May 19th, 2017

今週の聖書観想

聖書観想, by admin1.

主の恵みと平安!

5月14日(日) ヨハネ14:1-14
12節にある「わたしを信じる者は、わたしが行う業を行い、また、もっと大きな業を行うようになる。」そんなことが人間に可能なのかと思われてしまうかもしれない。 しかし、実際問題、人間の業ですごいことが起こっている。そして、そのかげには、信仰者の働きが大きいことは欠かせない事実だと思っている。さらになんでそんなことができるかということを考えると21日の福音書が大きな意味を持ってくると思う。

05月16日(火) 使徒言行録 7:40-56
先週後半、木曜からの聖書日課での新約聖書箇所は、7章のステファノの説教。ステファノの御業には、よくもここまで話すべきことをきっぱり話せるのだろうかと思われるかもしれない。ここでステファノの説教に感激するというより、ステファノの中に働かれる主の働きを見ることが大切なのかと思う。

05月21日(日) ヨハネ14:15-21
イエスが十字架にかかる前日に、聖霊を送る約束をしてくださっていた聖書箇所。 この聖霊とはいったい何者なのか? 人間が瞑想することが、健康の面でも、なにか仕事をする面でも、いろいろと良いということはわかってきている。 仏教では自分を無にすることの大切さがよくいわれる。 キリストの教えもそうなのだと思う。 そして、無になるとき、そこに父なる神が、聖霊が、救い主がやどってくださる。 その宿ってくださるイエスによって自分が動くときに、大きな御業やステファノの行為のようなことが起こる。

05月20日(土) 創世記8:13-19
今週の後半から来週月曜までの旧約聖書は創世記のノアの箱舟のストーリ。聖書日課には入っていないが、8章21節の言葉「人に対し大地を呪うことは二度とすまい。人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい。」と言われる主がおられる。東日本大震災の起こった後に、自称キリスト教の牧師とかリーダという立場の方々に、「東北地方の方々が偶像礼拝をしているから神がこんな震災を引きおこした」という意味合いの発言をした方々がいた。その時は非難生活をしており、今日も自分の家にはもどれない方がいるという状況のなかで、そのような言葉は被災者にとって励みにならないのではないかと思う。また、彼らはこのような21節のような言葉をどう読んでいるのだろうか? 大震災のようなことがおこるなかで、その真っ只中で、寄り添う主がおられ、また、主の共同体が生きている。 21日の日曜の午後3時は、東日本大震災、熊本震災の被災者を覚え、チャリティーコンサートがある。人々の思い、行為が、被災者に寄り添えますように。 

21日は良き祝福された聖日になりますように! 

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