June 27th, 2013

2013年6月27日 詩編を読もう:救いの確信 (詩編140) 牧師:安達均

詩編を読もう, by admin1.

2013年6月27日 詩編を読もう:救いの確信 (詩編140) 
今週読む詩編は140編。例によって、3回読もう。1回目を読み終わったときに、気になった箇所や言葉を書き留め、2回目は、自分自身にいったい神は何を語りかけているか、そして、3回目には、いったい神は自分の所属する何かのコミュニティ(家族だったり、復活ルーテル教会だったり、あるいは、全人類だったり)に何を語られているかを考えてみよう。   
詩編 140 編
1:【指揮者によって。賛歌。ダビデの詩。】
2:主よ、さいなむ者からわたしを助け出し/不法の者から救い出してください。
3:彼らは心に悪事を謀り/絶え間なく戦いを挑んできます。
4:舌を蛇のように鋭くし/蝮の毒を唇に含んでいます。〔セラ
5:主よ、主に逆らう者の手からわたしを守り/不法の者から救い出してください/わたしの歩みを突き落とそうと謀っている者から。
6:傲慢な者がわたしに罠を仕掛け/綱や網を張りめぐらし/わたしの行く道に落とし穴を掘っています。〔セラ
7:主にわたしは申します/「あなたはわたしの神」と。主よ、嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。
8:主よ、わたしの神よ、救いの力よ/わたしが武器を執る日/先頭に立ってわたしを守ってください。
9:主よ/主に逆らう者に欲望を満たすことを許さず/たくらみを遂げさせず/誇ることを許さないでください。〔セラ
10:わたしを包囲する者は/自分の唇の毒を頭にかぶるがよい。
11:火の雨がその上に降り注ぎ/泥沼に沈められ/再び立ち上がることのないように。
12:舌を操る者はこの地に固く立つことなく/不法の者は災いに捕えられ/追い立てられるがよい。
13:わたしは知っています/主は必ず、貧しい人の訴えを取り上げ/乏しい人のために裁きをしてくださることを。
14:主に従う人は御名に感謝をささげ/正しい人は/御前に座ることができるでしょう。
どのような言葉を、書き留められただろうか? ご自分に、またコミュニティに神は何を語りかけてると思われただろうか? 
それぞれ考えられたことが、さらに、発展することを願い、以下、詩編140編の構成を振り返ってみたい:
2-6節は主への懇願とその理由:2節および5節で、詩編作者を苦しめ、主に従わずに挑んでくる者から、助け出し、守り、そして救い出してくださるようにという主への懇願の繰り返し。 3-4節および6節は、どのような状況であるかを描写し、救い出されたい切実さを訴えている。
7-9節はさらなる懇願の繰り返し:すべての節、最後の言葉は「ください」で終っていて、さらなる懇願の繰り返し。 7節では、主が願いを聞いてくださるように。8節では主が前に立って守ってくださるように。9節では、主に逆らう者の欲望やたくらみが達成されることなく誇ることがないように。
10-12節で主に従わない者の行く末:詩編作者であるダビデを包囲する者たちが、いったいどうなってしまうかが記述されている。
13-14節で主に従う者の確信: 貧しい者、乏しい者を主が助け出し、主に従う者たちが主と共に存在できることを確信している。 
さて、みなさんはどんなことを考えておられるだろうか? 
私は、この詩編で5節および9節に出てきている「主に逆らう者」という言葉が気になってしかたがない。そして10-12節の描写も気になる。
復活ルーテル教会では、23日の日曜日には佳代子さんのメモリアルサービスを行い、信仰者たちのコミュニティの中で生活されていた彼女は、今も主イエス・キリストと平安の中にあるということを確信できる。しかし、現在の世の中、特に戦後日本の文化に慣れ親しんだ方々の中に、いっさいの宗教を否定し、さらには神の存在を認めないと言われる方々がいる。実は、メモリアルサービスの当日、「うちは無宗教です。」という方針の方が亡くなっていたことを知った。残念ながらその方とは、キリストの話をする機会が訪れないままだったが、詩編140編を繰り返し読むなかで、「主に逆らう」という強い表現はしないまでも、神の存在を否定して生きておられる方々と、対話の機会をもち、神の恵みについて分かち合い、救いの確信をそれぞれの方が持てるように、導かれているように感じている。 亡くなった一家のお父様とご家族の上に主の慰めを願い、この願いも主が聞いてくださいますように。  

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