6月11日(日) マタイ28:16-20
今一度読んでいかがだろうか? 今日は「権能を授かる」という言葉に引き寄せられる。先日ある方が人前で歌う機会があり、彼女は前日から声が出なくなり困っていた。本番直前に「聖霊の助けで大丈夫」と申し上げたところ、本番では見事だった。
6月12日(月) 第一コリント12:1-3
聖霊によらなければ、イエスが主であるとは言えないという言葉に重みを感じる。一般的な考え方としては、信仰は自発的に信じることと思われているのではないかと思う。しかし、信仰自体が聖霊によって与えられる不思議な神からのギフトであると気付かされないだろうか?
6月16日(金) 出エジプト4:27-31
少々前後関係や背景を記す必要があるかと思う。出エジプト記3章では、エジプトで身の危険があったモーセはエジプトから離れミディアン地方に避難していた。そこで家族になったが、適切な時となりイスラエルの民をエジプトからカナンの地へと導くように召命をうけた。 4章にはいって、使命遂行に関するしるしが与えられ、またモーセがリーダシップをとるには欠かせなかったアロンが与えられる。選ばれている聖書箇所は、アロンとモーセがともに主の導き(聖霊の導きともいえる)によって劇的に会う場面。神の御業の遂行には、聖霊の不思議な導きにより二人がペアとなっていることを改めて思い出す。
6月18日(日) マタイ9:35-10:8
12弟子の派遣にあたって、いろいろなことが書かれている。「汚れた霊」を追い出すということはどういうことなのだろうか? 出エジプト記を読んで、この箇所を読むとき、12弟子がすべてペアとなって紹介されていることに、興味を引かれる。 宗派を問わず牧師は一人だけで牧会が行われるケースがとても多い。その難しさや、教会の中には汚れた霊が見え隠れする面も否定できない。聖霊によって清められますように。二人の牧師によりリードされる教会の恵みや平安を感じる。