November 10th, 2013

2013年11月10日宣教開始25周年記念(聖霊降臨後第25)礼拝説教「半分ペンテコステ」”One Half of Pentecost”立野泰博牧師

牧師説教, by admin1.

半分ペンテコステ ルカ9章1-6   日本福音ルーテル大江教会牧師 立野泰博 

 「教会に青年が来ない」という悩みを聞いもう20年になります。毎年その言葉を聞きながら、「それはあたりまえ」だと思います。だからといって青年伝道をあきらめているわけではありません。いまのルーテル教会は、青年たちとの共感能力がかけていると思うからです。いったい若い人たちは何を考えているのか。何を求めているのかを知りたいと願っていました。
 ある日の午前9時頃、私は東京の渋谷にいました。駅前では、右翼が沖縄基地問題を怒鳴り声で叫び、目の前では基地の地位協定反対の署名活動が行われ、両者はなじりあっていたのです。しかし、その中を何万とも言える青年たち、高校生たちが無関心に通り過ぎていきました。いろいろな若者がいました。茶髪、コスプレ、ミニスカートの高校生。いったい、この人達はどこへいくのだろうと考えていました。この青年たちは教会に興味はないだろうなと思ってしまいました。ところがその情景の中、駅前の大型スクリーンで「hello,again」(my little lover)という曲が映し出された時、なんだか安心したのです。
 その歌詞には次ぎのような言葉があります。「自分の限界が どこまでかを 知るために 僕は生きている訳じゃない」。続けて「だけど 新しい扉を開け 海に出れば 波の彼方に ちゃんと《果て》を感じられる」と。きっと若者の中には求めている何かがあるのだと思うのです。「果て」が何かを感じている。感じているから何かに抵抗しながらいきているのかもしれないと。その「果て」に絶対者である神様を求めている。それに共感できない私たち教会がある。だとすると、どこかで共感するところを見いだせば共に歩めると期待できます。どこで共感するかを探しているのです。
 さきほどの曲の最後のフレーズには、「君は少し泣いた?あの時見えなかった」とあります。きっと若者と呼ばれる本人たちも、共感すること、人の痛みに気づくことの難しさを感じているのでしょう。私は東日本大震災の救援活動の中にいましたので、多くの青年たちに出会いました。茶髪の子だって、ミニスカートの高校生だって、痛みに共感して被災地にまってきたのです。そこで、いいようのない苦しみに叫び声をあげていました。寄り添うことの痛みを共に感じました。そこから眺めたいまのルーテル教会はどうだろうか。その問いがあったから現場に戻ってきたのです。

 東日本大震災救援のため2013年3月中旬に宮城県に入りました。多くの被災者に出会い、共に多くの涙を流し、笑い、共に耐えてきました。その原点になる出来事を思い出します。おばあさんが写っている写真がありました。彼女は津波から十日後、破壊され瓦礫に埋もれた小学校の前に座っておられました。横には赤いランドセルが二つ。津波に流されたお孫さんを捜しにきて、ランドセルを見つけたといいます。このおばあさんに対して何ができるだろう。何を語るか。なにもできない。おばあさんの痛み苦しみを担うこともできない。しかし、私たちは神様から派遣されてここにきている。イエス様は「何も持って行ってはならない」と言われた。いまの自分は何も持ってない。だからこそ寄り添うことしかできない。それもひとつのイエス様の身の置き方だと思いました。
 ルカ9章1~6節までのテーマは「派遣」です。イエス様は十二人の弟子を呼び集め、イエス様と同じように「あらゆる悪霊に打ち勝ち、病気をいやす力と権能をお授けになった」その上で派遣されたのです。
 弟子たちは、何のために「派遣」されたのか。もちろん悪霊を追い払い、病気をいやすため。また宣教してイエス様の弟子を増やすためです。しかし、それが本当の目的だったのでしょうか。イエス様は十二人を「遣わすにあたり」という言葉があります。具体的には何も持って行くなと言われています。「派遣」とは何か。それは、「素手のままで出かけ、神様の働きを示す」ことです。イエス様の御心のままに派遣され、イエス様からいただくみ言葉の力によって働くことです。そこにイエス様の存在を見いだすことなのです。何も持ってないからこそ、イエス様のみを見いだすことができるのです。

