7月11日 詩編を読もう: 主の道 (詩編25)
今週読む詩編は25編。聖書日課によれば、今週の木曜から日曜までは25編の1-10節。来週の月曜から水曜で11節から20節を読むことになっている。少々長くなってしまうが、25編全部、以下に記すので、読んでみよう。
詩編 25 編
1:【ダビデの詩。】主よ、わたしの魂はあなたを仰ぎ望み
2:わたしの神よ、あなたに依り頼みます。どうか、わたしが恥を受けることのないように/敵が誇ることのないようにしてください。
3:あなたに望みをおく者はだれも/決して恥を受けることはありません。いたずらに人を欺く者が恥を受けるのです。
4:主よ、あなたの道をわたしに示し/あなたに従う道を教えてください。
5:あなたのまことにわたしを導いてください。教えてください/あなたはわたしを救ってくださる神。絶えることなくあなたに望みをおいています。
6:主よ思い起こしてください/あなたのとこしえの憐れみと慈しみを。
7:わたしの若いときの罪と背きは思い起こさず/慈しみ深く、御恵みのために/主よ、わたしを御心に留めてください。
8:主は恵み深く正しくいまし/罪人に道を示してくださいます。
9:裁きをして貧しい人を導き/主の道を貧しい人に教えてくださいます。
10:その契約と定めを守る人にとって/主の道はすべて、慈しみとまこと。
11:主よ、あなたの御名のために/罪深いわたしをお赦しください。
12:主を畏れる人は誰か。主はその人に選ぶべき道を示されるであろう。
13:その人は恵みに満たされて宿り/子孫は地を継ぐであろう。
14:主を畏れる人に/主は契約の奥義を悟らせてくださる。
15:わたしはいつも主に目を注いでいます。わたしの足を網から引き出してくださる方に。
16:御顔を向けて、わたしを憐れんでください。わたしは貧しく、孤独です。
17:悩む心を解き放ち/痛みからわたしを引き出してください。
18:御覧ください、わたしの貧しさと労苦を。どうかわたしの罪を取り除いてください。
19:御覧ください、敵は増えて行くばかりです。わたしを憎み、不法を仕掛けます。
20:御もとに身を寄せます。わたしの魂を守り、わたしを助け出し/恥を受けることのないようにしてください。
詩編25編は、ヘブル語で読むとわかるが、各節の最初の言葉の文字をならべていくと、ヘブル語のアルファベット順になっている。いってみれば、いろはガルタを読んでいるような面がある。 いろはガルタといえば、人々はそれを暗記して、カルタ遊びをすると同時に、一枚一枚に教育的配慮がある。つまり教えがある。
この詩編25編も、ユダヤの民が憶えることを意識して詩編作者が作詩したように思う。いろはガルタのように、一節一節がことわざから成り立っているわけではないが、25編全体では、一貫した教えがある。 それは「主を畏れ、主の道を歩む。」
旧約聖書の箴言の一章七節には、「主を畏れることは知恵の初め。」という言葉があり、詩編25編にも通じる言葉である。友人で、この言葉に強い影響を受け、宗教を除いて教育しようとする公立の教育に疑問を持ち、自分の子供たちをホームスクールで育てたご夫婦がいる。本当によく努力され、すばらしいと思うし、私はご夫妻のことを尊敬している。
しかし、たとえ公立の教育機関の中にあっても、しっかりキリストの生き方に根ざした先生方はおられる。 いろはガルタの「ろ」の「論より証拠」ではないが、たとえイエス・キリストという言葉を出すこともせず、聖書を持ち出して議論をするようなことをしなくても、キリストのような愛をもって、実生活を送り、生徒たちを自然に主の道に導びこうとされていた何人かの公立の先生方を見てきた思いがあり、子供達を小学校から高校まで、公立の教育機関に委ねた私たちは、決して後悔していない。
詩編25編を解説するうちに、子供の教育の話になってしまったが、詩編25編は必ずしも、子供たちだけのために詠われたものではない。 人生何歳になっても、たとえ、この世の死を迎える時になっても、詩編25編に詠われた内容は、大いに記憶しておくべき事だと思う。
たとえ、人生の後半にあっても、いや、むしろ人生の終盤だからこそ、しっかりと主に望みをおき、主を畏れ、主の道に導かれ、永遠の命の道を主といっしに歩むことをお勧めしたい。その道には永遠の喜びもある。