April 2nd, 2015

2015年4月2日 詩編を読もう: あなただけは遠く離れないで (詩編22 編)

詩編を読もう, by admin1.

今週は聖書日課では受苦日に与えられている詩編22編、(2節はイエスの十字架上の言葉)を読もう。主なる神に心を集中させて読んでいこう。気になる言葉や節は何かを挙げ、詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているかよく考え、そして、神は現代の私たちに何を語っているのか思いを巡らせよう。

詩編 22編
1:【指揮者によって。「暁の雌鹿」に合わせて。賛歌。ダビデの詩。】
2:わたしの神よ、わたしの神よ/なぜわたしをお見捨てになるのか。なぜわたしを遠く離れ、救おうとせず/呻きも言葉も聞いてくださらないのか。 3:わたしの神よ/昼は、呼び求めても答えてくださらない。夜も、黙ることをお許しにならない。 4:だがあなたは、聖所にいまし/イスラエルの賛美を受ける方。5:わたしたちの先祖はあなたに依り頼み/依り頼んで、救われて来た。 6:助けを求めてあなたに叫び、救い出され/あなたに依り頼んで、裏切られたことはない。7:わたしは虫けら、とても人とはいえない。人間の屑、民の恥。 8:わたしを見る人は皆、わたしを嘲笑い/唇を突き出し、頭を振る。 9:「主に頼んで救ってもらうがよい。主が愛しておられるなら/助けてくださるだろう。」10:わたしを母の胎から取り出し/その乳房にゆだねてくださったのはあなたです。11:母がわたしをみごもったときから/わたしはあなたにすがってきました。母の胎にあるときから、あなたはわたしの神。 12:わたしを遠く離れないでください/苦難が近づき、助けてくれる者はいないのです。13:雄牛が群がってわたしを囲み/場シャンの猛牛がわたしに迫る。 14:餌食を前にした獅子のようにうなり/牙をむいてわたしに襲いかかる者がいる。 15:わたしは水となって注ぎ出され/骨はことごとくはずれ/心は胸の中で蝋のように溶ける。 16:口は渇いて素焼きのかけらとなり/舌は上顎にはり付く。あなたはわたしを塵と死の中に打ち捨てられる。 17:犬どもがわたしを取り囲み/さいなむ者が群がってわたしを囲み/獅子のようにわたしの手足を砕く。 18:骨が数えられる程になったわたしのからだを/彼らはさらしものにして眺め 19:わたしの着物を分け/衣を取ろうとしてくじを引く。 20:主よ、あなただけは/わたしを遠く離れないでください。わたしの力の神よ/今すぐにわたしを助けてください。21:わたしの魂を剣から救い出し/わたしの身を犬どもから救い出してください。 22:獅子の口、雄牛の角からわたしを救い/わたしに答えてください。 23:わたしは兄弟たちに御名を語り伝え/集会の中であなたを賛美します。 24:主を畏れる人々よ、主を賛美せよ。ヤコブの子孫は皆、主に栄光を帰せよ。イスラエルの子孫は皆、主を恐れよ。 25:主は貧しい人の苦しみを/決して侮らず、さげすまれません。御顔を隠すことなく/助けを求める叫びを聞いてくださいます。 26:それゆえ、わたしは大いなる集会で/あなたに賛美をささげ/神を畏れる人々の前で満願の献げ物をささげます。
27:貧しい人は食べて満ち足り/主を尋ね求める人は主を賛美します。いつまでも健やかな命が与えられますように。 28:地の果てまで/すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り/国々の民が御前にひれ伏しますように。 29:王権は主にあり、主は国々を治められます。 30:命に溢れてこの地に住む者はことごとく/主にひれ伏し/塵に下った者もすべて御前に身を屈めます。わたしの魂は必ず命を得 31:子孫は神に仕え/主のことを来るべき代に語り伝え/成し遂げてくださった恵みの御業を/民の末に告げ知らせるでしょう。

気になる言葉:私の場合は20節にある「あなただけは私を遠く離れないで」

詩編作者の気持ちになって振り返りたいが、詩編は「賛歌」と1節には書いてあるが、特に前半は「嘆き」の詩編ともいえる。節によって、1) 嘆きと訴え、2) 信頼、3) 助けを求める、4) 賛美の誓い にグループ分けできそうなので、詩編全体を振り返り、分類をしてみたい。2-3節は「嘆きと訴え。」4-6節になると「信頼」の言葉に変化。7-9節はまた「嘆きと訴え」になってくる。10-11節は再び「信頼」の言葉に。そして12節になってはじめて「助けを求める」言葉になる。13-19節はまた「嘆きと訴え」にもどってくるが、状況をより明確に述べている。20-22節は再び「助けを求める」言葉になる。23節以降になると、暗い短調だった曲ががらりと明るい長調の曲になるように変化している。21節から最後の31節まで「賛美の誓い」を詠い続けている。 

主なる神が、受難週にあってこの詩編を読んでいる私たちに、何を語られているのだろうか? 冒頭にも書いたように、2節にある言葉はイエスが十字架上で金曜午後三時に「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(マルコ15:34)と叫ばれた言葉。神の子でありながら人の子としても私たちの住む世の中に生を受けたイエスも神への不平とも言える訴え、質問、を投げかけたことに、大きな慰めが与えられると思う。私たちも神への大胆な質問が赦されているように思う。そして、20節にある「あなただけは私を離れないでください。」という助けを求める言葉は、信仰の本質に関わる言葉だと思う。たとえどんな状況にあろうが、主なる神は決して私たちを離れてしまうことはない。イエスの十字架の死と復活がそれを教えてくださっている。すべてを失ったと思っても、主なる神だけは見捨てることなく、そこに寄り添ってくださっている。 安達均

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