March 22nd, 2012

2012年3月18日四旬節第4主日聖餐礼拝説教「神はそれほどまでに世を愛された」”For God So Loved the World”岸野豊牧師

牧師説教, by admin1.

ヨハネによる福音書 3章14-21節 「神は、それほどまでに世を愛された」   “For God so loved the world”

 私たちの父である神と主イエス。キリストによって神の恵みと平安が、あなた方にあるように。アーメン。

ヨハネによる福音書3章16節はクリスチャンの中で、一番知られている聖句です。英語では “For God so loved the world that He gave his only begotten Son, that whosoever believes in Him should not perish, but have everlasting life.”  これは聖書の中のすべてを短縮した言葉とも呼ばれています。神様によって救いが与えられる、神様の愛は宇宙のように広く、神様は世々限りない命を約束してくださっているのです。

今日の説教は 「神は、その独り子を賜ったほどに」 のテーマの中で、いくつかの話を紹介しましょう。最初の話は、Maria Shriver と言う元カリフォルニア州知事のArnold Schotzneger の奥さんだった方の書いた本、  “What’s wrong with Timmy”という話です。

Kateと呼ばれる女の子がある日お母さんと公園に行き、そこであそんでいるうちに、Timmy と言う男の子に出会いました。Kate は遊んでいるうちにTimmy が普通の子と違うと感じたのです。「Timmy の顔がほかのこにくらべて、なにか平べったい、かけている眼鏡はいつも方チンバ、足も少し曲がっていて、ホップ、ホップと歩いてる。どうしてかな。それでも一生懸命バスケット・ボールで遊んでいる。」 Kateは彼女のお母さんにどうしてTimmy は、みんなと違うの聞きました。Kate お母さんは言いました。「Timmyは生まれた時からみんなと少し違って生まれたの。でもKate, あなたお友達になってあげたらどう?」それ以来KateとTimmy は仲良しになり、何の遊びをするときにも自分のチームに入ってもらったのです。誰でも仲間が必要です。神様は、子供だけではなく、私たち一人ひとりはすべての人にあなたの親切さと、仲間意識を与える義務があるのです。「神は、その独り子をおあたえお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じるものが一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

次に、皆さんの知っているBilly Graham が話したことのある男を紹介しましょう。この男には双子の兄弟があり、その弟は大きな犯罪を犯して、刑務所に入れられ、その犯した犯罪のために死刑の宣告を受けたのです。双子の兄は弟が大きな犯罪をおかし、それから逃れないことを知っていました。しかし彼はどうしても弟が死刑に架けられることを考えると心が重くなり、ある日、変装をして双子の弟を監獄に尋ねたのです。双子の兄は監獄の個室に入る前、いろいろ調査をされやっと弟の監獄を独りで訪ねたのです。そして双子の弟に言いました。「着ているものを脱いでくれ、私の服を着てくれ。あまり時間がないから何も聞くな。そして監獄の監視員が監獄の長い廊下を歩いている間に、二人の服をまったく取り替えたのです。さて面会時間が過ぎ、双子の弟は、そこに残った双子の兄を後に、刑務所から誰にも気付かれずに出て行ったのです。死刑の日が来た時、双子の兄はまったく彼に迫った死の宣告について嘆くことなく神様の国に導かれたのです。そんな馬鹿なことがある訳がないと思うならインターネットで調べてみてください。Billy Graham の説教の一つとしてこれが見つかります。

考えててみてください。これは私たちのために死んでくださったイエス様と同じではないでしょうか? イエス様は罪のないお方であったのに、私たちの罪を背負って死んで私たちを救ってくださったのです。神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。それは独り子を信じるものが、一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。

何年も前のことです。若い息子はお父さんと口喧嘩をして、その結果、家を出ました。彼はお母さんとは連絡を取り合っていたのですが、クリスマスが近づき、自分の家、いや、両親の家に帰りたいと思ったのです。しかしお父さんは僕のことを赦してくれないだろうと、悲しく思っていた矢先、お母さんからの手紙に早く家に帰りなさいと書いてあったのですが、でも僕はお父さんから赦してもらえるまで帰れないと悲しみに沈んでいたのです。

