May 31st, 2016

2016年5月29日聖霊降臨後第二主日聖餐礼拝説教要約「記憶:Remembrance」

牧師説教, by admin1.

“Remembrance : 記憶”  
Joshua 4:1-7
Pr. E. Carl Zimmermann

要約 安達

人間の記憶力はいいかげんなものである。サウスコーストプラザの駐車場に車を停め、買い物をした後、いざ駐車場に戻ってみて、車を停めた場所がすぐに思い出せなかった経験などあるのではないだろうか。
しかし、逆にすばらしい記憶力がある人もいる。フィラデルフィアの郊外に、毎週何千人もの客がやってくる有名なレストランがある。食事はおいしく、雰囲気もよく、人々が“ウィリアムソンおじいさん”と呼び、親しまれた創立者でオーナーだった彼が亡くなるまでは、それは大人気のレストランだった。レストランに入るなり、彼は、握手をして、顧客の名前を聞いていた。びっくりしたことに、5年後に訪問しても、彼は名前を覚えていた。 
しかし、多くは悲しいかな記憶力の衰えを経験する。たとえば、名高い哲学者、ラルフ・ワルド・エマーソンは、どんどん悪くなる記憶力喪失に悩んだ。親しい友人、ヘンリー・ワーズワース・ロングフェローが亡くなったとき、エマーソンは棺の横で、「この紳士は、親切ですばらしい魂の持ち主だったが、私は完全に彼の名前を忘れてしまった。」と言った。
人々が、「年を取るのは良いが、記憶力を失いたくはない。」と言うのをよく聞く。みんなそういう気持ちを持っているのではないだろうか。今この場のことを覚えられるということも良いことだと思うが、また、過去につながることも大切だ。

一昨日には、オバマ大統領が広島を訪れ、次のような言葉を述べた。「なぜ、私たちはこの場所、広島を訪れるのでしょうか? 私たちは、それほど遠くはない過去に、恐ろしいほどの力が解き放たれたことを深く考えるためにここにやってきました。。。。犠牲になった人たちの魂が、私たちに語りかけています。もっと内側を見て、私たちはいったい何者かを振り返り、今後、どのようになろうとしていくべきか、私たちに語りかけています。」
だから私たちには、年一回のメモリアルデー、国民の祝日があるのかと思う。メモリアルデーは、私たちに今の自由があるのは、過去の犠牲の結果であることを思い出させる。
最初のメモリアルデーは1865年5月1日だと信じている人々がいる。その日に、サウスキャロライナ州のチャールストンで、過去、奴隷だった人々が、南軍拘置所の墓地に埋葬された257名の北軍の兵士を称えた。またある人々は、ニューヨーク州のウォータールーにおいて、1866年5月5日に、町を国旗と花々で美しく飾って、南北戦争の英雄、ジョンマーレイ将軍がメインストリートのパレードの先頭に立ったのが、メモリアルデーの始まりだとしている。 

なにが起源であろうが、66万5千人もの人々が勇気を持って、進んで、犠牲を払って命を落としたことを覚えてたい。しかし、ここで、ちょっと違う方向から、記憶ということについて話すことを許していただきたい。ある神学者は、「健忘症が、神との関係をそこなっていく。」とも言う。
それは、イスラエルの人々を悩ませた一つの問題だった。 神は、イスラエルの民のためにしてくださったにもかかわらず、選民の記憶は短く貧しかった。創造者は、ある日にすばらしいことをしてくださっていたのに、次の日には、彼等は忘れてしまった。だから、多くの記念碑、記念の食事、毎年のお祝い、お祭りが、聖書には記されている。 聖書の記述は、人々が神の偉大なるみ業を忘れないようにする。  
それがヨシュア記から学べることだ。40年の間、モーゼの指揮の下で、ヘブライ人たちは、荒野をさまよい、約束の地を捜し求めた。そして、ヨシュアはリーダーとして引継ぎ、ヨルダン川の土手へと人々を導いた。対岸は、求めてきた約束の地であった、しかし、問題があった。 川の水量はふくれあがっており、横断することは、あまりに危険なことだった。 しかし、40年さまよった後、引き返すことはありえなかった。そこで、司祭たちは、契約の箱をかつぎ、先頭を歩んだ。 そして激しい流れの川の中に進み行くと、流れは止まってしまい、人々はなんら支障もなくヨルダン川を渡ることができた。 そして、彼等が、対岸に渡ったすぐ後、石を積み上げて、簡単な記念碑をつくった。 神が、イスラエルの歴史の中で、またもや立役者となってくださったことを、忘れないようにするためだった。
 
さきほど読んだヨシュアの言葉を覚えているだろうか? 「我等は、これらの石を、メモリアルを立てるために使う。 将来、これらの石はどういう意味があるのか?と子どもたちが聞くだろう。あなた方は、『契約の箱が川を渡ったときに、水がせき止められたことを忘れないようにするために、これらの石があるのだ。』と答えなさい。そして、これらの石はイスラエルの人々の間では、永遠の記念となるだろう。」  
言い換えていうならば、記念碑は、神の予想もしえない奇跡的な顕われであり力なのだ。 聖書を通して、とくに旧約聖書において、これらの記念碑は、何十回にもおよんで示されており、みな同じ目的がある。人々に、神が驚くみ業をしてくださったことを、思い出すためである。 
私は先月のドイツ旅行から、あることを感じている。 いずれ、私はたくさんの場所を訪れたことを忘れてしまうだろう、しかし、マルチンルターが、誓約したチャペルを忘れてしまうようなことは無いだろうと思う。 彼が恵みと赦しの説教をした説教壇を忘れたりしないだろう。 95カ条の論題を掲げたウィンテンベルグの教会の扉も、10 週間で新約聖書をドイツ語に訳したヴォルトブルク城も、忘れないだろう。これらの場所は、偉大な男、ルターというより、さらに大きな神の、記念碑であり、記録である。

そして、さらに私を考えさせる。 もし、私たちの教会の名前をレザレクションメモリアルルーテル教会(Resurrection Memorial Lutheran Church)に名前を変えたらどうだろうかと。もしそうしたら、通りかかった人々は、すくなくとも二つのことを知るのではないだろうか。
まず第一に、我々がルター派であること。そして、もっと大切なことは、私たちが、永遠に続く、記念教会であり、すべては、神がなさったこと、また将来にわたってすべて神が計画されていることを、永遠に記念しようとしている教会であると。
もっとも私たちの教会は、すでにLutheran Church of the Resurrectionと呼ぶべきかResurrection Lutheran Churchと呼ぶべきか、議論が起こっており、さらに名前を変えようということにはならないだろう。。。
しかし、Resurrection Memorial Lutheran Church、レザレクションメモリアルルーテル教会、ちょっと良い名前だと思えないだろうか? 
アーメン。

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