June 11th, 2015

2015年6月11日 詩編を読もう: (詩編92編 1-5, 13-16節)

詩編を読もう, by admin1.

今週は6月11日から14日の聖書日課に与えられている詩編92編を読もう。新共同訳聖書では最初の5節までと、最後の13節から16節までの短い箇所に集中して読む。いつものように気になる言葉、あるいはインパクトのあった言葉や節は何かを挙げる。次に、詩編作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、よく考える。そして神はこの詩編92編を通して現代のわたしたちに何を語りかけているか思いを巡らせよう。

詩編92編
1: 【賛歌。歌。安息日に。】
2:いかに楽しいことでしょう/主に感謝をささげることは/いと高き神よ、御名をほめ歌い
3:朝ごとに、あなたの慈しみを/夜ごとに、あなたのまことを述べ伝えることは
4:十弦の琴に合わせ、竪琴に合わせ/琴の調べに合わせて。
5:主よ、あなたは/御業を喜び祝わせてくださいます。わたしは御手の業を喜び歌います。

13:神に従う人はなつめやしのように茂り/レバノンの杉のようにそびえます。
14:主の家に植えられ/わたしたちの神の庭に茂ります。
15:白髪になってもなお実を結び/命に溢れ、いきいきとし
16:述べ伝えるでしょう/わたしの岩と頼む主は正しい方/御もとには不正がない、と。

インパクトのある言葉や節として、私は15節の「白髪になってもなお実を結び/命にあふれ、いきいきとし」という箇所を挙げたい。ほとんど白髪となってしまった私には、元気づけられる言葉である。 箴言の16章31節には、「白髪は輝く冠、神に従う道に見いだされる」とある。また中国の諺には、「なにかわからないことがあったら白髪の人に聞くように」という言葉があるそうだが、そのような言葉も思い出す。 

詩編作者の気持ちになって、与えられた詩編を振り返ろう。1節の説明からして、ユダヤ教の土曜日(安息日)の礼拝で歌われていた讃美歌なのだと思う。きっと弦楽器もたくさん使われて讃美歌を歌ったのかと思う。 主に感謝し、讃美歌を詠うことはどんなにか楽しいことか(2節)。毎朝、あなたが夜の間、ずっと私たちを愛し、まもってくださったことを、そして毎晩、あなたの正しさを述べ伝えることは楽しい(3節)。さまざまな種類の弦楽器の調べにあわせて賛美することは楽しい(4節)。主よ、あなたを賛美する理由は、あなたの御業が私を喜ばせ、祝福してくださるから、私はその喜びを歌います(5節)。
神に従って歩む人は、なつめやしのように茂り続け、レバノン杉のようにどんどんそびえていく(13節)。主の家に植えられており、神の庭に茂る(14節)。年老いて、白髪になろうが、なおも他の人々を主へと導き、いきいきとしている(15節)。そして、私が岩として信頼する主は正しい方で、そこには不正がない、と述べ伝える(16節)。

主イエスがこの世に降誕された後の紀元後、とくに21世紀、現代に生かされている私たちに、主なる神はこの詩編92編をもって何を語っておられるのか考えたい。 1-5節に詠われていることは、現代の私たちにも、全く共通することで、主なる神を賛美し、楽器に合わせて讃美歌を歌うことは、いかに楽しことであるか。ただ、その理由として、主の御業を思うとき、紀元前であれば、イスラエルの民が、エジプトの奴隷時代から解放されたことが一つの大きな、主の御業になるのかと思う。しかし、現代の私たちにとっては、イスラエルを越えて、どこの人種であろうが、主イエスが、全人類のために、十字架に架かり、死にて葬られても、復活し全人類の罪を赦し、「あなた方に平和があるように」といって新たなる永遠の命を与えてくださったことが、最大の御業なのかと思う。 その御業を讃え、毎週、主の復活された日曜日に、礼拝があり、賛美している。13節以降に描かれた、いきいき茂るなつめやしや、そびえたつレバノン杉にたとえられた、神に従って歩む人とは、信仰深い方々を指しているのだろう。しかし、その中に、主なるイエスも、信仰者たちの間に混じって存在しているのだと思う。 そして、主なるイエスが永遠に生きておられるように、信仰者たちも、肉体的にはたとえ白髪となり老人になろうが、霊的には、常に実を結び、いきいきとしている。だから、絶対に正しい、主なる神、イエスキリスト、そして聖霊として、21世紀にも存在してくださっている御方を信頼して生きて行くように。そして、そのことを人々に伝道して、主なるイエスの体である教会が、ますます命あふれて成長しますように。
アーメン
安達均

Back Top

Comments are closed.