今週後半の聖書日課にある詩編25編1-10節を読む。いつものように、気になる言葉、あるいはインパクトのあった言葉や節は何かを挙げる。次に、詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、よく考える。そして神は、現代の私たちに何を語っているのか、思いを巡らせよう。今年は昨日2月18日が灰の水曜日で、すでにレント(受難節)に入った。そして受難節の最初の聖日に与えられている福音書箇所は、イエスが荒れ野で誘惑を受けた箇所、マルコ1:9-15。その光景を覚えて、この詩編25編を読むのも良いかと思う。
詩編25編
1:【ダビデの詩。】主よ、わたしの魂はあなたを仰ぎ望み
2:わたしの神よ、あなたに依り頼みます。どうか、わたしが恥を受けることのないように/敵が誇ることのないようにしてください。
3:あなたに望みをおく者はだれも/決して恥を受けることはありません。いたずらに人を欺く者が恥を受けるのです。
4:主よ、あなたの道をわたしに示し/あなたに従う道を教えてください。
5:あなたのまことにわたしを導いてください。教えてください/あなたはわたしを救ってくださる神。絶えることなくあなたに望みをおいています。
6:主よ思い起こしてください/あなたのとこしえの憐れみと慈しみを。
7:わたしの若いときの罪と背きは思い起こさず/慈しみ深く、御恵みのために/主よ、わたしを御心に留めてください。
8:主は恵み深く正しくいまし/罪人に道を示してくださいます。
9:裁きをして貧しい人を導き/主の道を貧しい人に教えてくださいます。
10:その契約と定めを守る人にとって/主の道はすべて、慈しみとまこと。
気になる言葉やインパクトのある節はどこだろう? 2節にある「敵が誇ることのないように」という状況。
詩編作者の気持ちを覚えつつ1節づつ読んでいきたい。1節に【ダビデの詩。】となっており、詩編作者は、特に2節後半の言葉から、ダビデが敵に囲まれ危機的状況にあった時のことを想像しながら、この詩を詠ったのかと思う。この詩編の言葉は、1)神との信頼を宣言する箇所、2)神への要望を述べる箇所、3)詩編作者が教訓を述べる箇所のどれかに属する言葉が並べられて構成されているようだ。そこで、そのどれに属するかを考えつつ、一節づつ振り返りたい。 私の魂はあなたに望みを置いています、神よ、あなたを信頼してお願いします(1節と2節前半:信頼)。私が恥を受けることがないように、また敵が誇ることのないようにしてください(2節:要望)。あなたに望みを置くものは恥を受けることがなく、人を欺く者が恥を受ける(3節:教訓)。主よあなたの道を示して、あなたに従う道を教えてください、あなたの真理に私を導いてください(4節、5節前半:要望)。あなたは私の救いの神で、あなたに永遠の望みをおいています(5節後半:信頼)。主よ、あなたの永遠なる憐れみと慈しみを思いだしてください、わたしの若き日の罪や背きを思い出すことなく、主の慈しみと恵みの中に私を留めてください(6-7節:要望)。主は恵み深くて正しく、罪人にも道を示してくださる、主は謙(へりくだ)る者を認め、主の道を教えてくださる、約束を守る者にとって、主の道は慈しみと真理である(8-10節:教訓)。
今日この詩編25編の1-10節を通して、主なる神が、現代の私たちに何を語っておられるのだろか? この詩編はダビデが危機的状況にあった時のことが想像されながら詠われた時代から、紀元後、キリスト教会では、キリストが荒れ野でサタンの誘惑を受けられた時のことを覚つつ、詠われるようになったともいえる。そして、現代に生きる私たちも、同じ詩編をレントの始りの時期に読むとき、私たちも何かの危機の中に置かれている、あるいは誘惑の中におかれていることを覚える。それは、健康上はよくないのに、何か甘いものをたくさん食べたくてしょうがなくなるようなことから、自分の健康に関連して、かかってもいない病にいつかかかるのではないか心配でしょうがないとか、あるいは、老後のことが心配でしょうがない等々いろいろなことがあるのかと思う。 ピンチや誘惑の中で最も強力なもので、すべての状況に共通しているのは、私たちの心を、主なる神から遠ざけようとする力なのだと思う。そのような誘惑に陥らないように、また危機的状況から救い出されるように、主なる神に全幅の信頼を置いて礼拝を守ること、聖書を読もこと、そして主に祈ることの大切さを覚える。そして、歩むべき正しき道、従うべき教えが示され、主イエスの慈しみにつつまれながら、神に自らを捧げ、社会に仕える行動へと導かれていることを覚える。
アーメン
安達均