今週は、聖書日課から、25日から27 日に与えられている詩編、119編89-96節を読もう。詩編119編は、176節もある、もっとも長い詩編だが、一段落が平均8節程度からなる22の段落により成り立っている。それぞれの段落の最初の文字はヘブライ語のアルファベット22文字の順番になっている。今週は、その中でも、ラメド(ヘブライ語のL)の段落を読む。今週もとても短い箇所なので、是非、何回か、繰り返し読むことをお勧めしたい。 そして、気になる言葉、あるいはインパクトのあった言葉や節は何かを挙げる。次に、詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、考える。そして神は、今の私たちに何を語っているのか、思いを巡らせよう。
詩編119編
89:主よ、とこしえに/御言葉は天に確立しています。
90:あなたへの信仰は代々に続き/あなたが固く立てられた地は堪えます。
91:この日に至るまで/あなたの裁きにつき従って来た人々は/すべてあなたの僕です。
92:あなたの律法を楽しみとしていなければ/この苦しみにわたしは滅びていたことでしょう。
93:わたしはあなたの命令をとこしえに忘れません/それによって命を得させてくださったのですから。
94:わたしはあなたのもの。どうかお救いください。あなたの命令をわたしは尋ね求めます。
95:神に逆らう者はわたしを滅ぼそうと望んでいます。わたしはあなたの定めに英知を得ます。
96:何事にも終りと果てがあるのをわたしは見ます。広大なのはあなたの戒めです。
気になる言葉、インパクトのある言葉は何だろう? 私にとっては、92 節にある「律法を楽しみとしている」という表現。
詩編作者の気持ちを覚えつつこの詩編箇所を振り返りたい。最初の89節にある「とこしえに御言葉は天に確立している」に始まり、最後の96節にある「広大なのはあなたの戒め」で締めくくっている。 それは、時間的にも空間的にも、主の御言葉・戒めに満たされていることを見事に詠っており、とても情緒的な詩編作者の一面を見る。 情緒的と書いてしまうと、詩編作者がとてもリラックスした雰囲気の中で、この詩編を綴ったかというと、決してそうではなく、波乱万丈の人生の中で、それも、大きなピンチの中で、「助けてください」と叫んでいる様子が浮かんでくる。 一節づつ、振り返りつつ、解釈してみたい。 永遠という時間のなかで、主の御言葉が続いている(89節)。あなたが固く立てた地の上に、あなたへの信仰が代々続く(90節)。あなたの裁きに従ってきた人々はすべてあなたの僕(91節)。私もあなたの律法を楽しみとして生きてきたおかげで、苦しみに耐え、滅ぶことなく歩めた(92節)。あなたの命令によって命が永らえたのだから、私はあなたの命令を永遠に忘れない(93節)。私はあなたのものですから、どうか救ってください、今、あなたの命令を教えてください(94節)。あなたの命令に聞き従わないものが私を滅ぼそうとしているが、わたしはあなたの命令に英知を得る(95節)。この世のすべてには終わり、果てがくるが、あなたの戒めには、終わりも果てもない(96節)。
神の御心は、わたしたちに何を語りかけているのだろうか? この詩編を通して、神に逆らうものから命を狙われるような状況でも、主の命令に従うことが、永遠という単位で命が救われる、だから命令にしたがっている私を助けてください、と祈ることの大切さを教えているのだろか? それにしても、命令とはいったいなんなのか? 与えられた短い詩編箇所のなかで、御言葉、律法、命令、定め、戒め等の言葉が出てくる。 これらの言葉の意味を、旧約・新約聖書を通して、振りかえろうとする時、主イエスの教えてくださった、「神と人を愛する」という言葉が浮かんでくる。 しかし、人を愛するという事は、本当に難しいと思う現実に出会う。たとえば、極端な例としては、何人もの子供たちの命を奪った凶悪犯罪人を愛することができるか? もっと身近な問題としては、日本のキリスト教小説では、大作家とも評して良いと思うが、三浦綾子さんは、最初、教会に集まっている人々を見て、この人たちは自分たちを精神的な貴族だと思っている、というような表現をしていた。 そこには、身近にいる教会に集まる人々を、すぐに愛する気持ちにはなれない現実の一例を見る。 今日読んでいる詩編箇所には、「律法を楽しみとする。」という表現が出ているが、その難しさも、楽しみとして、とらえ、歩めますように:)
安達均