ローマの信徒への手紙3章19-28節
「信仰による義」 “Justification by Faith”
私たちの父なる神と主イエス・キリストから祝福と平安があなた方の上にあるように。アーメン。
今日は宗教改革記念日です。と言ってもそれは何でしょうかと思われる方がいると思います。私は両親に連れられて小さい時からルーテル教会に行きましたが、ルーテルと言う意味が何であるかがはじめて分かったのは高校生になってからのことです。ルーテルとはマルチン・ルターと言う16世紀のドイツに生まれたカトリック教会の司祭であり、英語ではLutherです。日本人の多くの人は、マルチン・ルターは、アメリカ公民権の指導者として活動し、1964年にノーベル平和賞を受けた黒人の牧師さんではないかと思われますが、それはマルチン・ルター・キングです。
今日お話しするマルチン・ルターは聖書学の教授でもありました。この人がヨーロッパの教会を支配していたカトリック教会、それもカトリック教会の法王と教会の救いの定義を否定したことにより、カトリック教会から破門されたのです。
しかしルターは彼をサポートしたPrince Fredrick と言うルターの住んでいた所の王様に守られてキリスト教、特にカトリックの教えに反対する運動を起こしたのです。私たち日本人は教会、特にキリスト教会の教えとは何であるかという問いについてあまり、つきつめて考えることがありません。聖書はよく読む人も、聖書に書かれている物語は遠い外国の昔起こった話、そこで起こった事件、物語は、東洋人の私たちにどのように関係するのだろうと思ったことがあったはずです。
それはクリスチャンの人口が日本ではまだ1%もいない数で、聖書を読んだこともない人が多い、また、キリスト教は西洋人の宗教だと考える人がまだ多くいるからです。
私は日本人の宗教観、特に仏教、神道を否定しません。日本の文化が仏教と神道との関係を持って築かれたことを知っています。私の父母も20歳のころから聖書を読み始め、教会の礼拝に通うようになりました。お互いが違う教会に行っていたのですが、婚約後、父の家の近くで、アメリカ人、それもアメリカのルーテル教会から宣教師として派遣された、オラフ・ハンセン牧師と、戦争中、投獄されていたルーテル教会の川島先生がいっしょに始めた、東京JRの巣鴨駅に近い小石川・ルーテル教会に通いだしたのです。
私は両親がすでにクリスチャンであったことで、生まれて3ヵ月後に小児洗礼を受けました。その式のことは何も知らないままで洗礼を受けたのですが、頭に洗礼の水を注がれた時、眠っていたのでしょう、きっと冷たい水?で起こされ泣き始めたと両親から聞いていました。洗礼がイエス様に従って生きてゆく、またイエス様を神様と信じての生活を送るイエス様の弟子になると云うことはもちろん赤ちゃんの時に分かっていた訳ではありません。しかし幼な心の中に、イエス様は私の神様と言う簡単な信仰告白を自然と教会生活の中で持つようになったのです。
私は高校から大学まで、アメリカの聖公会(Episcopal) と呼ばれる教会で始まった立教学院の中で教育されたこと、それも両親から行きたい学校に行くことは大切と言われたことに今でも感謝しています。大学生2年生の時、すでにアメリカのルーテル教会と関係する神学校に入れる許可をいただきました。牧師になりたいと思った一番の理由は、神様は私たちを愛される方、それも一般に言われる良い人、心の暖かい人、思いやりのある、親切な人を教会の中で、見てきたからでしょう。イエス様の愛を分け合いたいとの思いが聖霊を通して私の心を掴んだからです。
さて皆さんから、岸野先生の今日の説教は宗教改革記念日とどういう関係があるんでしょうと思われている方もあると思います。
それは私が、マルチン・ルターが掲げた言葉、「信仰によって義とされる」と言う言葉が、キリスト教の教えの中で一番大切な言葉であると確信を持っているからです。私たちは、だれでも、自分が、神様に正しい人、親切な人、思いやりのある人と呼ばれたいはずです。それも、自分を正当化する訳でなく、自分が、神様に仕える者となることは他の人間に対して正しい生き方をすることができるような人生を送りたいと言う思いがあるからです。もちろん誰でも、自分と言う人間を「あの人はいい人だ、心の広い人だ、寛大な人だ、慈しみに富んだ人だ、親切な人だ」と呼ばれたいのです、思われたいのです。私は皆に嫌われて人生をすごしたいと思う人は独りもいないはずです。どの宗教も、「私たちはどのように生きてゆくべきか、私たちの他人に対しての関係はどういうものであるべきか」と言う問いを私たちに投げかけています。そしてそれに対しての生き方、または道を示しているのです。
儒教は日本人にとって人生の道徳を教えています。両親を敬え、年寄りに親切にしなさい、先生に感謝しなさい。これはどの宗教でも言われることですが、私たちが、私たちの行動、それも良き行いを行うことで、私たちの人生の点を稼ぐと言う言い方もあります。稼いだ点が多ければ大きいほど、この世を去った後、天国に入れる確立が多いと言うのです。天国は神様のいらっしゃる所ですから、誰でもそこに行きたいのです。天国に入ると言うことは永遠の救いを受けるとどの宗教も教えていたのではないでしょうか。
中世のカトリック教会は、私たちの良き行いにより、私たちの死んだ後、天国に行かれる可能性が高くなるとい説を打ち出してきたのです。そこで、ヨーロッパの中世期にカトリック教会は「善行による救い」と言う教えを、カトリッツク教会の世界で一般に信じられるようになったのです。クリスチャンとして人々に良い行いをする。奉仕をする、物を分かち合う、これら自身は大切なことですが、これらをポイントとして加算することにより、その点が多ければ多いほど、その人の天国に入れる確率が多くなると考えられるようになったのです。
