April 3rd, 2011

2011年3月27日四旬節第3主日聖餐礼拝「サマリヤの女」“The Woman of Samaria”岸野豊牧師

牧師説教, by admin1.

「サマリヤの女」“The Woman of Samaria”岸野豊牧師

私達の父なる神、主イエス・キリストより恵みと平安があなた方の上にあるように。

アーメン。

福音書の中にはイエス様によって心を動かされた沢山sの女性についての話があります。その中で皆さんのよく知っている三つの話があります。一つは、長血を患っていた女。この女は自分の持っていた全てのお金をこの病気の治療の為に色々とつぎ込んだのに12年もの間この病気で身体的にも、精神的にも苦しんでいた女です。イエス様という方はどうも色々な人の病気を治すことが出来るという噂を聞いてこの女はイエス様の後に歩いて行きイエス様の衣の裾を触った所、病気から一気に開放されたのです。

叉1人の女はイエス様がお客として来ていた家に来て、高価な香油をイエス様の足に注ぎ泣きながら、自分の髪の毛でそれを塗りつくした女。この女はファリサイ人に軽蔑されていたのですが、イエス様はこの女の行為を素晴らしいものと認めたのです。

もう一つの話は娘が悪霊によって苦しめられていたそのお母さんのイエス様への必死の癒しの願いです。「主よどうかお助けください」とこのお母さんがひれ伏して頼んだ時、イエス様は言いました。「子どものパンを取って子犬にやってはいけない」と。それに対してお母さんは、「ごもっともです。然し、子犬も主人の食卓から落ちるパンくずはいただくのです」。イエス様はこのお母さんの信仰を賛美し、その時娘は病気から癒されたのです。

さてこれらの奇跡、そしてイエス様の女性に対しての思いやりは他に例がないほど当時の人たちの心を動かしたものではないでしょうか?

今日の福音書に出てくるサマリヤの女の話も世間の中で、人々に見くびられている、肩身の狭い、自尊心に欠けた女の話です。それもユダヤ人から嫌われていたサマリヤ人の女性です。

ところでサマリヤ人の話というと皆さんはGood Samaritan、善きサマリヤ人の話を何度か聞いたことがあると思います。これはルカの福音書だけに出てくる、ある1人のユダヤ人が旅路で強盗に会い、半殺しにされ道端に投げ込まれた話です。最初にこの死にかかっているユダヤ人に気がついたのは、ユダヤ人の祭司です。見て見ぬふりをしてそこを通り過ぎた。そして次に来たのがリーバイと呼ばれるくらいの高い人。でもこの人も変なことに拘りたくないとそこを素通りしたのです

そして、次に来たサマリヤ人は、この半殺しになっていたユダヤ人の男を自分のロバに乗せて次の町の旅館まで連れて行き、この知らない男を医者に見てほしいとお金まで出して、この男の快復を祈ったのです。この話がよく知られている裏には、ユダヤ人とサマリヤ人の仲が悪いと言う事実もあった訳ですが、人間としての他者に対しての思いやりは人種、民族を超えてあるべきものではないでしょうか。

今日の福音書はイエス様がイスラエルの南、ユダヤの土地から北のガラリヤへ弟子たちとサマリヤを通って行く途中に起こった話しです。

イエス様の生まれる7世紀以上の昔、ユダヤ人はアッシリヤと呼ばれる国との戦争に負けた結果イスラエルの一部であったサマリヤに住んでいた多くの人たちは捕虜、あるいは奴隷としてアッシリヤに連れて行かれたのです。然しそこに残ったユダヤ人はユダヤ以外の人たちとの結婚により100%ユダヤ人としての純潔な血筋を失ったのです。その混血のユダヤ人がサマリヤ人と呼ばれるようになったのです。

同じようにユダというイスラエルに住んでいたユダヤ人もバビロニアと言う国との戦争に敗れサマリヤの人たちと同じように長い間バビロニアに捕虜として連れて行かれました。この人たちが後にイスラエルのユダの土地にもどってきた時、サマリヤ人はユダのイスラエル人に手を差し伸べたのですが、ユダのイスラエル人は、 “No thank you, we don’t need your help. We are pure Jews, not like you people.  We have nothing to do with you.” と言ってそれ以来、サマリヤ人は汚れた民族として他のユダヤ人から軽蔑されるようになったのです。それ以来ユダヤ人はサマリやの土地に入ることさえ控えていたのです。

イエス様はそのことを知っていながら自分の育った故郷であるガラリヤをサマリヤの土地を通って行かれたのです。イエスの弟子たちは、恐らく殆どのユダヤ人は遠回りでもサマリヤの地を避けて旅をしたのです。然し、サマリヤ人の土地を通ってゆくこと、叉そこで出会った女との会話はイエス様の民族を超えての人類に対しての愛を物語っているのです。

