November 4th, 2017

今週の聖書観想

聖書観想, by admin1.

2017年10月29日 マタイ22章34-46
29日は宗教改革記念主日としての礼拝で、ヨハネ福音書8章が読まれたため、このマタイ22章のもっとも重要な掟の箇所は読まれなかった。しかし、「もっとも重要」と書かれているだけに、本当に重要な箇所だと思う。「神を愛し隣人を自分のように愛すること。」この言葉から、もちろん自分を愛することも重要ではあるが、現代は自分を最優先にするだけで、神や隣人をどこかにおいてしまいそうな世界的風潮をかもし出してきており、危険信号だと思っている。大前提には神が私たちを愛してくださっていることがあるのに、そのことをどこかにおいてしまい感謝が薄れてきているような気もしている。キリスト者として、神の愛を述べ伝えることの重要性をますます感じる。

2017年10月30日 ヤコブ2:8-13
「人に憐れみをかけない者には、憐れみのない裁きがくだされます。」やはり前提にあるのは、神のわたしたち一人ひとりへの憐れみ、愛が注がれていることがあって、このような言葉が書かれていると思う。この憐れみは、普段教会に行っているとか良い行いをしているから与えられるにではなく、残念ながらというかありがたいことに、神が我慢強く無条件にあたえ続けておられる。

2017年11月3日(金) エゼキエル書13:1-16
旧約聖書における一つの大きな課題は偽預言者の存在。神から預かる言葉を話すのではなく、自分の利益を求めるような言葉を話す偽預言者たちがいた。この旧約聖書箇所を読みながら、これは紀元前の話ばかりではなく現代にも警告を発していることを思う。

2017年11月5日(日) マタイによる福音書
「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」キリスト教が浸透していない日本でも、私の感覚ではへりくだる文化が比較的浸透しているように思う。 しかし、この聖書箇所で学ぶことは、「真の先生・教師」は「父なる神・主なるイエス」だから、へりくだるようにと言われている。文化的に、良い人間関係を築くためにへりくだるのではなく、父なる神・主なるイエスから注がれているすべての恵みゆえに、へりくだることを覚えて生きたい。
 
5日の日曜日には日本語宣教29周年記念礼拝です。主の導きの中で全聖徒の日にあって豊かな日本語ミニストリーの礼拝となりますように! 

主の恵みと平安
安達均

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