July 14th, 2012

2012年7月8日聖霊降臨後第6主日礼拝説教「アメリカの独立祭に思う事」”Pondering on America on The Independence Day”岸野豊牧師

牧師説教, by admin1.

「アメリカの独立祭に思う事」”Pondering on America on The Independence Day”

私たちの父なる神と主イエス・キリストから恵みと平安が、あなた方の上にあるように。アーメン。        

 

説教の初めに言って置きますが、今日与えられた福音書と私の説教の内容とは関係がありません。アメリカ独立祭はアメリカの歴史の中で大きな意義のある歴史的なお祭りの日です。どこの町に住んでいても独立際を祝うパレードがあり、その夜に花火が空をきれいに飾った事と思います。私の家でも毎年BBQを食べながら、RiversideMt. Rubidoux のふもとから打ち上げられる20分にわたるきれいな花火を見ることができます。

日本では花火は何かのお祭りの時、それも夏のお盆の時に駄菓子屋で買った線香花火、ねずみ花火をしながら杏(あんず)を水飴でくるんだお菓子を食べた懐かしい時を思い出します。また祖母を手伝ってキュウリやナスに割り箸を使って動物を作り、その動物に乗ってご先祖様がお彼岸の日に帰ってこられると聞きました。

アメリカ人はこの国の建国以前、何千年も前からこの土地に住んでいたNative Americanの歴史と比べたらこの国も歴史は本当に短いものです。177674日にアメリカはイギリスから独立したのですが、それは日本の徳川幕府の中間の時だったはず、しかし日本とアメリカの関係はまだまだ明治維新を待たなければならなかったのです。アメリカ人は一般に自分の国について大きな誇りを持っています。それはそれまで世界を制していたと言われるイギリスと独立戦争に打ち勝ち、恵まれた資源と、世界中から来た移民によって建国の精神に燃えていたからです。

私の父方の祖父はまだ二十歳そこそこで、明治40年、西暦1907年にアメリカに移民を希望して、日本郵船の「加賀丸」というシアトル行きの船でこの国に来たのです。この国でいろいろな仕事をして8年たった時日本から20歳でアメリカに渡ったものは徴兵拒否者と判定されたのです。岸野家の名誉のために帰ってこいとの命令でしぶしぶアメリカを出、日本に帰ってきたのです。私の育った家は私の両親、私の祖父、祖母と一緒でしたから、そこでオールドブラック・ジョウやオースザンナなどの歌を祖父が歌っていたのをよく思い出します。私が大学3年の時、アメリカの神学校に行くことが決まりましたと祖父に知らした時、「それは良い、ぜひ行きなさい、それがお前の希望なら」と最初に言ってくれたのも祖父でした。

今ここにいらっしゃる皆さんは、アメリカに来て50年以上経っている方もいま すが、私が察するに、人生の半分はこの国で過ごしている人たちがほとんどでしょう。アメリカに来た理由は、一人ひとり違うと思いますが、今この国にいるということは、アメリカが私たちの定住場所だからです。

何年か前、日本に両親を尋ねていた時、母の姉、私の叔母が病気で寝たきりになっているのを知って、独りでお見舞いに行きました。その時、昔のことを良く話したのですが、さておいとましますと言う時に、「豊さん、あなたと大切なことを話したい」と叔母のベットの横で、「さて大切なこととは何ですか?」と聞いたところ、こう言われたのです。「豊さん、あなたは両親を捨てたのね。もう日本に帰ることあるの」と。それを聞いて、私の胸の中で、ムカッとする思いになりましたけれど、それをじっと抑えて言いました。「私は両親を捨てたなんていわれると悲しくなります。毎年一度、あるには2度も日本に帰ってくる理由も、両親への親孝行と思い、少ない時間ですが、有効に過ごしてきたのです。ナンシーだって、日本に行って親孝行して来てねと言っているんです。二年ごとに日本に行った理由も子供たちに、おじいちゃん、お婆ちゃんのことをもっとよく知ってもらいたいからです。大学生一年生の時、私は牧師になりたいと思うようになり、またそのための勉強もアメリカの神学校でする決意をしました。両親にそのことを話した時、母は寂しそうな顔を見せましたが、父は、「それが豊のしたいことであるなら、中途半端な思いでなく、一生懸命やりなさい」と言ってくれたことに今でも感謝しています。教会のインターン・シップの時知り合ったナンシーと出会い、神学校の卒業式、フィラデルフィアの教会に副牧師として呼ばれたこと、按手礼、そして結婚式と忙しい時を1979年の6月に持ちました。

