July 19th, 2012

2012年7月15日聖霊降臨後第7主日聖餐礼拝説教「二人の預言者:アモスと洗礼者ヨハネ」”Two Prophets:Amos and John the Baptist”岸野豊牧師

牧師説教, by admin1.

私たちの父である神と、主イエス・キリストの恵みと平安があなた方の上にあるように。アーメン。

牧師さんの殆どは、キリスト教に関心を持つ人達に、聖書に親しむために一番最初に読んで欲しいのは福音書です。私は聖書を初め創世記から読みたいという人もいます。創世記自身は読んでその話の内容が面白い、考えさせられる、と感じる方も沢山いるのですが、ユダヤ人の守るべき律法の本、レビ記などを読み始めると、これは何のことを言っているのかわからない、つまらない本だ思う人も多くいるはずです。

私の母は、敬虔なクリスチャンですが、聖書と言うとやはり新約聖書、それも福音書のイエス様の話を私がまだ幼い時に物語として語ってくれました。わたしが旧約聖書を真剣に読み出したのは、立教大学のキリスト教学科に入ってからのことです。旧約聖書の中に多くの預言書といわれる本があります。それは預言者といわれる人が書いたイスラエルの歴史の中で、神様から、神様の言葉を預かり、その言葉をイスラエルの人々に伝えたのです。

皆さんの中で、預言をすることのできる人を知っていますか?  もうそろそろ一年半になる東日本の大震災のことについてそれを予言した人たちのことが日本のウエブ・サイトでたくさん出てきます。この場合の予言は漢字で予言、その意味は未来を予測して言うこと、未来のことを言い当てることであり、聖書の中で出てくる預言は、ユダヤ教、キリスト教で、神様から受けた啓示を人々に伝えること、また、もっと端的に言えば、神様の言葉を預かって語ることです。

聖書の中には48人の男と7人の女の預言者が出てきます。それには、アブラハム、イサク、ヤコブ、モーセ、ヨシュア、エリ、サムエル、ダビデ王、ソロモン王も入りますが、多くの預言者はイスラエルの国が、北と南に分かれたころからの国の乱れが出てきた時に、神様の元に戻れと呼びかけているのです。

特に有名な預言者であるイザヤはイスラエルの人たちに、彼らの神からは慣れてみだらな生活をしている者の生活を批判しながらも、慈しみに満ちる神様が、もう一度地上に現れる。その方こそが、私たちの待ち望んでいる神様なのだと宣教したのです。

さて今日与えられた聖書の日課、それは、アモス書とマルコによる福音書の中で与えられた預言者の言葉の内容を考えて見ましょう。

アモスは職業が、ダビデのように羊飼いであり、また、イチジク桑の世話をしていた紀元前750年前の預言者です。この時代にユダヤ人の国は、政治的な問題によりイスラエルの国が二つに分かれたのです。北は、サマリア地方を含むイスラエルと言う国の名を付けたのですが、南はエルサレムを中心とするユダと言う名の国となったのです。

今日の福音書の中で出てくる洗礼者ヨハネは、イエス様と同時代の預言者であり、イエス様のお母さんとヨハネのお母さんとは従兄弟同士であったのを皆さんご存知だと思います。この二人が共通に嘆いたことは、国の政治が乱れていたことであり、宗教のリーダーも堕落していたことです。

金持ちは自分たちだけの利益、また宗教のリーダーも自分たちの面子を守ることに固執して、世の中の貧乏人、病気の人たち、職業のない人たちに、何らかの慈しみを与えることさえ考えることもできなかったのです。

どこの国にも、繁栄した時があり、後退する時があります。敵は、そのような堕落した国の政治とその国の内政が乱れた時にやって来て、その国を滅ぼすのです。また国家が繁栄していると思われる時、すでに、内部から崩壊が始まっていることがあります。それは地上の色々の国が、あらゆる時代を通して経験してきた事実で、権力につくものに、自分は絶対者であると言う意識が出てくるのです。

紀元前1400年のころ神様はモーセを通してイスラエルの人たちに、律法を授けました。その後、カナンの地に定住したイスラエル民族は、モーセから400年がすぎて、ダビデ王によって、自分たちの王国を確立しましたが、紀元前933年にダビデ王の孫、レハべアム王の時代に、北イスラエル王国と南ユダヤ王国に分裂したのです。

この北にあったイスラエル王国は、紀元前721年に、アッシリア帝国に滅ぼされ、住民は皆捕虜として、バビロニアまで奴隷として連れて行かれたのです。

神様はイスラエル民族が、カナンの地のおいて、どう生きていくかについて、モーセを通して律法と言う形として教えてきたのです。それは第一に、「あなた方の神、主である私は聖なる者であるから、あなた方もせいなるものにならなければならない」と宣言し、具体的なこととして、「父母を敬うこと」、「安息日を守ること」、「偶像礼拝をしてはいけないこと」また、神様に対して聖であると言うことは、隣人を愛することであるとして、「あなたの隣人を自分のように愛しなさい」と教えたのです。

