今週は詩編95編の1-7節だけを読む。今年の四旬節の間には、詩編95編12節全部を読んだが、今週はあえて、1-7節だけが与えられている。聖書日課では11月23日に与えられている福音書は、マタイ25:31-46で終末の話。終末の話が控えていることを覚え、詩編95編を読んでみるのも良いと思う。いつものように、詩編を読んだ後、気になる言葉や節は何かを挙げる。次に、詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、よく考える。そして神はこの詩編箇所を通して現代の私たちに何を語りかけているか思いを巡らせて行きたい。
詩編 95編
1:主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。
2:御前に進み、感謝をささげ/楽の音に合わせて喜びの叫びをあげよう。
3:主は大いなる神/すべての神を超えて大いなる王。
4:深い地の底も御手の内にあり/山々の頂も主のもの。
5:海も主のもの、それを造られたのは主。陸もまた、御手によって形づくられた。
6:わたしたちを造られた方/主の御前にひざまずこう。共にひれ伏し、伏し拝もう。
7:主はわたしたちの神、わたしたちは主の民/主に養われる群れ、御手の内にある羊。今日こそ、主の声に聞き従わなければならない。
気になった節や言葉はどこだろう? 私は、7節にある、「主の声に聞き従わなければならない。」という言葉でこの箇所が終わっていること。
詩編作者の立場を思って、今週の詩編を読んでいきたい。詩編95編は、ユダヤ教の礼拝をテーマにして詠った詩編のように思われる。とくに1節から7節は礼拝のはじめのすばらしい讃美歌なのだと思う。事実、讃美歌21の20番や226番の歌詞の一部は、この詩編95編の言葉が詠われている。そして、ユダヤ教の礼拝に出ていることを思い浮かべながら、一節づつ、読んでいきたい。この礼拝に招いてくださった主に向かって喜び歌おう、救いの岩である主に向かって喜び叫ぼう(1節)。シナゴーグ(礼拝堂)に入って主の前に近づいていき、感謝して、音楽に合わせて喜び叫ぼう(2節)。主は偉大な神、人々はさまざまな神々を想像しているが、主なる神は、すべての神々を越える大いなる御方(3節)。湖の底といえども、神の御手の内に存在しているのであり、高い山々の頂きも主のもの(4節)。大海も主のもので、海を造られたのも主であり、陸も主の御手により形造られた(5節)。 私たち人間をも造られた方なのだから、この礼拝堂で主の前にひざまずこう、私たちは共にひれ伏して、伏し拝もう(6節)。主はわたしたちの神で、私たちは主の民、主は羊飼いで私たちは主の御手のなかで養われる羊たち、今、ここで聞く、主の御声に聞き従わなければならない(7節)。
さて、ここまで読んだところで、主なる神が現代の私たちに語りかけていることに思いをめぐらせたい。 8節以降に何が書いてあったか気になるが、簡単に言うと、8節以降は辛口の説教が書かれているといえる。そして、ここ数週間、日曜の聖書日課で与えられている福音書は、終末の箇所であり、辛口のイエスの御言葉である。といっても、終末の話を聞く中で、わたしたちは、悔い改めへの導かれるような面が多分にある。詩編95編の1-7節を讃美歌を歌うように読んでいくなかで、イエスの厳しい御言葉を聴く心の準備が整えられるような面を感じる。とくに、7節の言葉の中には、たとえどのような主の御声を聴くことになっても、また御言葉にびっくりしてしまうような内容であろうが、よく聞き入って、その御言葉が導いている方向へと歩めますように。
23日の日曜礼拝での福音書は来週後半の感謝祭にちなんだ福音書箇所でルカ17章になるので、あえて、聖書日課にある23日のマタイ福音書25章後半から一部を抜粋して以下に書き写しておくので、ぜひ読んでいただきたい。
31:「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。 32:そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、 33:羊を右に、山羊を左に置く。 34:そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。—-途中略— 41:それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ42:お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、 43:旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』 44:すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』 45:そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』 46:こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」
アーメン 安達均