July 6th, 2017

今週の聖書観想

聖書観想, by admin1.

2017年7月2日(日) マタイ10:40-42
もう一度読んで何を思われているだろうか? 41節に書かれていることから、正しい方(イエス)を受け入れる者は、正しい方と同じ報いを受けることになる。パウロも聖書で語っており、マルティンルターも語っていた、「人は信仰によって義とされる」ということは、ここでイエスが語っていたこととも密接に関係していると思う。 イエスを受け入れるという信仰のみによって、人々はイエスと同じく正しい人・義人とされる。 

2017年7月3日(月) 第一テサロニケ4:9-12
兄弟姉妹、互いに愛するようにということは、新約聖書で強調されることではあるが、とくに、2日と9日の日曜に与えられた二つの福音書箇所との関係から、「互いに愛する」ということの前提条件として、「神が私たちを愛している」があると感じる。

2017年7月6日(木) ゼカリヤ1:1-6
旧約聖書には、神の派遣した預言者たちに民は従わなかったことが、繰り返し述べられる。 その歴史があるゆえに、旧約聖書が難しく、状況によってはとても悲惨であるように感じる。 旧約聖書も最初から最後までくまなく読んで学ばないといけないかのごとく思われている方も結構いるのかと思う。しかし、子供のような心をもって、イエスが神の子、救い主、であると受け入れる人には、旧約聖書のゴタゴタ劇や、細部にわたる律法を、一字一句読まなければいけないという話ではないのだと思う。 

2017年7月9日 (日) マタイ11:16-19,25-30
28-30節は耳慣れた聖書の言葉であるが、それに至る25-27節の言葉の意味はなんなのか。16-19節はいったいどんな意味があるのか? 25節の、知恵のある者や賢い者には隠されていて、幼子にあらわされた「これらの事」とはいったいなんなのか?そこに鍵があると感じる。それは当時の知恵ある賢い者、つまりユダヤ教の宗教指導者が旧約聖書の律法に精通することが大切だと信じきっていたのに、律法に関してはずぶの素人である幼子でもすぐに理解できる「神が私たちを愛している。」ということこそもっとも重要な事だったのだろう。 

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