September 3rd, 2015

2015年9月3日 詩編を読もう: 捕らわれ人を解き放ち (詩編146編)

詩編を読もう, by admin1.

今週は9月3 日から6 日の聖書日課に与えられている詩編146編を読もう。  6日の礼拝で、与えられている福音書箇所はマルコ7:24-35で、その前半は、汚れた霊にとりつかれてしまった娘を持つ異邦人女性は、信仰により、娘の汚れた霊はイエスによって取り除かれる話。後半は、耳が聞こえず、しゃべることができない人が、イエスの不思議な行為により、耳が開きしゃべれるようになる話。 
以下、いつものように、詩編を読み、気になった箇所、あるいはインパクトのあった言葉や節は何かを挙げる。次に、詩編作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、よく考える。そして神はこの詩編箇所を通して現代のわたしたちに何を語りかけているか思いを巡らせよう。

詩編146編
1:ハレルヤ。わたしの魂よ、主を賛美せよ。
2:命のある限り、わたしは主を賛美し/長らえる限り/わたしの神にほめ歌をうたおう。
3:君侯に依り頼んではならない。人間には救う力はない。
4:霊が人間を去れば/人間は自分の属する土に帰り/その日、彼の思いも滅びる。
5:いかに幸いなことか/ヤコブの神を助けと頼み/主なるその神を待ち望む人
6:天地を造り/海とその中にあるすべてのものを造られた神を。
とこしえにまことを守られる主は
7:虐げられている人のために裁きをし/飢えている人にパンをお与えになる。主は捕われ人を解き放ち
8:主は見えない人の目を開き/主はうずくまっている人を起こされる。主は従う人を愛し
9:主は寄留の民を守り/みなしごとやもめを励まされる。しかし主は、逆らう者の道をくつがえされる。
10:主はとこしえに王。シオンよ、あなたの神は代々に王。ハレルヤ。

インパクトのある言葉として、7節「主は捕らわれ人を解き放ち」という言葉。

詩編作者の気持ちを想像しながら今週の詩編を読んでいきたい。 1-2節では、最初のハレルヤという言葉のあと、「私の魂よ」となっており、また2節の言葉も含めて、一見、詩編作者が、個人的に主を賛美するようにみえるが、2節の最後には、「うたおう」という呼びかけになっており、「主を賛美しよう」という会衆全体への呼びかけになってくる。3-6節前半では、君候、昔の中近東やヨーロッパの文化で言うなら領主、つまり一般市民を支配する立場にあるような人々に頼っても、捕らわれ続けてしまい、そこに救いの力はない。所詮彼等は人間であり、死が訪れてしまい、頼り続けることはできない。 だから、主なる神に頼る人々は幸福である。 その主なる神は、大昔に天と地と海を造られた方であり、また、現在もそこに住むものすべてを造り続けておられる方。6節後半-10節では、すべてを創造された主なる神は、虐げられている人々、飢えている人々、捕囚されている人々、目の見えない人々、うずくまっている人々を憐れんで行動を起こしてくださる。 主に従う人々を愛し、孤児や未亡人も励ます。 そして、主に従わないものは、その歩みをひっくり返してしまう。 主なる神は、代々永遠に続く王。だから主を賛美しよう。

今日、この詩編146編を通して、主なる神は、私たちに何を語られているのだろか。詩編は、ユダヤの礼拝で紀元前数世紀から詠われるようになっていた。そして、その中には、救い主の登場を預言したいた言葉を多く含まれている。 その預言の成就の例として、聖日に与えられている、マルコ福音書7章24節から35節の出来事もあるのだと思う。 そして、預言の成就は、歴史の流れの中で、ずっと起こり続けているのかと思う。 20世紀の後半とこれまでの21世紀を生きてきた私にとって、たとえば、女性が牧師として按手を受けるということがなかった時代から、いまでは多くの女性牧師も存在する時代になっており、社会のさまざまな局面で、主の働きにより、解放ということがおこっているように思う。さらなる解放は、全世界のどのようなところで、どのような人々におこるのかということに注意を払いつつ、主は私ひとりひとりへ、先入観や偏見にとらわれないように、行動規範までをも、示してくださっているようにも感じる。 
アーメン
安達均

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