さて皆さんの内に、岸野先生、今日の説教は、「アメリカの独立記念日を覚えて」と言う題なのに、何かアメリカの独立記念日についてお話しするんですか?」と思っているかたがいるでしょう。今から本題に入ります。わたしがGettysburg, Pennsylvania の神学校に入学したのは1975年の9月でした。前にも何回も話したと思いますが、Gettysburgはアメリカの南北戦争の激戦地です。神学校はその戦場のど真ん中にあります。そしてGettysburgの町は政府から国立公園として認められています。また神学校は1826年に設立されたアメリカでは一番最初のルーテル神学校で、私が神学校に入学した翌年の1976年は150周年のお祝いの年としてその準備に忙しい時でもありました。当時、外国人の神学生は私と他にフィリピンとナミビアと言う国から来た人たちだけでした。

南北戦争はアメリカの東部の州のいろいろな所で戦われましたが、1876年の7月にGettysburg で戦われた戦争の結果、南軍は後退したのです。この南北戦争を背景にして書かれた小説が皆さんの知っている、「風と共に去りぬ」と言うマーガレット・ミッチェルさんのものです。後に映画化されアメリカの中で今まで一番親しまれた、クラーク・ゲーブルとビビアン・リーの共演した映画です。Gettysburg3日にわたっての戦争で5万人近くの人が命を失ったのです。この南北戦争について少し語りますと、アメリカの東の州は北が、機械を使っての工場が中心の経済体系を作くりあげていたのに比べ、南の州は農業中心の経済体系、またそこでの労働は機械でなく、人の手で行われていたのです。そこでの労働者は、アフリカから連れてこられた奴隷、アメリカの市民権も持たない、選挙権もないしたげられていた黒人だったのです。

さて年を100年さかのぼって1776年の74日にイギリスより独立戦争に勝ったアメリカは、独立宣言をし、その後、憲法草案の仕事に入ったのです。北の州は奴隷解放を訴えましたが、南は農業中心、そこでの働き手の奴隷解放には大反対をしたのです。人間は聖書、それもイエス様の精神で読むとすべての人が平等であるはず。これは多くの北部の人たちに受け入れられたのですが、南部の政治家に反対され、 憲法草案にすべての人の平等さが認められなかったのです。しかし南北戦争で北軍が勝ったことにより、リンカーン大統領の政治政策上の大きな貢献は奴隷制度の廃止でした。今日アメリカの国のおいて、宗教の自由が認められています。キリスト教だけではなく、ユダヤ教も、回教も、仏教も、ヒンズー教も、モルモン教も、その他いろいろな宗教がありますが、アメリカの国が誇ること、それはこの国において、すべての人に、信仰の自由があるということです。

岸野先生、時々皆さんから、「先生、あなたはとても信仰についてリベラルですね」と言われます。リベラルと言われても、私はイエス・キリストを主と信じ、イエス様の精神に従って生きて行きたいのです。イエス様の愛を多くの人と分かち合いたいのです。聖書を読むことにより、私たちはイエス様の愛の御心がわかるようになり、イエス様の愛が、私たちの言葉だけでなく、私たちの行動の中で神の国が実現されるように努めて生きてゆきたいのです。

今年の74日のIndependent day 4日前にすでに終わっていますが、私たちアメリカに住むものにとって、また、キリスト者として私たち一人ひとりが、主なる神様を信じること、またこの神様であるイエス様の愛の精神が私たちの人生の中で毎日実行されることを祈ります。

アーメン。

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