その具体的なことは、在留異邦人のため収穫の落穂を残しておきなさい、隣人を虐げたり、盲人をつまずかせてはならない、と言うことです。

しかし、北イスラエル王国の歴史は、まさにその教えを踏みにじるようなものでした。北イスラエル王国が誕生した時の王様、ヤロボアムは、国の民が南のユダヤ人のエルサレムまで行って民の心が北イスラエルから離れることを恐れて、金の子牛を作り、それはユダヤの民をエジプトから救い出した神であると言って礼拝することを求めたのです。

預言者アモスは、イスラエルの民が犯した罪を指摘していきます。神様はアモスを通して、北イスラエル王国にその滅亡と捕虜になってアッシリアに連れて行かれることを預言したのです。

旧約聖書はユダヤ人のためのもの、新約聖書こそ民族をこえたすべての人を救う神様の愛が示されている書物と一般に考えられますが、聖書は旧約の創世記から、新約聖書のヨハネの黙示録に亘って、神様が全世界の人たちへの救いの道を宣べ伝えている神様の Love letter です。

さて新約聖書の4つの福音書に共通に洗礼者ヨハネの記事が書かれています。ヨハネも旧約聖書の預言者と同じく、神様、特に、神様の一人子としてこの世に送られたイエス様に対しての愛の信仰を求めるように語った預言者の一人です。

新約聖書の洗礼者ヨハネはイエス様と同時代の預言者であり、イエス様のお母さんマリアとヨハネのお母さん、エリザベトは従兄弟同士であることを皆さんご存知と思います。

ヨハネ、イエス様の時代、イスラエルは、ローマ帝国の一部であり、国民は税金をローマ帝国から徴収されていたのです。イスラエルには一応ヘロデと言う王様はいたわけですが、このへロデは暴君で民衆からはあまりよく思われていなかったのです。イエス様の生まれた時、3人の博士たちがユダヤの地に生まれた救い主はどこで見つけることができるのかとこのヘロデ王を尋ねたのですが、このヘロデ王とは血のつながりはあっても違うヘロデです。

このへロデは自分の兄弟のフィリポの妻ヘロデアを娶ったことで洗礼者ヨハネに非難されことに嫉みを持ち、ヨハネを殺す機会を待っていたのです。ヘロデ王の誕生日を祝う宴会に多くの客を呼び寄せ、そこでヘロデアの娘に余興のダンスをしてもらうよう頼んだのです。ヘロデ王は言いました。そのダンスのお礼に、欲しいものがあれば、何でもあげよう。この国の半分もやろう」と言ったのです。ヘロデアの娘は母親の所に行き、王様から何をいただきましょうかと相談した処、ヘロデアは「洗礼者ヨハネの首」をと言ったのです。

聖書の中に、このような悪さ、怖いことが書かれているのを、キリスト教の信仰を持とうと考えている人達に、聖書は、何と酷いことを書いていると思う人もいると思います。キリスト教の教えに従う私たちの信仰の先輩たちの中にも、このように、迫害された人たちが、過去に多くいたのです。

ルーテル教会というプロテスタン教会の生みの親と言われる、マルチン・ルターは15世紀のローマ法王のキリスト教の教えと行動に憤慨したのです。当時、レオ10代目という法王の下でカトリック教会の本山バチカンを大きくしたい、人が見て、これこそ地上における神の国の素晴らしい所だと言われるようなものにしたいと言う思いがありました。

ヨーロッパの教会は皆バチカンに教会税を払っていたわけですが、それ以上のものが必要と、レオ法王が考え出した特別献金は免罪符と言うお札を民衆に買わせたのです。私たち日本人の中にも、神社でおみくじを買って人生の占いをするのと同じように、免罪符と言うものはそれを買うことにより、地獄とこの世に宙ぶらりんになっている死んだ私たちの親、子供、家族の人たちを天国に入れてもらえるようになると書かれた救いの手段が買された、それも法王認定の証明書です。

しかし、人間は、イエス様、神様の愛をお金を払って買うことはできません。しかし、イエス様を信じ、イエス様が私たちの罪のために死んでくださった。その私の、私たちの罪のために十字架で死んでくださったイエス様は、復活したのです。そして、私たちも、いつの日か、神様の許に連れて行ってくださることを約束なさっているのです。

イエス様と言う神様を信じる私たち、信じるその賜物をいただいた私たちは幸福です。またその賜物をまだイエス様の愛を知らない人たちに知ってもらえるよう私たち、キリスト者は常に祈るのです。アーメン。

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