今年は5月15日が聖霊降臨祭。ペンテコステとも言われる。クリスマスやイースターのように、非宗教的な世界でもお祝いするような面があるお祭りと異なり、聖霊降臨祭はキリスト教会独自のお祝いなのかと思う。といっても、ペンテコステという言葉は、50日目という意味で、ユダヤ教ではイスラエルの民が奴隷としてエジプトで仕えてきた時代が終わるきっかけとなる過越祭から数えて50日目にエジプトからイスラエルに旅をするリーダだったモーセにシナイ山で律法が与えられるという記念の日でもある。与えられた詩編箇所から、104編後半24節から32節のみを読んでいきたい。 いつものように気になる言葉、あるいはインパクトのあった言葉や節は何かを挙げる。次に、詩編の作者の気持ちになってどのようなことを詠っているか、よく考える。そして神はこの復活節の最後、そして聖霊降臨日を迎えるにあたって現代のわたしたちに何を語りかけているか思いを巡らせよう。
詩編104編
24:主よ、御業はいかにおびただしいことか。あなたはすべてを知恵によって成し遂げられた。地はお造りになったものに満ちている。
25:同じように、海も大きく豊かで/その中を動きまわる大小の生き物は数知れない。
26:舟がそこを行き交い/お造りになったレビヤタンもそこに戯れる。
27:彼らはすべて、あなたに望みをおき/ときに応じて食べ物をくださるのを待っている。
28:あなたがお与えになるものを彼らは集め/御手を開かれれば彼らは良い物に満ち足りる。
29:御顔を隠されれば彼らは恐れ/息吹を取り上げられれば彼らは息絶え/元の塵に返る。
30:あなたは御自分の息を送って彼らを創造し/地の面を新たにされる。
31:どうか、主の栄光がとこしえに続くように。主が御自分の業を喜び祝われるように。
32:主が地を見渡されれば地は震え/山に触れられれば山は煙を上げる。
気になった節や言葉はどこだろう? 私の場合は、30-32節を繰り返し読んでいる。一節にしぼるとすると、30節「息によって、、、地の面を新たにされる。」だろうか。日本の熊本や大分で起こった大地震の被災者の皆様のことを覚え祈りつつ。
詩編作者の気持ちになって、与えられた詩編箇所を振り返りたい。 24節から26節では、いかに主の御業がすばらしいことか、地も海も、地上に住むものも、海の中に住むものも、すべて主の知恵、つまり神の考えによって創造された。27節から30節では、すべての生物の創造は今も続いており、創造されたものは主に望みを置き、主から与えられるもので満たされる。主が見渡してくださらなかったら恐れが生じ、生物の存続は、主なる神の息を注いでくださるかどうか次第である。 30節から最後までは、その息によって、地は新たにされる。主が見渡せば、地は震え、主が地を触れると噴煙もあがる。
与えられた詩編箇所が21世紀に生きるわたしたちに何を語っているのか思いをめぐらせたい。 現代の言葉でいうエコシステムは、神の知恵であるという面があるのだと思う。そして来る日曜日には、キリスト教会では聖霊降臨日を控えている時に、そのエコシステムの中に、絶対に欠かすことができない、神の息、聖霊の存在を覚える。この詩編は紀元前数百年前に詠われはじめたものだが、ユダヤ教の伝統、そしてそれを引き継ぎキリスト教の伝統の中で、現代の21世紀にも詠われる。主なる神の息の大切さを思い出させる。 私たちの目にははっきりとは見えるものではないが、主なる神の知恵、考えが秘められている、聖霊の働きについて、聖霊降臨日に向けてさらに思いを巡らせたい。
30-32節を読みながら、熊本での被災者の方々のことを覚える。大地震が起こったことは事実で、いま、賛美歌を詠う気持ちになるのは難しい方も多いのかもしれない。しかし、聖霊は、被災者の方々の心の中にも働いていることを確信する。教会が成長するなかで、聖霊がどのように働くかを体験し、教会の知恵になってきたことで、大きな二つのテーマがあることをシェアしたい。 ひとつ目は、聖霊の働きにより、人と人、また人と神が結ばれるという体験。もう一つは、聖霊の働きにより、人が神から与えられているミッション(派遣・使命)を果たそうとする体験。
私は、聖霊の働きの中で、避難所などで、いままでは話すこともなかった近隣の方々との出会いを体験したり、そこに神の派遣を受け牧師・臨床宗教師等が指名を受けて訪れると、あらたな出会いが生まれ、いままではまったく気がつかなかった神と出会いを体験するということが起こっているのだと思う。
アーメン
安達均