November 19th, 2015

2015年11月19日:揺らぐことがない (詩編93編)

詩編を読もう, by admin1.

2015年11月19日:揺らがない (詩編93編)
聖書日課で今週木曜19日から22日の聖日まで与えられている93編を読もう。22日の聖日は、Christ the King 日本語では、「王なるキリスト」と呼ばれる主日となる。福音書は、ヨハネ18章33-37節で、イエスが十字架に架けられる前の、総督ピラトとイエスの対話の箇所が読まれる。いつものようにこの詩編を読んだあと、気になる、あるいはインパクトのある言葉や節を挙げる。次に、詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、よく考える。そして神はこの詩編93 編を通して現代の私たちに何を語りかけているか思いを巡らせたい。
詩編93編
1:主こそ王。威厳を衣とし/力を衣とし、身に帯びられる。世界は固く据えられ、決して揺らぐことはない。
2:御座はいにしえより固く据えられ/あなたはとこしえの昔からいます。
3:主よ、潮はあげる、潮は声をあげる。潮は打ち寄せる響きをあげる。
4:大水のとどろく声よりも力強く/海に砕け散る波。さらに力強く、高くいます主。
5:主よ、あなたの定めは確かであり/あなたの神殿に尊厳はふさわしい。日の続く限り。

インパクトのある言葉として、「主こそ王」
できるだけ詩編作者の気持ちを思い浮かべながら、詩編93編がどういうことを詠っているか考えたい。詩編93編は、全部で150編ある詩編の中で、7編存在する(47 編、93編、95編から99編) 「即位の詩編」と呼ばれる。 即位の詩編とは、詩編が作られた時代のユダヤ教国家は君主制。代々君主が即位し、宗教的にも政治的にも国家を統治しようとした。 しかし、実際問題は、さまざまな問題に遭遇する。 そのような、荒波の中でも、新たに王が即位し、その戴冠式のような事が行なわれる時に、即位の詩編が詠われる必要があったのかと想像する。戴冠式に合わせて詩編作者も93編を作詞したのかと思う。 93編に詠われている内容は、国王の座に着くものが、主なる神を顕す存在。1節では、人間的な要素ではなく、絶対的な主なる神の力、威厳を持つ者と詠う。また統治される世界も固く据えられ、揺らがない。2節には、主なる神が時を越えて昔から存在していたのだと。3節―4節では様々な荒波も起こるが、それらの荒波よりさらに強く、また高い主の存在。5節では主なる神が定め、即位する王が、確かな存在であり、日の続く限り(王が生きている限りという意味かと思う)この神殿にふさわしく即位が続く。

神が、詩編93編を通して、また「王なるキリスト」という教会暦では年間最終主日に読まれるヨハネ福音書も通して、現代の私たちに、何を語ろうとしているか思いをめぐらせたい。。。。 先週の詩編を読もうを書いた翌日に、パリでは多発テロが起こり、テロリストたちが潜伏していると思われる地域での銃撃戦が起こっている。次はどこでテロが起きるのではないか、世界の多くの都市では緊迫した状況が続いている。 詩編93編1節後半に書かれたような、「世界は固く据えられ、決して揺らぐことはない。」という状況とは、ほど遠いような、現代世界を感じる。。。。。 しかし、私たち一人一人、キリスト者として、堅固な世界など存在せず、本当に心が動揺してしまっているだろうか? この質問は、総督ピラトがイエスに向かって、「お前がユダヤ人の王なのか」と質問したが、つきつめていくと、私たちが「主イエスを、世界の王と信じているか?」という質問を、わたしたちは、問われているように思う。 何を言いたいかというと、3-4節にあるような、大海は大揺れに揺れて、破壊されるような状況も起こるが、その真っ只中で、主イエスが、災難、困難をともに体験しながらも、まったく動じない確固たる主イエスという方がおられることを覚える。たとえテロリストが、どんな破壊活動をしようが、主イエスの憐れみ、主イエスの愛、信仰が礎となり、キリスト者が動じずに、存在することができるように思う。
安達均

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