最もこれはどの宗教に対しても言えることではないでしょうか。仏教はヒンズー教を母体に生まれてきましたが、どちらの宗教にも、私たちの生きてきた生活によって、私たちはまた再び命をいただいて送り出される時、あるいはまた人間として、或いは、動物、猿、犬、猪、あるいは、虫などのかたちで戻ってくると言うのです。ですから、自分の人生を正しい仕方で全(まっとう)しなさいと言うのです。日本人なら誰でもそのような命の繰り返しを恐れていたはずです。
中世のカトリック教会も沢山のこのような迷信を生み出し、神様の救いを受けるためには、一人ひとりがこの世にいる間に、よき行いをし、点数を稼ぐことにより永遠の命を約束されたのです。もちろんその約束は教会の上の位にある聖職者によって与えられていたのです。多くの献金をすることも点数を稼ぐ機会であり、敢えて言うなら、献金をすればするほど、天国に行ける可能性が高くなるという証明書をいただいていたのです。これを聞いて、「ええ、そうだったんですか、そんなに教会も堕落していたんですか」と思われても仕方がありません。
16世紀の初めにカトリック教会のレオ10世は、バチカンのSt. Peter 大聖堂の建築のため、資金稼ぎに、免罪符と言う罪の許しの御札をヨーロッパのカトリックの地域で売り始めたのです。カトリック教会はその教えの中に天国と地獄と言う私たち日本人でも考えられる人が死んだ後行き着く世界を描き、その中間には煉獄と言う世界があり、そこは救いのない場所。しかしそこは天国と地獄の間にあるところで、多くの人達がそこで宙ぶらりんになって苦しんでいると人々に言い聞かせたのです。その苦しんでいる人達は、私たちの先に亡くなった親、兄弟、姉妹であり、その人達が煉獄から天国に移るためには、免罪符と言うローマ法王の元で売り始められた罪の許しの書かれた紙切れを買うことによって救われると教えたのです。勿論このような紙切れに書かれた免罪符というものが人の罪を取り除くことは出ません。マルチン・ルターはこの免罪符を売り始めた法王を批判したことによって、ローマ法王とカトリック教会から破門されたのです。破門されるということは、もはや教会の祭司としての仕事ができなくなるばかりか、ルター自身の命もねらわれたのです。ルターは彼の住んでいた土地の王様から守られ、3年にわたって人目に付かないお城の屋根裏に隠されたのです。人々はルターがローマ法王から送られたものにより誘拐され、また殺害されたと言う噂が立ったのです。しかしこの3年間はルターにとっては大切な時でした。当時、聖書はラテン語で書かれていましたし、教会の礼拝もラテン語で行われたのですから、教会のミサに出席するものたちは、何が話せされているかもわからなかったのです。3年隠されて生活していたルターの一番の貢献は、聖書を当時のドイツ人の使っていた多くの方言をまとめて、ドイツ語を一つの言語にまとめたことです。聖書が、一般の人にも読めるようになったのは、イエス様の教えが、正しく教えられるようになったと言うことです。ルターは後にキリスト教の教えを小教理問答という本で紹介し、キリスト教の正しい教えを、一般の人も分かるように書かれたのです。人が神様から赦されるのは、免罪符のような物を買うことによってではなく、ただイエス様が私たちの罪のためにご自身を十字架の死において取り去ってくださったことを信じなさいと教えたのです。
キリスト教会の大切な救いの教義は、人が自分の力で、自分の能力で救いを得ることはできません。私たちの救いは、神様であるイエス様が私たちを愛するがゆえに、自分の命さえも惜しまず、私たちの罪を背負って、私たちの代わりとなって死んでくださったことです。しかし、イエス様は父なる神様の愛と力によって甦がえらされたのです。この独りのカトリックの祭司、マルチン・ルターによってのローマ法王に対しての抵抗運動はヨーロッパ中に広がり、それが、プロテスタント教会を生み始めたのです。
プロテススタント教会は、ドイツにおいてマルチン・ルターの名前を取り、ルーテル教会、そして、長老派教会、バプテスト教会、メソジスト教会、改革派教会、英国国教会(Anglican Church, 聖公会)聖霊派(ペンテコスタル)教会と広がっていったのです。
この宗教改革は今までの教会の中で使われていた言葉であるラテン語から、自分たちの国語での礼拝の仕方に代わって行ったのです。マルチン・ルターは16世紀にドイツの地域で使われていた方言をまとめドイツ語の統一に尽くしたことでも知られています。
またルターはカトリック教会で禁止されていた祭司、修道女の結婚を認めたのです。ルターは修道院に入っていたキャサリナさんと結婚して聖職の人も家族を持つように薦めたのです。16世紀にこの宗教改革が起こった、またそのニュースがヨーロッパ中に広がって行った一つの大きな理由はグーテンブルグと言う人の発明した印刷機が、時のニュースを活字で打ち込んだものを大量に印刷し、それを多くの地方に送ることができたからです。これはわたしたちが今e-mail でインスタントに手紙やニュースをたくさんの人達に送ることができるのとよく似ています。
最後にもう一度はっきり私たちが知らなければならないことは、私たちの救いは私たちの良き行いをしたことで、いただけるものではなく、私たちの罪を背負って十字架に架かって死んでくれたイエス様の受難と復活により、それが成し遂げられたこと、また、今生きておられるイエス様を信じ、信頼する中で、私たちは神様の愛を受けていることを、感謝することです。
このただ一回の説教で、すべての宗教改革のもたらした結果のすべてを言い述べることはできませんが、イエス様は聖書の中で書かれている言葉として、また私たちの祈りを聞いてくださる方で、私たちを永久の愛をもって見守っていらっしゃることを覚えてください。アーメン。