Tweet 各自、聖書日課のその週の木曜から日曜までに与えられている詩編箇所、あるいは、翌週の月曜から水曜に与えられている詩編箇所を読むよう、お勧めしたい。もちろん余裕のある方は両詩編とも読んでいただければと思う。 そして、いつものように以下の3点について観想していただけたら良いと思う。 1.一度音読して、一番インパクトがあった言葉や節はなにか?あるいは質問したくなる箇所でもよい。 2.二度目の音読をしたのち、二千数百年時代を遡って、詩編作者の気持ちになってどのようなことをその詩編は詠っているか思いをめぐらしてみる。 3.さらにできれば三度目の音読をしたのち、いま主なる神は、この時代に生きる私たちに、詩編を通して何を語りかけているか思いを巡らせる。 詩編30編 1:【賛歌。神殿奉献の歌。ダビデの詩。】 2:主よ、あなたをあがめます。あなたは敵を喜ばせることなく/わたしを引き上げてくださいました。 3:わたしの神、主よ、叫び求めるわたしを/あなたは癒してくださいました。 4:主よ、あなたはわたしの魂を陰府から引き上げ/墓穴に下ることを免れさせ/わたしに命を得させてくださいました。 5:主の慈しみに生きる人々よ/主に賛美の歌をうたい/聖なる御名を唱え、感謝をささげよ。 6:ひととき、お怒りになっても/命を得させることを御旨としてくださる。泣きながら夜を過ごす人にも/喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる。 7:平穏なときには、申しました/「わたしはとこしえに揺らぐことがない」と。 8:主よ、あなたが御旨によって/砦の山に立たせてくださったからです。しかし、御顔を隠されると/わたしはたちまち恐怖に陥りました。 9:主よ、わたしはあなたを呼びます。主に憐れみを乞います。 10:わたしが死んで墓に下ることに/何の益があるでしょう。塵があなたに感謝をささげ/あなたのまことを告げ知らせるでしょうか。 11:主よ、耳を傾け、憐れんでください。主よ、わたしの助けとなってください。 12:あなたはわたしの嘆きを踊りに変え/粗布を脱がせ、喜びを帯としてくださいました。 13:わたしの魂があなたをほめ歌い/沈黙することのないようにしてくださいました。わたしの神、主よ/とこしえにあなたに感謝をささげます。 詩編68編節 【指揮者によって。ダビデの詩。賛歌。歌。】 2:神は立ち上がり、敵を散らされる。神を憎む者は御前から逃げ去る。 3:煙は必ず吹き払われ、蝋は火の前に溶ける。神に逆らう者は必ず御前に滅び去る。 4:神に従う人は誇らかに喜び祝い/御前に喜び祝って楽しむ。 5:神に向かって歌え、御名をほめ歌え。雲を駆って進む方に道を備えよ。その名を主と呼ぶ方の御前に喜び勇め。 6:神は聖なる宮にいます。みなしごの父となり/やもめの訴えを取り上げてくださる。 7:神は孤独な人に身を寄せる家を与え/捕われ人を導き出して清い所に住ませてくださる。背く者は焼けつく地に住まねばならない。 8:神よ、あなたが民を導き出し/荒れ果てた地を行進されたとき〔セラ 9:地は震え、天は雨を滴らせた/シナイにいます神の御前に/神、イスラエルの神の御前に。 10:神よ、あなたは豊かに雨を賜り/あなたの衰えていた嗣業を固く立てて 19:主よ、神よ/あなたは高い天に上り、人々をとりことし/人々を貢ぎ物として取り、背く者も取られる。彼らはそこに住み着かせられる。 20:主をたたえよ/日々、わたしたちを担い、救われる神を。〔セラ Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
Tweet 今年は5月15日が聖霊降臨祭。ペンテコステとも言われる。クリスマスやイースターのように、非宗教的な世界でもお祝いするような面があるお祭りと異なり、聖霊降臨祭はキリスト教会独自のお祝いなのかと思う。といっても、ペンテコステという言葉は、50日目という意味で、ユダヤ教ではイスラエルの民が奴隷としてエジプトで仕えてきた時代が終わるきっかけとなる過越祭から数えて50日目にエジプトからイスラエルに旅をするリーダだったモーセにシナイ山で律法が与えられるという記念の日でもある。与えられた詩編箇所から、104編後半24節から32節のみを読んでいきたい。 いつものように気になる言葉、あるいはインパクトのあった言葉や節は何かを挙げる。次に、詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、よく考える。