August 5th, 2017

今週の聖書観想(7月30日の週)

Uncategorized, 聖書観想, by admin1.

2017年7月30日(日) マタイ13:31-33, 44-52
イエスがこれでもかこれでもかといわんばかりに、「天の国はーーーに似ている」と言って説明してくださった。当時の弟子たちも、また2000年経って、その話を何度も聞いてきた代々のキリスト教徒すら、いまだに、天の国をよくわかっていないのだ。 しかし、地球50億年くらいの歴史から見ると、あるいは数百万年とも言われる霊長類の誕生から見ても、この2000年間という短い期間に、とんでもない変化が起こっているのではないかと思えてくる。人間と神とのかかわり方、また人間同士の関わり方も。(ブラッド牧師の30日の説教を読まれていない方は、ぜひウェブにアップしているので、読んでいただけたらと思う。) 

2017年8月1日エフェソ6:10-18
イエスが教えてくださった天の国のたとえを思い出し、またこのエフェソ箇所を読む中で、なぜか、ある牧師が「キリストの愛の実践とは、もっとも自分が愛せない人を愛すること。」と言っていたことを思い出す。そんなことはできないと思う人間の思いを超越して、聖霊の働きにより、それは可能なることを、パウロ(エフェソ信徒への手紙の著者)は説いているように思えてくる。

2017年8月3日(木) 箴言10:1-5
ダビデを継いだソロモンが著したとされる箴言の言葉をじっくりあじわいたい。とくに3節にある「主は従う人を飢えさせられることはない。」はどういうことを語っているのだろう。 飢えの意味は、かならずしも、食べ物に対する飢えということだけでなく、いろいろなことに対する飢えのことであるように思えてくる。 

2017年8月6日(日) マタイ14:13-21
有名な5,000人の給食の話である。じっくり読んでいただければと思う。聖霊の導きの中で、また新しい発見や気づきが生まれてこないだろうか。 この箇所で語っているイエスの言葉は、最後の晩餐のときの言葉、そして、聖餐式のときの言葉でもあるのだ。聖餐式を受けるなかで私たちはどうなるのかを思う。。。 5,000人の給食で飢えをしのいだ人々は、決して食べ物だけによって満腹になったということだけではないのだと思う。 おなかがいっぱいになること以上の、満たされた感覚があったのだろう。  

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