July 29th, 2012

聖霊降臨後第8主日合同礼拝説教「過去の方程式から抜け出そう」”Departing From Our Own Equation” 安達均牧師

牧師説教, by admin1.

主イエス・キリストの恵みと平安が会衆一同と共に豊かに与えられますように。

 

今日、7月にクリスマスを祝うことを知らずにこの礼拝に来られた方、いらっしゃると思います。 「こんな予定ではなかったと。クリスマスはそもそも冬の12月に祝うものなのに、なんで夏に祝うの?」と思っていらっしゃるかもしれません。でも、ようこそいらっしゃいました。 あるいは、「7月のクリスマス」という言葉に馴染みのある方でも、言うまでもなくクリスマスは冬に祝うものという暗黙の方程式を感じている方々もいらっしゃるでしょう。7月にクリスマスソングを歌い聞くとは、どうも方程式に沿っていないというご気分の方々がいらっしゃると思います。 

あなたの現在の人生を振り返ってみてください。「私の人生、こんな予定じゃなかった。」と言われる方、いらっしゃるのではないかと思います。

聖書の話から、ヨセフとマリアは、彼らの婚約期間にどんな心境だったかを見てまいりたいと思います。 さらに、羊飼いたちにとっても、イエスキリストの誕生について、どんな気持ちだったのか考えて見ましょう。

今日与えられた聖書の箇所からさかのぼること9ヶ月か10ヶ月くらいでしょうか、乙女マリアは天使からお告げがあり、「神の意思によって、あなたは妊娠し赤ちゃんを授かる、その子は、いと高き方。」と言われます。 そんなことは、もちろんヨセフとマリアの方程式には入っていませんでした。 

実際には、確かに妊娠して、誕生の時期が近づいてきました。 しかし、そのような時期に、住民登録の関係で、ヨセフはマリアをつれて、ベツレヘムに旅行をしなければならなくなりました。「それにしたって、ベツレヘムで宿くらいはみつかるだろう。」と思って出かけたことでしょう。ところが実際は宿も見つからず、思いもしなかった場所でイエスが生まれる状況におちいります。それは馬小屋でした。 マリアとヨセフは、馬にえさを与えるいれものの中に布にくるんでイエスを寝かせました。 これまた、ヨセフとマリアの方程式には入っていなかったことです。 そのころベツレヘム近郊には、羊飼いたちがいました。 そこに、天使からお告げがあり、「飼い葉おけに寝かせた赤ちゃんをベツレヘムで見つける、その赤ちゃんが、世の救い主だ。」と言われます。

羊飼いたちにとって、そんなバカなと思えるようなことだったでしょう。 しかし、そのとき、ほかの多くの天使たちが、最初の天使に加わって、大合唱をはじめました。 「いと高きところに栄光、神にあれ。地には平和、御心の適う人にあれ。」との大讃美です。そして、羊飼いたちは、そんなに天使たちが讃美するならと、実際にベツレヘムの街中に出かけてみることにしました。

すると確かに、飼い葉おけに寝かされた赤ちゃんを発見し、その子が、神の子、救い主、平和の御子と信じることになったのです。  

マリアから生まれたイエスは、すくすく成長し、若いころは父親の職業をついで大工になりました。 しかし、突然、大工の道からはずれ、宣教の道にはいり、3年後には十字架にかけられ殺されてしまいました。そのとき、おそらくマリアは四十代半ばだったと思いますが、自分より先に長男が悲惨な十字架刑により亡くなるなどとは、全然、彼女の方程式には入っていなかったことでしょう。  

しかし、それから 2000年後、世界で20億人もの人々が、毎年すくなくとも一回はイエスキリストの誕生を祝い、また、イエスが復活した日曜には毎週イエスを礼拝しているのです。これは、人間が考えだした方程式ではなく、神のみ心によって成り立っている方程式なのだと思います。

今日読んだクリスマスのストーリ、さらに、イエスの生涯、さらにキリスト教会の発展は、いったい何を私たちに物語っているのでしょうか? 