そして神はこの復活節の最後、そして聖霊降臨日を迎えるにあたって現代のわたしたちに何を語りかけているか思いを巡らせよう。 詩編104編 24:主よ、御業はいかにおびただしいことか。あなたはすべてを知恵によって成し遂げられた。地はお造りになったものに満ちている。 25:同じように、海も大きく豊かで/その中を動きまわる大小の生き物は数知れない。 26:舟がそこを行き交い/お造りになったレビヤタンもそこに戯れる。 27:彼らはすべて、あなたに望みをおき/ときに応じて食べ物をくださるのを待っている。 28:あなたがお与えになるものを彼らは集め/御手を開かれれば彼らは良い物に満ち足りる。 29:御顔を隠されれば彼らは恐れ/息吹を取り上げられれば彼らは息絶え/元の塵に返る。 30:あなたは御自分の息を送って彼らを創造し/地の面を新たにされる。 31:どうか、主の栄光がとこしえに続くように。主が御自分の業を喜び祝われるように。 32:主が地を見渡されれば地は震え/山に触れられれば山は煙を上げる。 気になった節や言葉はどこだろう? 私の場合は、30-32節を繰り返し読んでいる。一節にしぼるとすると、30節「息によって、、、地の面を新たにされる。」だろうか。日本の熊本や大分で起こった大地震の被災者の皆様のことを覚え祈りつつ。 詩編作者の気持ちになって、与えられた詩編箇所を振り返りたい。 24節から26節では、いかに主の御業がすばらしいことか、地も海も、地上に住むものも、海の中に住むものも、すべて主の知恵、つまり神の考えによって創造された。27節から30節では、すべての生物の創造は今も続いており、創造されたものは主に望みを置き、主から与えられるもので満たされる。主が見渡してくださらなかったら恐れが生じ、生物の存続は、主なる神の息を注いでくださるかどうか次第である。 30節から最後までは、その息によって、地は新たにされる。主が見渡せば、地は震え、主が地を触れると噴煙もあがる。 与えられた詩編箇所が21世紀に生きるわたしたちに何を語っているのか思いをめぐらせたい。 現代の言葉でいうエコシステムは、神の知恵であるという面があるのだと思う。そして来る日曜日には、キリスト教会では聖霊降臨日を控えている時に、そのエコシステムの中に、絶対に欠かすことができない、神の息、聖霊の存在を覚える。この詩編は紀元前数百年前に詠われはじめたものだが、ユダヤ教の伝統、そしてそれを引き継ぎキリスト教の伝統の中で、現代の21世紀にも詠われる。主なる神の息の大切さを思い出させる。 私たちの目にははっきりとは見えるものではないが、主なる神の知恵、考えが秘められている、聖霊の働きについて、聖霊降臨日に向けてさらに思いを巡らせたい。 30-32節を読みながら、熊本での被災者の方々のことを覚える。大地震が起こったことは事実で、いま、賛美歌を詠う気持ちになるのは難しい方も多いのかもしれない。しかし、聖霊は、被災者の方々の心の中にも働いていることを確信する。教会が成長するなかで、聖霊がどのように働くかを体験し、教会の知恵になってきたことで、大きな二つのテーマがあることをシェアしたい。 ひとつ目は、聖霊の働きにより、人と人、また人と神が結ばれるという体験。もう一つは、聖霊の働きにより、人が神から与えられているミッション(派遣・使命)を果たそうとする体験。 私は、聖霊の働きの中で、避難所などで、いままでは話すこともなかった近隣の方々との出会いを体験したり、そこに神の派遣を受け牧師・臨床宗教師等が指名を受けて訪れると、あらたな出会いが生まれ、いままではまったく気がつかなかった神と出会いを体験するということが起こっているのだと思う。 アーメン 安達均 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
Tweet 右をクリック:2016-04-14-詩編を読もう Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
Tweet 4月7日の詩編を読もう。右をクリックしてください。 2016 04 07 詩編を読もう Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
Tweet 2016 03 31 詩編を読もう Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
Tweet 2016 03 24 詩編を読もう Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
