November 14th, 2013

2013年11月14日 詩編を読もう: 新しい歌 (詩編98) 牧師:安達均

詩編を読もう, by admin1.

今週読む詩編は98編。今週も二回は読みたいと思う。一回目はこの詩編を、まず「窓」にたとえて読んだ場合、いつの時代かは特定できないが、ユダヤ教の礼拝で歌われている様子を窓を通して見るような感覚で、どのような光景が思い浮かんでくるか思いを巡らせてみよう。 そして、二回目は「鏡」にたとえられるか、つまり、その光景がまるで現代に起こっていることを映し出しているか考えよう。映し出しているとするとどのような光景に変わってくるのか、思いを巡らせてみよう。 

詩編 / 98編
1: 【賛歌。】新しい歌を主に向かって歌え。主は驚くべき御業を成し遂げられた。右の御手、聖なる御腕によって/主は救いの御業を果たされた。
2:主は救いを示し/恵みの御業を諸国の民の目に現し
3:イスラエルの家に対する/慈しみとまことを御心に留められた。地の果てまですべての人は/わたしたちの神の救いの御業を見た。
4:全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。歓声をあげ、喜び歌い、ほめ歌え。
5:琴に合わせてほめ歌え/琴に合わせ、楽の音に合わせて。
6:ラッパを吹き、角笛を響かせて/王なる主の御前に喜びの叫びをあげよ。
7:とどろけ、海とそこに満ちるもの/世界とそこに住むものよ。
8:潮よ、手を打ち鳴らし/山々よ、共に喜び歌え
9:主を迎えて。主は来られる、地を裁くために。主は世界を正しく裁き/諸国の民を公平に裁かれる。

「窓」として読んだ時の光景? 「自然の中で主なる王を賛美する祭り」
この詩篇が歴史上、何の時代に書かれ、最初に歌われたのがいつかははっきりわからない。 しかし、1節で「主は驚くべき御業を成し遂げられた」と詠っている部分は、エジプトから40年あまりを経て、イスラエルの民がカナンの地へと定住した紀元前12世紀ごろのことを意味しているかもしれないし、紀元前6世紀にバビロン捕囚から帰還した時のことを詠っているかもしれないし、まったくことなる出来事を指しているかもしれない。あるいは、主イエス・キリストの降誕そして十字架上の死そして復活を預言して詠われているようでもある。 いずれにしろ、大切なことは主なる王(6節)が導いてくださって、その民として喜び、主を賛美しようと歌っている。 それは、主との交わりの礼拝の時ともいえるし、お祭りの時とも言えるように思う。 祭りと礼拝は、似ても似つかぬことのように思われてしまうかもしれないが、ともに神を賛美するという点では共通で大いに関係があると思う。そして、いろいろな種類の音が聞こえてくる。 人々の歌声や、琴の音、ラッパや角笛の音はもちろんだが、さらに、湖の波や川の流れの音、さらにはそれらの音が山々に反響してくる音なども、主なる王を賛美している。大自然の中で、屋外で行われる主を賛美する祭りの光景を思い浮かべる。  

「鏡」として読む時の光景? 「新しい楽器を用いて新しい讃美歌を歌う」
復活ルーテル教会の礼拝では、毎日曜日に3回の礼拝が行われているが、よくよく考えてみると、すべて主を賛美する祭りでもある。また三回の礼拝では、実にさまざまな楽器が使われ、伝統的な讃美歌や近年作詞作曲されたプレイジングソング等々、さまざまな種類の賛歌が歌われる。第一礼拝はトラディショナルな礼拝でオルガンが使われているが、オルガンといっても、パイプオルガンの音色を出す電子オルガンが使われている。また第二礼拝は、何種類かのギターとドラム(ともに電子的に音を増幅している)、さらにピアノも使われる。 第三礼拝では、また、オルガンが使われ、時々、ピアノや弦楽器も使われ、日本語の讃美歌がたくさん歌われる。紀元前のユダヤ教の礼拝からしてみれば、数々の新しい楽器が使われているのは事実。そして、礼拝で歌われる讃美歌は、新しい歌も選ばれている。 これからも、さまざまな新しい楽器が使われ、新しい歌も歌われていくだろう。詩篇の中では、海の波の音や、山々の反響音も加わっているが、そのような音も、電子的に再現されて、礼拝で使われている場合もあるに違いない。 そのような光景を思い浮かべている。 

最後に、詩篇98編で使われている「新しい歌」という言葉について触れたい。この言葉、詩篇33編、40編、96編、98編、146編、149編で使われている。 特に、詩篇40編では、私たちの口に、新しい歌が授けられたことが詠われている。そのほかの箇所では、ほとんど、新しい歌を歌おうと、呼びかけている。 主イエス・キリストの十字架と復活から約2000年の経った今も、イエスの生き様が多くの人々の心を動かし、洗礼へと導き、また聖餐礼拝へも導いてくださっている。 それに伴い、新たな主の救いを体験して、新たな讃美歌が主イエスの導きにより、世界のどこかで毎日、作詞作曲されている。バッハは礼拝の度に新しい曲を演奏していたらしい。 復活ルーテル教会では、毎週新しい讃美歌を歌うわけではないが、主イエス・キリストの福音により新しく洗礼をうけている方々が出るなかで、新しい歌も歌おう。  

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