お母さんはまた手紙を出してこのように書いてきました。「お父さんとあんたが帰ってこられるよう話してみます。お父さんがあんたを赦してやると言ったら、こうしましょう。電車で帰ってきなさい。駅の前にある踏切の近くの大きな樫の木があるのを覚えているでしょう。あの大きな樫の木に黄色いリボンが結ばれていたら、それはお父さんが、あんたを赦してくれていると言うこと、だから急いで家に飛んで帰りなさい。でもそこに黄色のリボンが見つからなかったら、それはお父さんがまだあんたを許してないと言うこと。そのときには電車で通り過ぎなさい。目を大きく開いてその黄色いリボンがあるか、ないか探しなさい。Love,お母さん」

息子は言われたように電車で両親の家を目指して帰るその途中、心の中で思ったことは二つのことでした。一つはお父さんに僕は本当に赦してもらえるだろうか? もう一つは、どうしよう、本当に黄色いリボンが樫の木に見出せるだろうか。それが実際あっても見過ごししてしまうんじゃないだろうか。

さて駅に近づいて、電車はスピードを落とします。「ああ、もうすぐ踏み切りの所だ。樫の木が見えてきた。黄色いリボンが見つかるよう、神様、私を助けてください」と。さて樫の木のどこにその黄色いリボンが見つかるかと心配したのですが、「ああ、ああ、樫の木は何百もの黄色いリボンで飾られていた。一つではない、何百ものリボン。お父さん、赦してくれてありがとう。私はあなたの放蕩息子であったことをおゆるしください。

さてこの話を聞いてこれは、 Tony Orland と言う歌手の“Tie a yellow ribbon on an old Oak tree”ですねと知っていた人もいると思います。どんな人にも神様は哀れみと許しを求めるものに必要なものを与えてくださるのです。

最後に、Mary Ann Bird と言う人の書いた “The Whisper Test”と言う本の中からの話を紹介します。私は生まれた時からほかの人と違って醜いアヒルのような存在をどうして私はみんなから嫌われるのだろうと悩んでいました。と言うのは私はcleft palateと言う鼻の下から上の唇が見にくい二つに割れた顔を持ってこの世に生まれてきたからです。学校に通いだした時に私は毎日泣きました。私の顔を見て、お化けのような顔、なんか動物のような顔、どうしたの、事故にでもあった、何で言葉がはっきり云えないのと私は何時もからかわれていたからです。生まれつきです。このように生まれたんですと言うと、お化けのようだと言われ、家に帰って泣いた日も沢山ありました。「ガラスのかけらのあったところで転んで唇を切ったんです」と言ったこともあります。しかしその時も私は心の中で何時も泣いていました。私の家族のほかに私を愛してくれる人なんかいないと長い間思っていました。

私が小学校の2年生になった時、Mrs. Leonard という背の低い、ふっくらした体系の女のやさしい先生が、私の組の担当の先生になったんです。一年に一回わたしの学校では耳の検査hearing testがあり、ひとりひとりがドアの所に立って,先生が言った言葉が聞こえたかどうか調べられたのです。先生はたいてい、『空は青空』とか『あなたは新しい靴はいてる』など言われてそれがちゃんと聞こえているか調べられたのです。私の番となり、なにを言われるかなと思っていたとき、思いがけない言葉が私の耳に入ってきたのです。それを聞いて私は泣いてしまいました。先生はウィスパーでこう言ったのです。 “Ann, I wish you are my little girl.” 「アン、あなたが私の小さい娘だったらな」。神様であるイエス様も私たちにこう言ってくださっているのです。  “You are my son!  You are my daughter! You are my child!” “I love you as you.”

「神はその独り子をお与えになったほどに、この世を愛してくださった。それは御子を信じるものが一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」。アーメン。

 

Back Top

Comments are closed.