イエス様は昼の12時ごろにヤコブの井戸があるサマリヤのシカルというところにこられたのです。弟子たちは町まで食べ物を買いに行っていたらしい。イエスさまが井戸の所に座っていると、サマリヤの女が水を汲みに来たのです。

皆さんのうちに昔、水道が無かった時代に井戸まで水を汲みに行ったという経験のある人いますか? 私は物心が付いた頃から水道の水しか覚えていませんが、宣教師でアフリカに行っていた人の話を思い出します。1970年代にアメリカのルーテル教会はタンザニアと言うアフリカの国で、 Communityで一番必要な物は何かというと新しい井戸を村のまんなかに掘ることでした。アメリカの教会は援助金を出し、村の真ん中にその井戸を作ったのです。それまでは村の女たちは朝まだ夜が明けないころに水がめを頭の上に乗せて2マイルも遠くに在る古い井戸の所に行かなければならなかったのです。水瓶をいっぱいにして戻ってくるのは大変な重労働ですが、それは村の女性たちにとってCommunication の場であった大切な時だったと聞いたことがあります。

水を井戸まで行って瓶に入れて持ってくる、それはこのサマリヤ人の村でも同じことだったと思います。然し、ここに出てくるサマリヤの女は朝早くではなく、昼の正午に井戸に水を汲みに来たのです。そこに私は思うんですが、この女は他の女たちから嫌われていたのではなかったでしょうか? だからこの女は昼に誰も井戸に行かない時に水を汲みに来たのだと思います。それだけ自分が皆から仲間はずれにされていたのでしょう。

イエス様はこの女に水を飲ませてくれと頼んだのです。イエス様は長い旅に疲れきっていたはずです。喉が渇いていただけでなく、体も痛かったに違いありません。水を飲ませてくれと頼んだイエス様は人間の疲れ、弱さ、渇きを私達と同じように知っている神様です。この女の答えは、「ユダヤ人のあなたがサマリヤの女の私に、どうして水を飲ませて欲しいと頼むのですか?」

イエス様はユダヤ人からラビ、日本語で「先生」と呼ばれていた人。ラビは公の所で一人で婦人と話すことは禁じられていたのです。

当時ファリサイ人を呼ばれていたユダヤ教の聖職についている者のニック・ネームは「あざとかさぶたの男」と呼ばれていました。なぜかと言うと、通りで人の目を引くような女性に出会ったとき、彼らは目を瞑って歩き、そのために塀とか家にぶっかって怪我をする人たちだったからです。

イエス様が一人でいる女に話しかけていたこの話しは他のラビから見れば、とんでもないことだったのです。特に世間から白目で見られている女には話しかけることは神様に対しての罪だと言われていたのです。

然しイエス様はこの嫌われていたサマリヤ人、それも女のサマリヤ人と話しをしていたのです。それもただの女ではない、世間から評判のよくない女です。然し思い出してください。イエス様は世間の評判など気にしませんでした。神様は特定の人にだけ来るのではなく、全ての人にです。神様は強い人にだけ来るのではなく、弱い人、身分の低い者、学歴が無いもの、貧乏人、self-esteem の低い人、目の見えない者、耳の不自由な者、全て、神様、イエス様を必要としている人たちに来るのです。

イエス様にとって全ての人は平等に愛されます。それは全ての私たちが罪人であるが、その罪の大きさは神様に取って同じです。イエス様はそれ以上に大きな罪を許されたものは小さい罪を許されたものより神様の愛を知っているとも言われているのです。

私はイエス様による信仰、イエス様からいただいた信仰を持っていることが私の人生の最高のギフトであると認識しています。私が弱い時、悲しい時、疲れた時、心が痛む時、人を傷つけた時私がイエス様を求める時に、イエス様はすでに彼の方から私の心の扉をたたいて、「心配しなくてもいいよ。あなたの心の中は全てもう知っているのだから。あなたに私の聖霊をあげるから、元気を出しなさい、I am with you all the time 」と言ってくださっているのです。信仰を持つ、いや、信仰を与えられたと言うことは、神様が人生のどんなときにも私達と共にいると言うことです。そのことを確認しながら人生を送ること、それこそ神様から頂いているギフトです。

祈りましょう。

イエス様、あなたは私たちがあなたに祈る前から私達の心にあるすべてのことをご存知ですね。わたしたちの心の秘密も知っていますね。私たちはあなたの前で、私達の罪を告白して、ただただあなたの哀れみと許しを求めます。どうか私たちにあなたの愛と聖霊を注いでください。私達の心と行いがあなたの御心にかなうものとなるよう私達を導いてください。アーメン。

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