April 3rd, 2011

2011年3月13日四旬節第1主日聖餐礼拝「蛇からりんご買っちゃだめだよ」 “Never buy an apple from the snake” 

牧師説教, by admin1.

四旬節第1主日聖餐礼拝     2011年3月13日

創世紀2:15-17,3:1-7

「蛇からりんご買っちゃだめだよ」 “Never buy an apple from the snake”

岸野豊牧師

私たちの父なる神と主イエス・キリストからの恵みと平安が、あなた方の上にあるように。アーメン。

皆さんの人生の中で、この歌、この歌手こそ私にとても影響を与えたというものがあるはずです。それが美空ひばり、フランク永井, 島倉千代子、石原祐二郎、吉永小百合、坂本九かもしれない。私の大好きな歌手は皆さんもご存知の広田美恵子、そしてBeatles です。1960年代から70年代にかけてよくBeatlesの歌を友達と歌いました。お風呂の中でも歌っていました。

特に私の好きなのは  “Yesterday” という歌。歌詞を英語と日本語で入れましたので読んでみてください。英語の歌詞を読んでみます。”Yesterday, all my troubles seems so far away, now it look as though they’re here to stay, oh I believe in yesterday.  Yesterday, love was such an easy game to play, now I need a place to hide away, oh I believe in yesterday.”私はこの歌を歌っている時、何故かエデンの庭から追い出されて一日過ぎた、そんな時のアダムの心境を感じるのです。昨日までは遥か彼方にあった苦悩が、今は僕の元に座わろうとしている。不意に僕は今までの僕ではなくなった。暗い影が僕に重くのしかかる。ああ悲しみは突然やってきた。昨日までは素晴らしい日と信じていたのに。

岸野先生は説教も歌謡曲から発想するんですね、と言われて全くその通りです。

さてアダム、昨日まで何も心配事なくエデンの園と言われるまさに天国のような所で奥さんのイブと二人幸福に暮らしていたんです。畑仕事をしなくでもOK,昼も夜も気候がよく, 裸のままで生活していた。 おいしい果物はいくらだって食べられた。ただ禁じされていたのは、エデンの庭の中にある、木の実、それだけは食べてはいけない、触ってもいけないと神様から言われたのです。

そこにいた蛇がイブに言いました。「エデンの園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのですか?」蛇は誘惑を施すもの、つまりここでは悪魔です。人間は誰でも人生の中で何回も誘惑され、悪魔に打ち負かされた経験があります。これは誰でも経験したことですが触っちゃだめだよと言われると触りたくなる、食べちゃだめだよと言われて、ますます食べたくなる。

ところで、イブが蛇に唆されて、叉、アダムもイブにそそのかされて食べた果物はりんごだと皆から言われますが、聖書にそれがりんごとはどこにも書いてありません。でもどうしてりんごと言う風になったかと言うと、それは二つのラテン語の言葉からの言葉の遊びです。ラテン語でEvil, つまり悪魔はmalus そして、りんごはmalum だからです。同じようにりんごに毒をいれたのは白雪姫と小人たちの話の中に出てくる嫉妬に駆られたおばあさんに変装してで出てきたwitch queenです。

テレビで昔、Animal Kindgom というテレビのショーで蛇について語っていたことを思い出します。と言うのは、蛇は自分の餌になる動物に出会うとその動物を催眠術にかける力をもつていると言うのです。

鼠が蛇に出会い、どの様に退却しようかと考えているうちに、目と目を合わしているうちに催眠術にかかり動けなくなくてしまうと言うのです。悪魔とはそんな存在ではないでしょうか。

悪魔は私たちに催眠術をかけ、私たちの心の中まで忍び込んで、気がつかないうちに私たちの頭の中に麻薬を入れてしまうのです。

叉私たち人間は、好奇心の強い生き物です。いろいろなことが知りたい、明日何が起こるのか知りたい、私は果たして幾つまで生きられるか知りたい。然しそれは知ってはいけない事というよりも知ってしまったら逆に人生を空しく生きてゆくことになるのではないでしょうか?

日本では誰でも知っている浦島太郎の話しをしましょう。「昔昔浦島は、助けた亀に連れられて、竜宮城へ来て見れば、絵にもかけない美しさ」。浦島太郎は毎日、毎日の宴会を乙姫さんと過ごしてきたわけですが、地上の生活が懐かしくなり、乙姫様に別れを告げて叉、亀に乗って自分の故郷に帰っていった。しかし、地上の様子がすっかり変わっている、何かおかしい、海辺は知ってる海辺だけれども、そこにある家も、人も、知らないものばかり。その時、乙姫様からいただいた玉手箱に、いったい何がはいっているのかと気になってきたのです。

然し、乙姫様からその玉手箱をお土産でもらった。その箱を開けてはいけませんと乙姫様は言ったではないか。さてどうしよう。まさに蛇にそそのかされたイブ、叉イブにそそのかされたアダムの葛藤と同じです。ここで誘惑に負けた浦島太郎は紐を解いて玉手箱を開けたのです。突如、浦島太郎は若い青年から真っ白な髪のおじいさんの姿に変わったのです。たったひと時すごした海での楽しかった時も、地上の世界では何十年も過ぎた時間に等しかったのです。

はっきり言って、浦島太郎の話と蛇にそそのかされたイブとアダムの話しはまったく関係の無い話かもしれません。然しこの好奇心の追求と言う思いは、良い答えを与えてくれることもありますが、そうでないこともあります。

2週間前、日本に一週間帰国した時、「あんたもうそろそろアラ還ね」と言われました。」あらかんとはなんだか知らなかったのですが、それは60歳になる祝い事ですね。高校時代の何人かの同級生から招待を受けて居酒屋でお互いの生活の問題、特に退職の年代に近ずいている、また、健康の問題など話しました。。停滞気味の日本の経済の中で退職して、昔のように気兼ねの無い生活ができるかなとの声も聞きました。

人間は誰でも幸福に暮らして行けたらならと思う、そしてそれがどんなものか、少しでも神様、その私の将来の一ページでも見せてもらえたら嬉しいのですがと私たちは願うかもしれない。でも、その将来の一ページを見た所で、なんと怖い思いをする、悲しくなることになるかもしれない。人生知らぬが仏であってもいいのです。神様から与えられた人生を一歩、一歩神様のみ心にかなうように生きてゆくことの人生、それは神様が私たちを守り、導いてくださる人生、それを私たちは望むのです。

昔のことは昔のことで、それはどうにもならない。だからこそ今の時を大切に生きてゆく人生、を私たちは神様、イエス様に祈り求めるのです。イエス様は私たちが心の中で思っていることを全てご存知です。それを祈りの中でイエス様にもう一度話してみてください。イエス様は私たちの人生の中で必ず私たちの祈りを聞いてくださいます。

アーメン。

                                                                                         

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