June 28th, 2013

2013年6月23日教友、佳代子BalserさんのMemorial Service   芙美Liang

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佳代子バルサーさんのメモリアルサービスは、6月23日日曜日午後1時から行われた。沢山の美しい花に囲まれて、ご主人のDonさんが用意された佳代子さんの写真が、本当に嬉しそうに私達に微笑みかけているような、穏やかなメモリアルサービスだった。

私達の愛する友、佳代子さんは去年の7月までは元気に一緒に太鼓を叩いていた。彼女は何でも一生懸命するタイプだった。ラインダンスも、ゆうかりコーラスも、英会話クラスも、シニア太鼓も、いつも全力を尽くして頑張っていた姿を、まるで昨日の事のように思い出す。8月頃から身体の不調が原因で、礼拝やその他のクラスをお休みするようになった。私達は心配して電話をしたり、手紙をかいたり、メールを出したりしていたが、その度に彼女は「皆さんにご心配おかけしてすみません。メールの返信とか、返事はなかなか書けないので、申し訳ないです。」と、却って気を遣わせてしまった。私達は結局何もできずに、心を合わせてお祈りをし続けた一年だった。誰もがお祈りをしながら、きっと元気になって、また家庭集会や礼拝に出席できる日が来るに違いない、そう信じていた。だから、6月2日の礼拝も、均先生が特別に佳代子さんの事を祈り、私達も祈った。誰もが、まさか6月1日の土曜日に佳代子さんが天に召されたとは夢にも思わずに。

メモリアルサービスの準備の為に、何度か佳代子さんのご主人にお会いし、いろいろなお話をお聞きした。二人が知り合った時の事、病気になった後の佳代子さんの様子、佳代子さんの大好きだった様々な事柄、家族を思いやる佳代子さんの気持ち、一言一言語るご主人の言葉から、佳代子さんを思う気持ちが溢れ出るかのようだった。

メモリアルサービスは、ご主人の準備した思い出の写真集がスクリーンに流れ、花々に囲まれて和やかに笑っている佳代子さんの写真が飾られた中で始まった。ご主人は「彼女は最後まで戦った、あきらめずに頑張った。」と、最後の挨拶で語られた。Justin とMaikoさんは、佳代子さんがこよなく愛したお子さん達だ。お二人ともメモリアルサービスの中で思い出を語られた。お母様との思い出話を語るJustin とMaikoちゃんを見ながら、佳代子さんはなんと素晴らしい家族を築かれたのだろうか、と心から感動した。そして、お二人とも、佳代子さんのような、家族を一番に考える素晴らしい母親を持つ事ができて、本当に幸せだったと話された。天国で佳代子さんは涙ながらに聞いているにちがいない。佳代子さんがメンバーだったゆうかりコーラスの皆さんが、特別に「Believe」を歌い、日本語で歌っているのに、日本語が解らないと思える皆さんも一緒に涙していたのが印象的だった。私達は佳代子さんが好きだった讃美歌を沢山歌い、最後にご家族の後に続き、参列者一人一人が献花をして礼拝を終えた。

メモリアルのレセプションでは、何人かが佳代子さんとの思い出を語り、全員で佳代子さんを偲びながら、温かな交わりの時を持つ事ができた。メモリアルサービスが終わって5日目に、ご主人から感謝のカードが届いた。
開くと、中にプリントされていた絵は、佳代子さんが生前に孫達と一緒にお絵描きをしていた時に書いた絵だった。このカーネーションの絵は、ご主人が私にメールして下さったので、メモリアルサービスのプログラムに挿入した絵だった。私はそのカードを手にしながら、涙が止まらなかった。あんなに元気だった人が、
あんなに明るく、自分の事はいつも後回しにして他人の事ばかり考えてくれた人が、なんでこんなに早く天に召されたのか、神様のご計画は私達には解らない。しかし、私に解る事は、神様が私達の人生に送って下さった佳代子さんと言う素晴らしい友と、僅かの間だったが一緒に過ごせた事に感謝し、その思い出を大切にして行く事だ。佳代子さんの残して行った明るい笑い声を、いつも思い出しながら、私達の間で佳代子さんのイメージがいつまでも消える事が無いようにと
願って止まない。

佳代子さん、又逢う日まで、天国から私達を和やかな笑顔で見ていて下さい。

佳代子さんの絵 Kayoko was born in Kobe, Japan on April 29, 1944. She was a
caring daughter and a dedicated big sister to her younger
brother Koichiro.

In high school in Tokyo Kayoko showed exceptional talent for
music and art. She had a beautiful soprano singing voice. And
she drew and painted in a vibrant, carefree style.

Kayoko came to America in 1970. I met her in New York. She
was beautiful. We shared a love of music and art…and a love
for each other. We were married in Saint Luke’s Lutheran
Church on Long Island on April 24, 1971.

On December 7, 1975 Kayoko gave birth to our two wonderful
children, Justin and Maiko. Kayoko was a loving, devoted and
tireless mother. Years later she would bring those same
qualities to her role as grandmother to our five grandchildren:
Mia, Ryan, Nathan, Alayna and Emily.

Family and friends were the most important things in Kayoko’s
life. She loved family get-togethers and would spend countless
hours decorating and preparing elaborate meals.

Church was a special source of spiritual comfort and friendship
for Kayoko.

Kayoko lived her life with sincerity and a kind, pure heart.
She was sunshine on a cloudy day.

Don Balser

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