5月16日 詩編を読もう: 神の息 (詩編 104) 牧師:安達 均
キリスト教で三大祭を挙げるとすれば、クリスマスの降誕祭、イースターの復活祭、そしてペンテコステの聖霊降臨祭。 今年の5月19日、来週の日曜は、三大祭のひとつ、聖霊降臨祭にあたる。 聖霊降臨祭を迎えるにあたって、与えられた詩編は104編の後半部分。 以下に書き出してあるので、例によって、ぜひ、3回読んでみよう。 一回目は、気になったところを書き留めるなり線をひくなりし、二回目は、神はいったい自分に何を語っているか? そして三回目は、神はいったい自分の所属するコミュニティに対して何を語っているか? 思いを巡らして読んでみよう。
詩編 / 104編
24:主よ、御業はいかにおびただしいことか。あなたはすべてを知恵によって成し遂げられた。地はお造りになったものに満ちている。
25:同じように、海も大きく豊かで/その中を動きまわる大小の生き物は数知れない。
26:舟がそこを行き交い/お造りになったレビヤタンもそこに戯れる。
27:彼らはすべて、あなたに望みをおき/ときに応じて食べ物をくださるのを待っている。
28:あなたがお与えになるものを彼らは集め/御手を開かれれば彼らは良い物に満ち足りる。
29:御顔を隠されれば彼らは恐れ/息吹を取り上げられれば彼らは息絶え/元の塵に返る。
30:あなたは御自分の息を送って彼らを創造し/地の面を新たにされる。
31:どうか、主の栄光がとこしえに続くように。主が御自分の業を喜び祝われるように。
32:主が地を見渡されれば地は震え/山に触れられれば山は煙を上げる。
33:命ある限り、わたしは主に向かって歌い/長らえる限り、わたしの神にほめ歌をうたおう。
34:どうか、わたしの歌が御心にかなうように。わたしは主によって喜び祝う。
35b:わたしの魂よ、主をたたえよ。ハレルヤ。
おひとりおひとり、どんなことを思い巡らされただろか? 私は概ね以下のようなことを考えている。
気になった節: 30節 「あなたは御自分の息を送って彼らを創造し/地の面を新たにされる。」 “御自分の息”とは、神の息で、それは聖なる霊の意味になってくる。 まさに、聖霊降臨祭を控えて、この言葉が気になる。
神は私に何を語りかけているか: 私は先週、5月7日に肺炎との診断が出た。 5月1日から4日は、シノッドアッセンブリと称する、教区長が議長となって約400人の方々が集まる会議に出ていた。教区長補佐として、自分にも、かなりの負荷が架かっていたかと思う。会議の途中から、肺炎になっていたのだろうが、息がきれるとか、咳が出るといった肺炎らしい症状は何も出ず、肺炎に罹っているなどとは、全く想像できなかった。 ただ、右側上腹部に、夜中だけ、痛みを感じてはいた。 夜中は痛くても朝には不思議に回復し、自分の責任を果たし、アッセンブリを終えた。教会の 一部となって仕えるとき、神の息、それは人間が理解している空気とか風というものをはるかに超えた聖霊の力が、私の心や魂に働いていたように思う。 また、7日には痛みの原因が肺炎だったとわかり、さらに抗生剤の治療を受けて、癒され大幅に改善している。 与えられた詩編を読むことで、肺炎の真っ只中に、神が働いてくださっていたことに気づかされる。 そして、神への感謝と賛美の気持ちが沸いてくる。
私の所属するコミュニティに何を語りかけているか: 31節には、「どうか、主の栄光がとこしえに続くように。主が御自分の業を喜び祝われるように。」と歌われている。もともとは詩編作者の個人的な願い祈りとも解釈できるが、この詩が聖書の一部となり、私たちコミュニティにも投げかけられていると感じる。 聖書を一生懸命読むが余りある部分に捕われ、「世の終わりがもうすぐきますよ。」というようなことを語られる方がいる。32節を読むとき、この地球上で災害が起こることは否定しない。しかし、私は、今日の詩編の31節を読み、さらに聖書全体を読んできたなかで、神はご自分の創られた創造物を永遠に喜び、主の栄光がとこしえに続くことを良しとされていると信じる。 コミュニティ全体が、神の息、つまり聖霊が、今の世にも働き続けていて、たとえ、地球環境が病にかかっているような状況にあったとしても、地球がその状態から癒され、さまざまな動物たちや植物も含め、そして、その一部である人間も、健全に世代交代を続けていけるような状況へと神が快復しようとしてくださっている。
さまざまな病や困難におられる方々へ、神の息が働き、癒され、そして希望と喜びが与えられますように。