Tweet 受難節もあと、一週間と少々。聖週間を前に、今週の木曜から、枝の主日(受難主日)の日曜まで、与えられている詩編は31編の新共同訳聖書では10節から17節。 いつものように、気になる、あるいはインパクトのある言葉や節を挙げる。次に、詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、よく考える。そして神はこの詩編31編を通して今日私たちに何を語りかけているか思いを巡らせたい。 詩編31編 10:主よ、憐れんでください/わたしは苦しんでいます。目も、魂も、はらわたも/苦悩のゆえに衰えていきます。 11:命は嘆きのうちに/年月は呻きのうちに尽きていきます。罪のゆえに力はうせ/骨は衰えていきます。 12:わたしの敵は皆、わたしを嘲り/隣人も、激しく嘲ります。親しい人々はわたしを見て恐れを抱き/外で会えば避けて通ります。 13:人の心はわたしを死者のように葬り去り/壊れた器と見なします。 14:ひそかな声が周囲に聞こえ/脅かすものが取り囲んでいます。人々がわたしに対して陰謀をめぐらし/命を奪おうとたくらんでいます。 15:主よ、わたしはなお、あなたに信頼し/「あなたこそわたしの神」と申します。 16:わたしにふさわしいときに、御手をもって/追い迫る者、敵の手から助け出してください。 17:あなたの僕に御顔の光を注ぎ/慈しみ深く、わたしをお救いください。 気になる言葉やインパクトのある節はどこだろう? 私の場合は、15節の「主よ、わたしはなお、あなたに信頼し」という言葉。 詩編作者の気持ちを覚えつつ各自、1節づつ読んでいただきたいが、参考までに、1節に【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。】となっている。 10節から17 節を読むだけだと、とても賛歌には、思えないかもしれないが、18節から最後を読むなかで、賛歌らしくなっていく。 また与えられた、10-17節のだけを読むなかでも、10-14節では、本当にどん底という感じがするが、15-17節には、主にある希望が詠われていると思う。ダビデも他の旧約聖書時代に生きた人々も、人生が急激に降下していくような感覚を味わうことがあったかと思う。そして、なにもかもうまくいかない。 しかし、そのような時にこそ、詩編作者には、主にある希望に頼るしかなく、事実、その主が導いてくださったことを体験して、喜びと変わっていったのかと思う。 さて、上記詩編が、現代に生きるわたしたちに何を語っているのだろうか。 冒頭にも述べたように、来週は受難週をむかえる。 イエスが十字架に架かってしまう週だ。この詩編は、イエスがこの世に人の子として登場した2000年前よりさらに何百年もさかのぼって詠われはじめたものだ。 しかし、まさに受難のなかにあるイエスが詠われている。 十字架刑を受ける数日前に、イエスがエルサレムに入ってくるときは、たいへんな歓待を受けるが、数日後に、事態は急変し、たいへんな虐待を受けることになる。 人生まっさかさまというところだろうか。 私たちの人生も、ジェットコースターが急降下するような体験をすることを否定できない。 突然のレイオフ、家族の死、信頼していた友人・知人からのうらぎり、等々。 そのインパクトは大きい。 しかし、ジェットコースターでは、その急降下の最中に絶対に、コースターから降りるようなことをしてはならないように、わたしたちも信仰から離れてはならないのだと思う。 詩編作者が、「なお、あなたに信頼し」と詠っているように。 そのような時こそ、主の希望、慰め、癒し、そして復活体験の前触れを感じ取れるのだろう。 どんな困難、みじめた体験、恥ずかしいことがあろうが、主の愛がわたしたちを離れてしまうことはない。 アーメン 安達均 Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
Tweet 2016 03 10 詩編を読もう Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
Tweet 2016 03 03 詩編を読もう Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace
Tweet 油を注いだ人々2016 02 18 詩編を読もう Tweet This Post Buzz This Post Post to Facebook Post to Google Buzz Send Gmail Post to MySpace