「律法の宗教 対 恵みの宗教」
私たちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなた方にあるように。アーメン。
宗教には2つの形があります。その一つは律法、あるいは戒律による宗教で、もう一つは、恩恵による宗教です。これについてお話ししたいのですが、まず最初に2つの私の描いた絵を見ていただきたいのです。最初の絵は猿のお母さんとその赤ちゃんです。それも母猿が赤ちゃん猿をどこかに行くために運んでいる姿です。私たち人間は赤ちゃんを連れて外に出る時、肩におんぶするか、胸に抱いて、抱っこします。お猿さんのお母さんも赤ちゃん猿を胸に抱くことはありますが、どこかに連れていく時にはこの絵の中に書かれているように、赤ちゃんを抱くというより、赤ちゃん猿がお母さん猿にしっかり捕まっているのです。
森林、または、ジャングルに住むお猿さんは一本の木の枝からもう一つの木の枝に飛ぶように動き回るのですが、そんな時、赤ちゃん猿は必死の思いでお母さん猿にしがみついているのです。そうでもないと、動き回る猿のお母さんから落ちてしまうからです。律法の宗教はこの赤ちゃん猿の姿です。母猿にしっかり捕まっていないとおっこってしまう、または迷子になってしまうのです。
さてもう一つの絵をお見せしましょう。これはお母さん猫が子猫を連れてどこかに移動するときに見られる姿です。親猫は猿のように小猿を抱くことはできません。親猫が子猫を連れて移動するには、子猫の首のところを口にくわえた姿を皆さんは見たことがあると思います。子猫は、まだ小さいので、くわえられているといっても別に痛いわけではありませんが、自分では何もできずに、親猫の言いなりになっているだけです。しかしながら猫のお母さんは猿のお母さんと同じく一生懸命自分のかわいい子猫に時間をかけてやるのです。
何も難しいことを話しているわけではありませんが、子猿の絵を見ると、そこに子猿が一生懸命お母さんにつかまって、落ちまいとふるえているような姿を想像するのです。それは遊園地でジェットコースターにのり一番高いところから急激に降りていくその時、両手でジェットコースターのハンドルにしがみついている私たちの姿と同じでしょう。
何か心の中に問題がある時、悩みがある時私たちは、悲しくなります、気が沈み見ます。なぜか涙がぽろぽろ出てくることもあります。孤独感を感じます。しかし、神様は私たちをいつも見守ってくださっているのです。
洗礼者ヨハネはお父さんが神殿につかえていた祭司です。ですから小さい時から聖書、それは今の旧約聖書をよく読んでいたはずです。彼はイスラエルの地に救い主がおいでになることを信じていました。それとともに彼の役目は神様の信仰から離れていた、あるいは神様を信じるといいながら、神様の御心にかなうような生活をしていない人たちを非難してきたのです。それは、洗礼者ヨハネはこのように神様への信仰を形だけで行っているユダヤ人に神様のみ旨に戻れと声を張り上げて、民衆に語っていたのです。
皆さんがご存知のように、洗礼者ヨハネのお母さんエリザベトとイエス様のお母さんは従姉妹同士です。ですから、お互いに行き来がありました。イエス様の小さい時、お母さんに連れられて従妹のところに尋ねたこともあったと思います。時が来て、このヨハネはヨルダン川で、ユダヤの群集に、悔い改めの洗礼を授け、神の国の到来、それは、救い主の到来を力強く語ったのです。
誰でも神様に愛され、また神様によって救われたいのは最もです。しかし、救いにあずかるには何か良いことをしなければならない、神殿で献金をする。生贄の捧げものをする、それによって神様から喜ばれると多くの人たちは思っていたのですが、洗礼者ヨハネはそれ以上に自分の罪を祈りの中で、神様に語りなさい。と勧めたのです。心が神様に向いていないなら、どうして神様の祝福を受け入れることができるでしょうか。
律法は私たちがそれを完全に守ることが出来ないことを教えます。しかしそれが完全に出来ない私たち、つまり、罪を繰り返して行ってきた私たちを神様は私を信じ、私に従ってきなさいというイエス様への信仰を心に持つことにより神様の平安、恵みを受け取ることができると教えたのです。
これを英語ではこのように言い表します。Law convicts us to sin, but grace forgives us. 律法は私たちに律法を守ることができないことを指摘し、その反対に恵みは私たちをその罪から解き放ってくれるのです。
最後に二つの話を聞いてください。これは私の友達の先生から送られた短い話ですが、今日の説教のないようにとてもちかい話です。英語のものですが約するとより英語で聞いてください。
Now I want to share with you with a story of the husband and wife who didn’t really love each other. The man was very demanding, so much so that he prepared a list of rules and regulations for his wife to follow. He insisted that she read them over every day and obey them to the letter. Among other things, his “do’s and don’ts” indicated such details as what time she had to get up in the morning, when his breakfast should be served, and how the housework should be done. After several long years, the husband died. As time passed, the woman fell in love with another man, one who dearly loved her. Soon they were married. This husband did everything he could to make his new wife happy, continually showering her with tokens of his appreciation.
One day as he was cleaning house, she found tucked away in a drawer the list of commands her first husband had drawn up for her. As she looked it over, it dawned on her that even though her present husband hadn’t given her any kind of list, she was doing everything her first husband’s list required anyway. She realized she was so devoted to this man that her deepest desire was to please him out of love, not obligation.
This is the way we relate with our Lord Jesus. No by the obligation, but out of love. Husband and wife also pursuit their relationship with not by the obligation, but out of love and respect.
I have one more short story to tell you. It’s a story of a man who did repent and found joy in his life.
Not so many years ago newspaper carried the story of Al Johnson, a Kansas man who came to faith in Jesus Christ. What made his story remarkable was not his conversion, but the fact that as a result of his newfound faith in Christ, he confessed to a bank robbery he had participated in when he was 19 years old.Because the statute of limitations on the case had run out, Johnson could not be prosecuted for the offense. Still he believed his relationship with Christ demanded a confession. And he even voluntarily repaid his share of the stolen money! When Jesus comes within our hearts and minds, don’t we want to rebuild the right relationship with Him and amend our lives with right relationship?
Are you ready to meet with Jesus and find the right relationship with Him? He welcomes you and I anytime when we knock on his door. Amen.