April 9th, 2012

2012年4月8日復活祭聖餐礼拝説教「全てを変えた出来事」”That Changed Everything”岸野豊牧師

牧師説教, by admin1.

マルコによる福音書 16章1-8節「全てを変えた出来事」“That Changed Everything”

私たちの父である神と、主イエス・キリストの恵みと平和が、あなたがたにあるように。アーメン。

人間の歴史の中で、あの出来事は全てを変えたと言われたものが沢山ありました。例ば、火、それはFireです。その火が稲妻から出てきたものか、あるいは火打石のような物から出てきたか分かりませんが、人間はすべての生き物の中で最初に火を起こす事を発見したのです。何万年、何千年も前、洞窟で寒い夜を過ごしていたのですが、火を起こすとによって暖かく過ごせる、また料理の仕方も変わったわけです。火の発見と使い方は私たちの生活の全てを変えたのです。時がすぎ、人間が発明した道具の一つは丸い木で出来た車輪です。車輪は、物を動かす時に便利な道具であり、それが馬車、自転車、自動車のタイヤと発展していったのです。車輪の発明は私たちの生活を変えました。仕事が楽にできるようになったからです。15世紀にはグーテンブルグという人が初めて印刷機を発明したのです。それまでは文章を出版するのは紙に手書きで書いていたのです。マルチン・ルターは宗教改革を始めた人でしたが、聖書は数が少なく、それらは皆手書きだったのです。ルターはこのグーテンブルグの印刷機を使って、初めてのドイツ語の聖書を出版したのです。それ以来、印刷機は私たちの生活の中で欠かせないものですが、世界の中で印刷機ほどCommunicationを広めたものはなかったでしょう。

私は日曜の夜から木曜日にかけて次の日曜日の説教を準備します。牧師さんの中には一晩で説教を書き上げることのできる人、また休暇をとって1ヶ月、2か月分の説教を書くことのできる牧師さんがいることを知ってますが、今私がこの説教を書いているのは4月6日の夜、9時です。これも一昔前のことですが、説教を書くにあたって初めのころは紙に書いていたのです。しかしそれを何度も読み直してみて、これは良くないと言うところがあれば、消しゴムでそれを消してその上に書き直した文章を入れたのです。

英語で文章を書く時は、タイプライターを使いましたが、日本語ではそれもなかった時代が1984年まで続きました。では1984年に何が出てきたのかと言えば、Personal Computer です。それは、Steve Jobs が Apple と言う出来立てほやほやのコンピュターの会社で発売したLisaというpersonal computer でした。IBMも負けずにPCと言う名前でPersonal Computer を出し、それ以来、私たちは今、computerなしで生活をしていくことが出来ません。

同じように、エジソンの初めて作った電球、ヘンリー・フォードの初めての自動車、ライト・ブラザーによる初めての飛行機と、世界を変えた発見、発明が私たちの生活を変えてきました。前置きが長くなりましたが、世界の中で一番、影響を与えた出来事とは何であったかと言うと、これは私の、そしてクリスチャンとしての発言ですが、それはイエス・キリストの誕生と十字架にかかって死んだ歴史的な事件です。イエス様の何が私たちの人生の歴史の中で重要なことかと言えば、十字架にかかって死んだイエス様が、甦えられたことです。

その前の金曜日にユダヤの宗教、政治家によって十字架にかかって死んだ、いや、殺されたイエス様の死体に、油と香料を塗るために婦人たちは、イエスの墓に行って見ると墓の石はすでに転がされていたのです。福音書のこの記事によると、墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いたと書いてあります。そして、そこにいた若者は言ったのです。「驚くことはない。あなた方は十字架につけられたナザレのイエスを探しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。さあ、行って、弟子たちとペテロに告げなさい。『あの方は、あなた方より先にガリラヤに行かれる。かねて言われていたとおり、そこでお目にかかれる』と。婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、誰にも何も言わなかった。恐ろしかったからである。もし皆さんが、その場にいたとしたらどう思ったでしょう。

「イエス様は復活された」。その言葉と出来事ほど 私たちの世界の中で大きな影響を及ぼしたものは他にないでしょう。2千年以上前に「イエス・キリスト」は死人のうちよりよみがえられたと叫ばれたその言葉は今ここでも言い継がれているのです。それは過去に起こったと言うだけではなく、今現在私たちが聖霊に導かれて宣言のできる信仰の告白です。キリスト教の信仰を一言で言うなら、「イエス様は死んで、3日目によみがえり、今生きておられるということです。今生きていらっしゃるイエス様と共に歩むことのできるわたちたちにとってこれほど勇気と希望を与えてくださるものはありません。イエス様の復活は私たちに神様は愛の神様、平和の神様、哀れみと許しをおあたえになる神様、そして、私たちを決して離れることも見捨てることもしないと約束された神様です。