東日本大震災救援活動の中で一番衝撃的だった被災者の言葉は「もう許してください」という言葉でした。ある時、強い余震がありました。結構大きな余震でした。そのとき私はボランティアセンターの受付にいました。その時は津波警報が出ました。津波警報がでた時、雰囲気が一変しました。みんな大慌てで避難をはじめました。一人の女性は机の脚につかまってブルブルと震えておられました。そして、叫ばれました。「もう許して下さい!」と。普段であれば「助けて下さい」と叫ばれたはずです。しかし、彼女が「もう許してください!」と叫んだ理由はわかっていました。被災のときのことをお聞きしていましたかた。
あの日、彼女は子どもが熱を出したので市民病院にいてインフルエンザの治療していました。五年生と二年生でした。そこに、地震が来て津波警報がでたが病院の屋上にいたら助かると思ったそうです。ところが看護師さん達が「ここじゃ助からないから逃げろ」と叫んでいた。病院の高さは20メートル位あるのですけど。実際津波はそれを超えたそうです。大急ぎで車に乗り、山へ向かったのです。ところが途中で渋滞にはまったので車を捨て。娘を前と後ろに抱えて、山に駆け登っていったそうです。2キロはあるでしょうか。その時に津波がすぐそばに来ていました。必死になって山を駆け上がり、途中までで力尽きたそうです。その時に後ろを振り返った。黒い波と、瓦礫と叫び声とが一緒に押し寄せてきた。これでは津波にのみ込まれる。自分の命はいいけど、子どもの命は守らなければいけない。子どもの命が危ないと感じ、さらに力を振り絞ってあと五m登って助かったそうです。
その時に後ろを振り返ったそうです。何十人もの人達が流されていくのが見えたそうです。「助けて」と絶叫しながら流されていく。その中には親族も、友達も、顔見知りの人たちがいたのです。何もできずに座りこんでいたとき、二階だけの家が燃えながら流されていたのです。家の中が見え、自分と同じくらいの母親と子どもが抱き合って震えながら流されていったそうです。実はそれは娘の同級生の親子でした。彼女はその人たちになにもできなかった。自分はその人たちを見捨てた。震えながら見ているだけしかできなかった。
僕らはそれを見捨てたとは思わないです。けれど彼女にしてみれば、何もできなかったことが彼女の心の中にあり、毎日その夢を見るのだそうです。もう2年半もたつのに、今でもその夢を毎日みるといいます。子どもとお母さんが燃えながら流されていく夢を見る。そういう苦しさの中に生きている人が余震の中で「もう許して下さい!」と叫んだのです
その叫びに応えることができるのは神様しかいないということを知っています。神様は必ず許してくださる。すでに許しておられる。でも彼女にそれをどう伝えたらいいのだろう。キリスト者として私は何を伝えるべきなのか。信仰者として、また牧師としての私の課題です。許しを与えるのは神様しかいない。私はもう自分を許してあげていいと思います。けけど、彼女にとってはそうではない。「もう許して下さい」って言葉に、ルーテル教会救援はどう寄り添っていくかを考えなければいけない。それは彼女だけではないのです。苦しみ、痛みを持ちながら叫び生きていくことに、どう寄り添っていくか。しかし、そこにはイエス・キリストがおられる。イエス様がきっとその人たちに寄り添っておられるそのことを伝えるために私たちを派遣してくださっているのです。イエス様が被災者のとなりに寄り添っておられる。だから私たちもそこに寄り添い続けていくのです。
 先週も伊藤文雄牧師と被災地巡礼と祈りの旅にいってきました。「もう許してください」と叫んだ彼女とも再開しました。彼女はいま自分の残った家の1階を改装して、シルバーカフェを開く計画を立てていました。津波で家族を流され一人ぼっちになったおじいさんおばあさんが一緒に食事ができるカフェを考えているのです。少しのお金をいただいて、毎日みんなで食事をして一つの家族となるコミュニティーをつくろうとしています。彼女は「私も先生たちボランティアに寄り添っていただきました。それがどんなに生きる力になってきたか。今度は私がもっと苦しみ痛む人に寄り添うことができればと思って」と。寄り添っていただいたぶん、自分が自立して寄り添うのだと。痛み苦しみを経験した彼女だからできる寄り添いがあるのです。

