May 12th, 2017

2017年5月10日 聖書観想 

聖書観想, by admin1.

5月7日(日) ヨハネ10:1-10
新共同訳聖書の小見出しを見ていて、「羊の囲い」のたとえと、「良い羊飼い」のたとえの二つに分けて考えさせられた。 「囲い」については羊(人間)にはイエスの信仰による「守り」があること。 また「羊飼い」からイエスをリーダとする「導き」が羊たちに与えられており、その導きには、歩んでいくためのエネルギー、生きる本質を感じる。

5月9日(火) ヘブライ人への手紙 13:20-21
御心という言葉がきわだってくる。 私心ではなく、御心をおこなうために、すべての良いものが復活の主イエスキリストに従う者に備えられている。 

5月14日(日) ヨハネ14:1-14
6節の言葉、「わたしを通らなければ、だれも父のところに行くことができない。」という箇所は、よく排他的に解釈され、他の宗教を否定する材料にされてしまうことがある。「わたしは道であり」と言われるイエス自身が道であり、そのイエスが愛・慈しみの固まりのような方なのだ。この箇所から、人々が信じているいろいろな宗教を一概に否定する気にはなれない。

5月11日(木) 創世記12章1-3節
アブラハムの召命の箇所。とくに3節の「地上の氏族はすべて、あなたによって祝福に入る。」と書かれた言葉に大きな意味を感じる。仮に氏族を祖先をアブラハムとすると解釈したとしても、イスラム教の祖先はイシュマエルであり、彼はアブラハムの子息だ。だとするとイスラム教だって、アブラハムを通して祝福に入っている。 「地上の氏族はすべて、」という言葉から、すべての民が祝福に入れることを覚えておきたい。キリスト教は、神が地上のすべてのファミリーを愛しているという最高のお知らせ。  

Back Top

Comments are closed.