この神様、イエス様はどこに住んでいるか皆さんご存知です。そうです、神様は私たちの中に住んでいらっしゃるのです。神様はどこか遠くにいる方ではなく、私たちの中、私たちの心と精神の中に住んでいるのです。また二人、三人と集まるところに、神様は私たちと共にいてくださるのです。ですから、神様は決して遠くにいる方ではなく、わたしたちのみじかなところにおられるのです。

イエス様の復活の出来事ほど世界を変えたものはありません。それは御子を信じる者が独りも滅びないで、永遠の命を得るためである。しかし、私はイエス様を信じる者のみが神様のもとにいくことができると言う言い方に抵抗を感じます。まだイエス様の愛、イエス様の愛を経験したことがないと言うひとはたくさんいます。 日本ではキリスト教を受け入れた方は人口の10%もいないのです。かといって日本人は神道か仏教かと言われても、果たしてこれらの宗教の教えをはっきり把握しているでしょうか?神様とはどんな方、神様を信じるとは、私にとってどんな利益があるのでしょうか?

過去10年、わたしは毎年日本に1週間から10日にかけて帰えります。母の様子を見に行くのが第一の目的ですが、小学校時代の友達、高校生時代の友達、大学時代の友達とも会う機会を持ちます。そこでカラオケにも行きますが、このごろはお互いの人生について語り合う、将来への希望、不安なども話し合うのです。まず、毎年最初に聞くことは80歳半ばの友達の両親の健康状態、これからどのようにして両親を見守ってゆくか、ということです。また私の友達の中には、60歳を迎えて退職し、年金で暮らしている同級生も沢山いるんです。そして前には考えられなかったことですが、話のなかに出て来ることは、お互いの残された生涯をどのように生きていったらいいだろうかと心の奥底にしまってある思いをさらけ出して語るのです。友達の一人からこう聞かれました。「おい、岸野、お前さん、牧師だろ、人の命ってどんなものか教えてくれよ。俺、若い時、会社の仲間と毎晩酒を飲んでた。肝臓を壊して、その上、糖尿病でこの頃は食事の制限までされている。3年待って退職するべきか、それとも今会社を辞めて体に楽なような生活をしようと思ってるんだけど、どう思う? かみさんと子供たちからも、「お父さん、自分の体は自分の心の持ち方から始まるんだと言われているんだ」。彼は今度は涙を流して、私の手をとり、言いました、「俺のこと、馬鹿と思われてもしょうがない。でも祈ってくれよ」。彼は今からでもいい。もう一度人生のやり直しをしたいと真剣の思っているのです。誰か神様と言う人を信じたいのです。残された人生を今までの生活からUターンしたいのです。そこで、神様と言う人生の助け、人生のガイド、喜びも、悲しみも、つらい思いを聞いてくださる方が必要になのです。

さてこのキリスト教の一番大切なイースターの日を迎えて、イエス様とはどのような方であるか、もう一度考えてみたいと思います。イエス様は偉大な教師、預言者、そして私を含めキリストに従うものにとって救い主、主なる神様です。聖書によれば、イエスは処女から生まれ、罪のない一生を送り、3年間ユダヤの民の中で暮らし、教え、ユダヤの宗教家、またローマの植民地の監督であったポンテオ・ピラトの下で十字架につけさせられ、陰府に下り、3日目に甦り、天に昇り、全能の神の右に座した方です。

聖書にはイエス様の誕生の何百年も前に、預言者たちは彼が現れることを予言していました。千五百年という長い年月にわたり、多くの著者によって書かれた旧約聖書には、3百箇所以上、イエス様に関係する預言が含まれています。奇跡的な誕生、罪のない生涯、多くの奇跡、死とその死からの開放です。それらすべての預言が真実となりました。イエス様は、自ら、罪を赦す権威があること、悪魔を追い出すことができると主張しました。さらに、自分と神は同一であると公言したのです。神であると宣言したことは、当時の宗教家や、政治指導者を激怒させるに十分でした。そして、彼らはイエス様を、十字架にはりつけにしたのです。イエスは墓に葬られ、その3日後、死から甦ったのです。

キリスト教はイエス様の復活なしには存在しません。もし死からの復活が起こらなかったのなら、キリスト教信者の信仰は嘘に基づくものとなってしまいます。永遠の命への希望は、根拠のないものとなってしまいます。しかし、復活が事実でならば、私たちはイエス様を救い主、そして神として受け入れることが出来るのです。

何世紀にもわたって、イエス様の復活の証拠を研究してきた偉大な学者のほとんどが、今でもイエス様が生きていると信じています。地上での人生と、死後永遠に続く人生は、『あなたにとってイエス・キリストとは?』と言うこの問いに、どのように答えるかによって変わってきます。どうかイエス様があなたに与えようとしている人生が何であるか、それを見出し、その中で永遠に続く神様からの祝福をください。アーメン。

 

 

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