ヨハネによる福音書14章1-14節 「家」 ” Home “
イエス様はユダによって裏切られた後、他の弟子たちにこれから起こる出来事、それは十字架にかかる道の経過を話されました。それを聞いて弟子たちの心が騒いだのは当然です。ですから今日の福音書はイエス様の「心を騒がせるな」という言葉で始まります。そして続けて言いました。「私の父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなた方のために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなた方のために場所を用意したら、戻って来て、あなた方をわたしのもとに迎える。こうして、あなた方をわたしのもとに迎える。
この聖書の言葉は皆さんの多くの方は、お葬式の聖書の朗読の中で何回か聴いたことが在ると思います。私もこの聖書のテキストを使って過去多くの故人を偲び、その人たちを神様の所に送り返したのです。天国でわたし達は神様と顔と顔を合わして見ることができるのです。しかし天国が一体どこにあるのかという疑問より、神様の御許に私たちがいつか送られると考えられる時、知る時、私たちの心も落ち着くのではないでしょうか?
イエス様が「私の父の家には住む所がたくさんある」と言われた時、それはただ単にたくさんの家があるというよりも、そこにイエス・キリストを主と信じた信仰者がキリストの家族として住むことのできる所があるということです。家もHouse も建物です。しかし私たちの行く先の天国は召された人々が神様と顔を合わせて暮らしていける神様から約束されている次の世界です。天の国、神様がいつか私たちを呼んでくださる神様のHome です。でも本当にそうなんですか?岸野先生とか他の牧師さんたちはどうしてそういうことがはっきり言えるのですか?とある人たちから言われるかもしれない。しかし私がよく口に出す言葉、それは「信仰とは理屈ではないんです、信仰とは神様の言葉をそのまま素直に受け取ることです。」
少し脱線しますが、人間には、考えることのできる理性があります。それは神様からいただいたギフトです。デカルトという哲学者はこう言いました。“I think, therefore, I am” 「我 考える、そこに私の存在がある。」私は人間の心の奥底からの疑問に対しての追求を否定するわけではありません。どうして神様はこの地球に生き物、特に人間を作られたのか考える時がありますが、その一方私は神様は私たち一人ひとりを愛されている、全ての世界中の人間も神様の愛の対象であると確認しています。其れがクリスチャンであっても、イエス様を知らない人であっても同じです。クリスチャンは「イエス様に私たちの全ての存在をあなたに任せます。私を何時もあなたの愛と慈しみによって導いてください」と宣言する信仰の群れなのです。
私がまだテキサスにいた時、私の教会はHabitat for Humanity という奉仕の団体に入って家を持っていない家族にシンプルな家を無償で建ててあげました。この運動で知られているのは元のカーター大統領ですが、国境を越えてこの素晴らしい博愛の運動は世界中で広まっています。この建てられた家の持ち主となる家族の大人は家が彼らに与えられる前、しばらくの間自分たちの労働を提供しなければならないという決まりもあります。これは英語でSweat Equity といいます。ただ単に家をもらうのではなく、家を造っている人と共に働くのです。汗を流していっしょに労働するのです。Volunteer で働く人の中には学校の先生、会社の社長さん、学生、主婦のおばさんもいました。食事も作ってくれる人もいます。そんな仲間として二週間一緒に働く中で、お互いがお互いを知り合う、お互いがお互いを助け合う、お互いがお互いを尊重しあう心が生まれます。そこに生活の共同体が生まれるのです。Habitat for Humanityの一番の目的は他人を知ることにより自分を知ることです。わたし達は仕えられる人になるのでなく、仕える人になるのです。それが共同体の社会です。私たちの教会もそう言うものにならなければなりません。教会は家という建物ではなく、一人ひとりが神様から赦された、愛された、助け合いのできるHomeです。 映画、またMusical で有名なWizard of Oz をご存知の方ここにいると思います。この主人公はDorothy という女の子です。彼女は 映画の中で言っています。 “When I think of home, I think of a place where there’s love overflowing.” 「私が家を思う時、そこは愛があふれ出てくる所を思うの」と。
先週祈りの中で、病院に入って12日目になる家内ナンシーのお父さんを覚えました。始めは脳卒中と言われていましたが、精密検査の結果今肺と肝臓にステージ4の癌があることがわかりました。2週間前まで教会でパイプオルガンを弾いていたのですが、急に立つ事もできない状態になったのです。キモ・セラピーをはじめましたが、其れが効くかどうか分かりません。しかしそれをしなければあと2ヶ月しか生きられない、キモ・セラピーをやれば4ヶ月から一年間まだ生きられるかもしれないとお医者さんに言われたのです。ナンシーは上から2番目の7人兄弟・姉妹です。この7人が一人一人お父さんと病院での付き添いに交代で来ています。気落ちしているお母さんも同じ心の安らぎを家族で共にいることの中に求めているのです。お父さん元気になってね。お父さんと一緒に好きな讃美歌歌おうね。早く家に帰れるようにご飯もちゃんと食べてね。今年のクリスマスには家族26人みんな集まりましょうねと言っているのですが。同じように私の母は3年ほど前からルーテル教会の老人ホームに住んでいます。母はホームの皆さんから面倒を見ていただいて、叉教会の牧師さん、婦人会の友達、叉ここの教会員だった小山めぐみさんも時々奉仕で、この老人ホームに来てくださっているのです。復活 ルーテル教会でこれから「何でもお世話ネット」 の事をもっと聞くことになるでしょう。自分の住みなれたところで老後をどうしても暮らして生きたいと願っている人たちが沢山います。しかし私たちが願うことは、家族、友達と人生の最後まで付き合いたい。付き合いたいとは、お互いを大切にしながら生きて行きたいと言うことです。 私たちの多くは長く両親から離れてこの国で暮らしてきた人が沢山います。日本の親、兄弟、姉妹ともっと会う機会があったらなと思うことは当然です。しかし90%の今ここにいる私達はアメリカが私たちの国です。私たちのHomeです。趣味のサークル、学校の仲間の付き合い、そしてここ教会の中で、嬉しい時も、悲しい時も、お互いが、お互いに、愛し、愛し合う教会として、神様の愛が私たちの心を満たしてくださる教会、Home として、イエス様がわたしたちの人生の道を整えてくださると信じ生きて行ける私たちでありたいのです。アーメン。