 LCR日本語部は宣教25周年を迎えました。心からお祝いします。これまでも多くの人たちがここに集い、ともに痛み苦しみと寄り添ってこられたことでしょう。皆さんにしかわからない痛みもあったことでしょう。しかし、イエス様は皆さんに寄り添い聖霊を注いでくださいました。
 ペンテコステが50なら、この日本語部に聖霊が注がれて半分ペンテコステです。ですからまだまだあと25年は聖霊が降り注がれ、守られ、生かされ、大きなペンテコステまで導かれることでしょう。まだ半分。これから祝福された半分がはじまります。イエス様は今日もかたわら寄り添っていてくださいます。私たちの歩みは、イエス様によって祝福され、聖霊を注がれ、さらに前へすすんでいきます。大江教会も共に交わりを深めながら、お互いに寄り添って成長する教会となりますように。アーメン。

Japanese Ministry 25th Anniversary Commemorative Service

One Half of Pentecost

Rev. Yasuhiro Tateno – Japan Evangelical Lutheran Church – Ooe Church, Kumamoto, Japan

“Young people do not come to church.” It has been 20 years since I began hearing this comment. Whenever I hear this comment, I say to myself, “Unfortunately, this is the norm (these days).”

It is not that I have given up entirely on evangelizing the youth. I acknowledge the fact that today’s Lutheran church has mostly failed to capture young people’s interest. I very much wish to know what today’s youth are thinking about or wanting.

One day at about 9 am I was in Shibuya, Tokyo, in front of train station I saw some Right Wing group was protesting against the presence of Okinawa’s American Military Base, yelling and screaming their disapproval. There was another political party whose members were also collecting signatures opposing the Military Base but for different reasons. These two opposing groups were rebuking each other, even though their goal seemed the same.

While this was happening, there were millions of young men and women, some with wildly-dyed hair, some dressed in miniskirt and some dressed in outlandish yet fashionable costumes, each passed by the protest but paid no attention to the two bickering groups. I was wondering where these young people were heading, and whether any of them had any interest in coming to church.

Then I saw this large screen playing music and projecting the lyrics to the “Hello, Again (my little sister)”. It somehow comforted me. The lyrics are: “I am not living to find my limit, but if I open a door and go to the sea, I will know the limits beyond the ocean.”

Maybe young people are feeling the limits society puts on them but they want more. They are feeling the limits (of human power) but struggle to search for something else. I believe that young people are searching for God. We, the church must find common interests with our young people. The song ends with “Did you cry? Did you not see it?”

It’s maybe that today’s young people find it difficult to see the pain of others and are unable to feel empathy. Maybe they are unable to share their own pain either. I met many young people when I visited the disaster area after the tsunami. Some wore miniskirts, some had wildly-colored hair, and some dressed differently but they came to the area because they felt the pain of others. At the site after what they saw, they experienced indescribable pain and learned to lean on each other to share and ease each other’s pain. Those young people gave me hope. Can we find an answer from this? Can the Lutheran Church be able to share and ease the pain of others?

In 2011, in middle of March, I went to Miyagi prefecture after the tsunami. I met many people who were affected. We cried together, laughed together and persevered together. I will never forget my starting point of my mission.

