May 2nd, 2013

2013年5月2日詩編を読もう:いただきます(詩編67)牧師 安達 均

詩編を読もう, by admin1.

5月2日 詩編を読もう: いただきます (詩編 67) 牧師:安達 均

食事の前に、「いただきます」と言って食べるのは、そこに感謝の意味がある。 ある牧師は、「いただきます」という言葉には、「神が創造された命をいただく」という事だと説明してくれた。そこには、深い感謝の意味がある。  
さて、与えられた詩篇、67編を三回、声に出して読んでみよう。

詩編 / 67編
1: 【指揮者によって。伴奏付き。賛歌。歌。】
2:神がわたしたちを憐れみ、祝福し/御顔の輝きを/わたしたちに向けてくだ
さいますように〔セラ
3:あなたの道をこの地が知り/御救いをすべての民が知るために。
4:神よ、すべての民が/あなたに感謝をささげますように。すべての民が、こ
ぞって/あなたに感謝をささげますように。
5:諸国の民が喜び祝い、喜び歌いますように/あなたがすべての民を公平に裁
き/この地において諸国の民を導かれることを。〔セラ
6:神よ、すべての民が/あなたに感謝をささげますように。すべての民が、こ
ぞって/あなたに感謝をささげますように。
7:大地は作物を実らせました。神、わたしたちの神が/わたしたちを祝福して
くださいますように。
8:神がわたしたちを祝福してくださいますように。地の果てに至るまで/すべ
てのものが神を畏れ敬いますように。

どんなことを思われているだろうか? 冒頭に書いたが、この詩篇を読んで、「感謝」することの大切さを感じている。 復活ルーテル教会の牧師をしながら、アメリカ福音ルーテル教会パシフィカ教区の教区長補佐の仕事を与えられている。正直、かなり大変、きつい、と思うこともあるが、いろいろな経験ができることに感謝しつつ、また、不思議なことにどこに行っても、神の恵み、食べ物が与えられる。 食べることができる健康が与えられていることにも感謝し、まさに「いただきます」という感謝の気持ちを表し食べている。 
与えられた詩篇に戻るが、気がつかれただろうか? 4節と6節は全く同じ言葉が並んでいる。 しかも、神への呼びかけの言葉の後は、それぞれの節に「すべての民が、あなたに感謝をささげますように。」という言葉が二回繰り返されている。 ただ、二回目に繰り返されるときに、「こぞって」という言葉が入ってくる。「すべての民がこぞって」とすべての民を強調するような言葉。それは、たとえどこの国の方であろうが、また、たとえどのような状況にある方であろうが、すべての民、全員がという意味になってくるのだろう。 
全体をよく読むと、「すべて」という言葉は3節、5節、さらに、最後の8節にも出てきている。 3節、5節は、4節、6節と同じように「民」にかかる言葉として使われているが、8節では、「すべてのもの」という言葉に代わっている。 数週間前に読んだ、最後の詩篇150編のさらに最後の節には、「息あるものはこぞってハレルヤ」であったことを思い出す。 
詩篇67編を読みながら、二つの目的を感じている。 ひとつ目の目的は、この詩篇を読むなかで、その読む方々が、「感謝を捧げる」ものとなるように。 そして、二つ目は、感謝を捧げるのは、自分だけではなく、この世界中のすべての民、さらには、息をするものすべてが、神に感謝を捧げるものとされるように。  
今、復活ルーテル教会のなかには、病のため、まともには食べ物がいただけないという状態の方もいる。しかし、痛みや息苦しさの中にあっても、そこに神の恵みがあり、たとえ肉の糧はいただけなくても、神の祝福があり、御言葉の糧、命の糧をいただき、感謝の気持ちがもてますように。多くの方々の祈りの中で、それが実現していますように。 
また、世界70億人の方々、さらには、神が創造されたすべてのものが、神の愛、祝福に気づき、感謝を捧げるものとなりますように。    

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