すくなくとも、私たちは、今日の聖書箇所からは、どこにもイエスキリストが生まれたのが12 25日だとは書いていないことは自明だと思います。ちなみに聖書のどこの箇所を読んでも、イエスが生まれたのは、1225日だとは書いてないのです。

北半球に住んでいるわれわれにとって、とかく、キリストの誕生は12月の冬に祝うものだという感覚がありますが、南半球に住む方々にとっては、夏にクリスマスを祝うという経験をしています。また、赤道付近にある国々にとって、クリスマスは冬ではありません。よく言われることは、キリスト教は南でのびているというのです。 20世紀を振り返るとアフリカや東南アジアでキリスト教徒が非常に増えたというのです。たとえば、インドネシアにはHKBPというルーテル教会がありますが、その信徒数は400万人を超えて、おそらくアメリカ福音ルーテル教会の信徒数より増えているのです。夏の気候や、赤道直下の気候の中でクリスマスを祝っている方々にも、まちがいなく、この世にイエス・キリストが生まれた喜び、キリストの愛は、伝わっています。さて、この話が、南カリフォルニアとハワイで伝道をしている、パシフィカ教区、さらに、この復活ルーテル教会にとって、どういう意味があるのでしょうか?

パシフィカ教区には118の教会がありますが、その半数以上、65教会は1950年代、1960年代に建てられた教会です。建てられたときの戦略は、中西部からこのカリフォルニアやハワイにやってくるルーセランを、教会に招いて、各個教会が成長しようという方程式でした。それは、その時代は有効な方程式だったと思います。しかし、80年代90年代になってくると、様相は大きく変わっています。 わたしたちは、ルーテル教会にきている家族の次世代の子供たちは、現在礼拝をしている人々すべてにとって変わることはないだろうという話を聞きます。 しかし、この復活ルーテル教会を見てください。ちょっと質問をさせていただきたいのですが、私はそもそもローマカトリック教会、あるいは正教会系の家庭で育ったという方、、、おそらくかなりいらっしゃると思います。 ようこそ復活ルーテル教会にいらっしゃいました。 あるいは福音派プロテスタント教会に行っていたという方もいらっしゃることでしょう。 ようこそ復活ルーテル教会にいらっしゃいました。 あるいは、わたしは、過去とくに教会にはいってませんでした。 あるいは、いまだに信仰があるのかどうかよくわからないという方いらっしゃるかと思います。 ようこそいらっしゃいました。 なぜなら、お一人お一人、だれかからの誘いでこられたのかもしれませんが、真理は、神の呼びかけがあって、今日この場にこられているからです。  

私自身は、日本のロシア正教会で、洗礼を授けられた人間です。それでも、神の慈しみ愛の中で、神が導かれた過程を経て、アメリカ福音ルーテル教会の牧師にさせていただきました。10年前まで、その ようなことは、私が計算していた人生の方程式には全くありませんでした。 

また、48年前にはじまったこの教会で、24年後には日本語でのミニストリーがはじまり、その48年後には、一人の日本人牧師が子供向けのメッセージを担当し、もう一人が説教を担当するということが起こっていますが、このようなことは、復活ルーテル教会がはじまったときの方程式では、まったく計算されていなかったことだと思います。 最後に、忘れてはいけません。 代々、私の家系はルーテル教会の家族で、今日もこうしてルーテル教会に来ましたという方もいらっしゃることでしょう。 本当に、異なる文化、異なるキリスト教会の宗派の人々を受け入れてくださって本当にありがとうございます。 

今日、7月にクリスマスの箇所の聖書を読んだことから、とくに申し上げたいことは、わたしたちが考え得る方程式をはるかに超越した神の思いと恵みが、マリアにヨセフ、そして羊飼いたちに働いたように、私たち一人一人の上にも働いています。 どうか過去の方程式にとらわれず、聖霊の働きによる新しい方程式に導かれて、神の使命のために仕えましょう。 

 

メリークリスマス。

 

 

 

 

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