September 28th, 2017

今週の聖書観想

聖書観想, by admin1.

2017年9月24日(日) マタイ20:1-16
ぶどう園の労働者のたとえ、今一度読み返してなにを思われているだろうか?神からの報酬は、この世での働いた分だけの報酬とか、見合う賃金とかで与えられるのではない。天の経済とこの世の経済には大きな違いがある。わたしたちが捧げるときにも、世の経済と天の経済の違いをよく覚えておく必要がある。衣食住にさらに娯楽も含めて必要な経費を計算して、残った額を捧げるのが当然のように思われるかもしれないが、それはこの世的な経済。いただいた分のまず最初の10パーセントを捧げて、残りの90パーセントで生活し楽しもうと考えるのが天の経済。

2017年9月25日(月) ローマ16:17-20
ここ数ヶ月間はローマ書が読まれる日々が多かったが最後で16章に入った。ローマの人々への挨拶が中心で、実に多くの人の名前が出ている。しかし、25日に選ばれている17-20節は、パウロからローマの信徒へ注意をよびかけている。主に仕えないで、自分の腹に仕える人がいるという。教会といいながら、この世の経済を持ち込む人々がいるということを指しているようにも思える。しかし、「善にはさとく、悪にはうとくあってほしい。」ともパウロが言うのは実に慈しみ深い神をあらわしている。私は母からよく「だます人にはならないでだまされる人になりなさい。」と教えられた。

2017年9月29日(金) エゼキエル18:19-24
金曜、土曜の聖書日課とさらに聖日の第一日課で、エゼキエル書18章を全部カバーする。大きなポイントは1節にある「父たちが、酸いぶどうを食べたので子供たちの歯がうく」なんていうことはない。ひいては、18章の19節にある、「子は父の悪を負わない」ということかと思う。祖先が悪いことをしたから自分はこんな目にあっているとか、他人のせいにするのはやめなさいということのようだ。逆を言えば、神にあって、祖先が間違った行いをしていたとしても、将来を案じないようにとも思える。私自身、20世紀後半から生きたきた世代として、原発を使いはじめたり、さまざまな公害や自然破壊にしても、将来にたいへんな負債を残した世代だと反省する気持ちもあるが、将来の世代には大きな希望があるように思えてくる。21世紀を背負う世代が、20世紀の大人たちがとんでもないことをしたから、俺たちの将来は真っ暗だなどということになりませんように、偉大なる父なる神にざんげしつつ祈る。

2017年10月1日(日) マタイ21:23-32
ぶどう園に行って働くように。との父の勧告に、二人の息子のうち、兄は「行きません」と言ったが、考え直して行った。弟は「行きます」と言って行かなかった。 たとえ話だが、父は神、ぶどう園は、神が支配する御国。 神のよびかけを、たとえ最初は否定してしまっても、考え直して従うことの大切さを覚える。ポイントは「考え直す」ひいては、神のほうに向き直る、回心することの大切さだ。 エゼキエルの内容も、固定観念で「先代のなにか悪いことが子孫におよんでいる。」という考え方から脱却、考え直して、人間には考えにもおよばなかった恵みをもたらしてくださる神に注目するように教えられているように思えてきた。 

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