今年の11月28日は、サンクスギビング(感謝祭)の祝日。感謝祭にふさわしい詩編100編をぜひ読んでみよう。
詩編 / 100編
1:【賛歌。感謝のために。】全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。
2:喜び祝い、主に仕え/喜び歌って御前に進み出よ。
3:知れ、主こそ神であると。主はわたしたちを造られた。わたしたちは主のもの、その民/主に養われる羊の群れ。
4:感謝の歌をうたって主の門に進み/賛美の歌をうたって主の庭に入れ。感謝をささげ、御名をたたえよ。
5:主は恵み深く、慈しみはとこしえに/主の真実は代々に及ぶ。
復活ルーテル教会では、礼拝のはじめに讃美歌21の5番をよく歌うが、まさに詩編100編がそのまま讃美歌になっている。この感謝祭を過ごし、これからクリスマス、そして、新年に向かっていく中で、ごちそうを食べられる方はごちそうをいただく中で、家族をはじめ、いろいろな方々に様々な手段で感謝の意を表す季節だと思う。しかし、この詩編の100編を読み、あるいは讃美歌21-5を歌い、ぜひぜひ、わたしたちを造られた神、恵みふかく、とこしえに憐れんでくださっている神への感謝を忘れないようにしよう。
感謝祭近くになると、「ハッピィ サンクスギビング」という言葉をかけあう。 昨日、復活ルーテル教会と同じ、アメリカ福音ルーテル教会に属する一教会で、会計を担当してくださっているボブさんという方と電話で話していた。そして、仕事の話が終わり、「ハッピィ サンクスギビング」という言葉をしゃべって電話を切ろうと思った。通常であれば、「サンキュー、ユー、too」という言葉が返ってきて電話を切ることになるのだが、そうではなかった。 かなりこみいった会計処理の問題を話していた電話で、結構な長電話だったが、さらに時間を延長して話をするというか、話を聞くことになった。
というのは、奥様が今年亡くなられたとのことで、45年間必ず妻といっしょに感謝祭を過ごしてきたのに、今年は過去46年中、初めて妻のいない感謝祭を過ごすということだった。 私は彼のことを教区の集まりなどで、過去数回話したことがあるだけだったので、彼自身のことをそれほど知らなかった。それでも、奥様のことは何度か話にでてきて、少し知っていた。彼は敬虔なルーテル教会の信者であり、奥様は敬虔なカトリック教会の信者であるということだった。
電話を切ってからも、いろいろなことが気になった。カトリック教会がルターを破門することになるきっかけである「95カ条の論題」が1517年に書かれて、つまり宗教改革が始まって、今年は496年目にあたるはずだ。すると、ボブさんご夫婦が金婚式、結婚50年を二人で迎えることができれば、それは同時に宗教改革500年ということになったはずだ。カトリックとルーテルの一致の問題は、毎年、カトリック教会とルーテル教会のそれぞれの委員が集まって話しているが、ボブさんご夫妻のように、生活面では46年前に一致して来られた方もいるということを考えた。
さらに次のようなことも考える。この感謝祭の当日、ボブさんと同じように、なかなかハッピィという気持ちにはなれずに、いや涙のなかで、この感謝祭を迎えている方がいる。数日前に日本から早々と喪中の葉書が届いたが、私はアメリカの感謝祭の過ごし方と日本のお正月の過ごし方は、家族が集まるという点で似ていると思っている。 そうなると、ボブさんが電話を切ろうとする間際に、奥様が亡くなった話をされたことは、いわば、喪中宣言をされたようにも思える。いずれにしろ、ボブさんばかりでなく、いろいろな事情から、今年のサンクスギビングを、あるいは今年のサンクスギビングもお一人で過ごされている方々がいることを覚える。
そこに、詩編100編5節にあるように、主の恵みが豊かに、そして慈しみが永遠に注がれている。”Thanks be to God” 「感謝は神に」 アーメン