何であるか分からないという人は自分に親しい人に直接私のギフトとは何でしょうと聞いてみるのはいいことです。誰でも神様からいただいた素晴らしいギフトをいただいているのです。その素晴らしいギフトを人と人の生き方の中で実行するよう私たちはイエス様から命じられているのです。

インドのカルカッタで、人から見放されたような人に施し、人間の屑とも言われていた人たちに神様の哀れみと心の憂いを捧げてきたマザー・テレサが毎晩、床に入る前に唱えた祈りを紹介しましょう。

それは、「今日わたしはイエス様に何をしたでしょうか?」
“What did I do to Jesus today?”「今日私はイエス様のために何をしたでしょうか?」

“What did I do for Jesus today?”

そして、「今日私はイエス様と共に何をしたでしょうか?」
“What did I do with Jesus today?” マザー・テレサは続けてこう言いました。「両手を広げてこの私の手は今日、どのようにイエス様を賛美することができたでしょうか?」と。

イエス様に従う私たちは神様からいただいたギフトを持って、神様を賛美するのです。 もう15年前ですが、映画で大ヒットした  “Sister Act” というComedy の主人公であるWhoopi Goldberg という黒人の女優さんがカトリック教会のシスターとして登場しました。教会のミサはいつも、グレゴリア・チャントという厳かな音楽で行われていましたが、それを歌うSisterたちも何か礼拝が、形だけで、活気がないと感じるようになり、Rock’n Roll のような形で歌い、踊りだしたのです。何か活気のない、萎びた礼拝が、神様の聖霊によって踊り出るような形になったのです。

別に私たちの礼拝が、踊りだすような形にならなければならないというのではありませんが、礼拝の中で私たちは、神様の聖霊と触れ合うことができるようになりたいのです。また、聖霊のギフトによって私たちの生活と心が清くなり、また、私たちの一人ひとりの生活の中で神様の愛がにじみ出るような者となれるように祈るのです。

またマザー・テレサに戻りますが、誰かがマザー・テレサにこう質問しました。「あなたのなさった仕事の成功の秘密は何でしょうか?」しばらく首を傾げて考えていたマザー・テレサはこう答えました。「私は、イエス様が私たちのすることを成功したとか、しなかったと言ったことはありません。イエス様は、愛による他人に対しての約束、誓い、真実さを私たちの人と人の付き合いの中で実行しなさいと言われているのです」と。

神様が私たちに「お互いを愛し合いなさい」と言われた時、私たちは思いも、言葉も、行いも、すべての誠実さをもって、自分のありがままの姿で、隣人に関係を持つことができますか?  それができるような人間になりなさいとイエス様は言われているのですが、自分だけの力ではそれができないのです。神様の愛が私たち一人ひとりの心に入ってくることによって、私たちはこの自分を超えた力によりお互いを愛することができるのです。

今日の説教の話はイエス様に忠実でありなさいと言われてもっともですが、私が思うに今日の福音書の話は実はイエス様自身が旅に出た話として受け取ることは出来ないでしょか?その旅とはイエス様の復活の後、天に上げら、そこから私たちのことを見守っているのです。イエス様はいつかまた、私たちのもとに来てくださる。その時私たちはイエス様に忠実な生活をしているでしょうか?そのように考えると、私たちは神様からいただいたギフトを使って多くの人に神様の福音を分ち合うことを命じられているのです。

神様は、私たち一人ひとりに何かのタレントを与えてくださっているのです。そのみなさんのタレントは何でしょうか? 人の接待の上手な人、料理、お花、歌の先生、人の悩み事、相談事に乗ってくれる人、いつも電話で、「あなたどうしてますか?お手伝いでもしてあげられることありますか」と人の面倒を見ることをいつも気にすることができる人、お金の管理、年金、貯蓄などの問題を一緒に考えてくれる人、コンピュターに強い人,いつも笑顔で私たちを迎えてくれる人、私たちの体、病気についてアドバイスできる人、実際に私はその人たちを思い出しながら皆さんが持っている美徳、Spiritual gifts、それは神様からいただいたあなた方の素晴らしさを考えるのです。

私たちの人生は神様からいただいた聖霊によって、お互いが、お互いを大切にして生きることるにより神様の国をこの地上で実行することができるのです。アーメン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Back Top

Comments are closed.