I saw a photo of an old woman sitting on the rubble of what once had been an elementary school. It was 10 days after the tsunami. There were two red backpacks right beside her that belonged to children who recently perished. The old woman found the backpacks when she came to look for her grandchildren or anything belonging to her grandchildren.

I questioned myself “What can I do for these people who are facing unimaginable sorrow? What can I do for this elderly lady? There are no words to comfort her. I cannot possibly carry her heavy burden. But I know God had sent me there.

Luke 9:1-6 When Jesus had called the Twelve together, he gave them power and authority to drive out all demons and to cure diseases, and sent them out to preach the Kingdom of God and to heal the sick. He told them “Take nothing for the journey-no staff, no bag, no bread, no money, no extra tunic,. Whatever house you enter, stay there until you leave that town. If the people do not welcome you, shake the dust off your feet when you leave their town, as a testimony against them.” So they set out and went from village to village, preaching the gospel and healing people everywhere.

Were the Twelve sent out to drive out all the demons and cure diseases?
What does it mean to be sent out? Take nothing for the journey? It must mean that we are sent by God’s will and to do God’s work using only the Word of God as our guide.

What was most shocking to me was that the old woman pleaded to God saying “Please forgive us. Please give us no more (punishment)” Since I know about her, I understood why she was asking for forgiveness.

During a strong after shock I was at a desk of one of the many Volunteer Centers.
When warning siren sounded, many rushed to evacuate the building. One woman was holding the leg of a desk begging for forgiveness instead of asking for help. Many people pleaded for God’s forgiveness days and months after the tsunami.

On the day of the tsunami, one woman was at city hospital with her two children being treated for influenza. First she thought going up to the building’s rooftop (which is 20 meters high) would be safe. But a nurse told her that the water would reach the roof and she must go up to even higher ground. She and her children got into her car heading towards a nearby hill, but abandoned the idea, of driving, when traffic stopped moving. She carried her two children the next 2 kilometers climbing up the hill. The tsunami was right behind her. When she reached safe ground, she looked back and saw many friends and families she knew being swept away and screaming for help. But she could not do anything to help them.

I understand that she did not abandon those who were swept away. It was beyond her capability to help anyone. But she suffers survivor’s guilt because she was not able to save them. She still has nightmares and feels extremely guilty.

Who else but God can answer her tortured pleas? How can I tell her that God is not blaming her? How do I help people like her or anyone, as a Christian, as a pastor?

We can be there, just be there, like Jesus is with us when we need Him most.
For those who have to live with overwhelming pain, we can let them know that Jesus is with them, beside them and shares their pain.

Last week we revisited the disaster area with Pastor Itoh. We met the lady who cried “forgiveness” .She is renovating the ground floor of her home to open a café called “Silver Café” She wants her Café to be a gathering spot for people who lost family, and are now living alone.

She said to us “You were there for us when we were suffering. Now it is my turn to be there for those who are suffering.” She is strong because she came through this painful experience. Because, like she said she had some one who sat with her and comforted her when she was suffering.

I congratulate LCR on 25 years of Japanese Ministry. All these 25 years, many gathered here have experienced personal pain and hardship. I may never know the depth of the pain you carry. But I want you to know that Jesus and His spirit is, and has always been with you. Pentecost relates to 50days from Easter Sunday. The number 50 also may relate to 50 years.

LCR’s Japanese Ministry is celebrating its 25th Anniversary today. It is One Half of 50. May I say, One Half of the Pentecost; God has supported the ministry for 25 years and the Holy Spirit will guide this ministry another 25 years or more.

Today Jesus is with us, beside us. Jesus walks with us, shares our burdens and our joys together. Our steps are blessed and graced by God. Let’s deepen and strengthen the sister-church bonds between LCR and Ooe Church in Japan and grow together, in Christ. Amen.

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