May 8th, 2014

2014年5月8日 詩編を読もう:主の恵みの中で (詩編23)

詩編を読もう, by admin1.

復活祭が終わって、第三週目に入っている。今週は23編を読む。いつものように気になる言葉や節はなにか? 次に、詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているのか、よく考えてみよう。そして神はこの詩編23編を通して何を語りかけているか思いを巡らせよう。 復活節の第四主日(今年は5月11日)には毎年、ヨハネ福音書10章からイエスが羊飼いと羊の関係について話している箇所が読まれる。詩編23編を読み、ヨハネ10章を読むのもとても良い。
  
詩編 23編
1:【賛歌。ダビデの詩。】主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
2:主はわたしを青草の原に休ませ/憩いの水のほとりに伴い
3:魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく/わたしを正しい道に導かれる。
4:死の陰の谷を行くときも/わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖/それがわたしを力づける。
5:わたしを苦しめる者を前にしても/あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ/わたしの杯を溢れさせてくださる。
6:命のある限り/恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り/生涯、そこにとどまるであろう。

気になる言葉や節はなんだろう? 私の場合は、「主は羊飼い」という言葉。詩編23編はこれまでも何度も読む機会があったが、今日は、特に「主は羊飼い」という言葉が際立っており、そして、主イエスが「私は良い羊飼い」(ヨハネ10章11節)と語られていたことを思い出す。 

詩編作者の立場を思って詩編23編を読む時、まず作者はだれなのだろうかと考える。「ダビデの詩」となっているので、ダビデが作者なのかとも思うが、後世の作詞者がダビデのことを思いつつ、この詩編を作ったようにも思える。いずれにしろ、詩編作者は、遊牧民のことを身近に見ていたのだろう。 そして、自分の置かれた状況を、羊にたとえ、この詩編23編を作ったのかと思う。 初めの一節は、いきなり、主なる神が羊飼いであり、その羊飼いのおかげで一切私には不足しているものは無いと詠う。 主は食べ物や飲み物のあるところに導いてくださり(2節)、たとえ疲労困憊のようなことになっていても、魂を生き返らせ、主と呼ばれる方の通り、主の正しい道を歩ませてくださる。(3節) 羊飼いが鞭や杖をもって導いてくださるおかげで羊たちが危険な道をも通っていける。それと同じように、主が共にいてくださるおかげで、私たちの歩む道が死に瀕するような危険を伴う道であろうが、私も力づけられ歩むことができる。(4節)  私を苦しめる状況があったとしても、食卓を整え、頭に香油を注ぎ、杯を満たしてくださる。(5節) この世の命のある限り、恵みと慈しみが伴ってくださり、さらにこの世の命が終わろうが主の家に戻り、永遠という単位で、私は主の恵みと慈しみの中にとどまることができる。(6節)

この詩編を通して、主なる神は何を語りかけておられるのだろうか? 長年、復活ルーテル教会に奉仕され、また時々、教区事務所の庭の手入れもしてくださっていた兄弟がいる。 10数年前にがんをわずらったが回復し、新たな10年ほどの期間が与えられていた。 一年少し前から異なるがんをわずらい、治療をされていた。 しかし、もうこれ以上の治療をできない状態となり、自宅で安静にされていることを思いつつ、この「詩編を読もう」を書いている。 主は自ら “良い羊飼い” と話し、普通の羊飼いとは異なる。死にて葬られても復活なさる主なる神イエスキリストは、私たちにも復活の命をくださっていて、永遠という単位で、その兄弟を恵みと慈しみの中においてくださる。良い羊飼いなる主イエスが永遠にあなたと共にいてくださる。アーメン

安達 均 

Back Top

Comments are closed.